今回は、お互いに福音を伝えたいという働きをする教会同士、批判し合うのではなく、質問したりディスカッションして本来神様が望んでいることについて再認識し合える方法はないのでしょうか? 「宗教同士で喧嘩してない?」という疑問について、聖書にどのように書かれているのか説明していきます。
このクリスチャンQ&Aシリーズでは、クリスチャンに関わる素朴な疑問から、少しディープな問題、普段はなかなか聞きにくい内容…等について、洗礼を受けて3年のこうきさんがゆうき牧師に質問をしていき、聖書をもとにわかりやすく解説していくシリーズとなっています。
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今日はどんな質問でしょうか?
お互いに福音を伝えたい、聖書の教えを伝えたいという働きをする教会同士は、批判し合うのではなく、質問したりディスカッションして本来神さまが望んでいることを再認識し合える方法はないのでしょうか? という質問です。
教会同士、争ってませんか?
いい質問ですね。こうきさんはどう思いますか?
これは僕も思います。教会は、同じ神様を信じているのに、教会同士で人を取り合ったり、批判したり…とっても口悪く言うと、くだらないなっていう風に思っちゃいます。
残念ですよね。クリスチャンはみんなが思うことじゃないですかね。
クリスチャンじゃなくても思ってますかね? クリスチャン同士仲良くしなよって。
僕はノンクリスチャンだった時に「教会同士で戦ってるじゃないか」って、思っていました。
何とか派となんとか派で戦ってるとか。プロテスタント同士でもぎくしゃくしてるみたいなのって「全然、隣り人を愛してない」と感じてました。
仲間すら愛せてないなんて、すごくがっかりというか、魅力的じゃないなぁと思っていました。
信仰してる人同士がいがみ合ってるのを見て、だったら信仰しなくていいやって思ってしまってました。
なるほど。ノンクリスチャンの方でも、そう思う方がいるってことですね。
僕の結論としては、そうなればベストですよね、でもやっぱり難しい部分があると思います。
教団教派などで分かれているメリット
他の教会を批判する前に、「この部分どうなんでしょう?」と質問したり、ディスカッションして相手の本音が分かって、「本来はお互いこう望んでいるよね」となれば、一番いいですよね。
僕もそれは理想です。ほとんどの教会は、そのようにやってる部分があると思うんです。
それを担う働きが教団・教派だと僕は思っています。
派って聞くと、分裂していくみたいなイメージがあるかもしれませんが、どちらか言うと教団や派の中で、教会同士を繋げるという役割もあります。
同じ派の中で教会が孤立するのではなく、牧師同士で繋がったりディスカッションする場があるんですよ。
逆に教団教派によって自由が奪われて、「この教団では教え」みたいな感じで固まってしまうという弊害もあるんですが。しかし、教団が守る部分もあります。変な教えに行かないようにとか。
福音派の中でも日本福音同盟(JEA)というのがあって、そこに所属していると、いろんな問題などを分かち合える機会があります。
ただ、単立の教会、教団教派に所属しない教会は孤立してる教会があります。話し合うチャンスがないんです。そうすると、噂や批判が増えるという問題は出てくるんですね。
「教団を壊そう」とか「超教派、教派を超えて私たちはひとつだ」というクリスチャンもいるんです。それもある意味正しいですよね、壁を作らずに。
ただ、教団教派でも悪くない面もあります。その教団の中で、まとめるという役割。そこも分かってほしいなと思います。
単立の教会はどうする?
札幌ガーデンチャーチは単立です。どこにも属していません。
教団に属さないのは「自由」というメリットはあります。しかし、孤立するデメリットもあるんですよね。
なので、それを防ぐために定期的に他の教会の先生を呼んだりして、メッセージをしてもらったり、僕が他の先生に相談したり、孤立や閉鎖的ではなく、オープンな教会になれるように意識はしています。
よく他の教会の牧師先生が、メッセージやセミナーでいらっしゃいますもんね。
できるだけ、2~3か月に1回ぐらいは呼べるように意識しています。あまり表に出してないですが、色々な牧師と連絡を取って繋がる働きもしています。
普段から牧師同士で繋がりがあると、例えば噂話が出たりしても「その牧師は知ってるから大丈夫だよ」とか、「それは違うよ」とカバーしてくれる先生もいるわけですよね。
でも誰も繋がっている先生がいなくて孤立していたら、YouTubeで見た僕の雰囲気やSNSの活用方法とかで、間違って伝わってしまったりとか、表現がうまくいってなくて誤解を生んでしまったりとかは、往々にしてある訳ですよね。
なので、そうなった時にそれをカバーしてくれるというか、ちゃんと伝えてくれる人たちが全国にいたら嬉しいなと思いますし、僕らも色々な教会の噂や批判を聞いたときに、そこはこういうことだからと、伝えられたらいいなと思いますね。
こうきさん、ここまででどうですか? あまり、はっきりとした答えにはなってないかもしれないですが。
僕は先ほど、ノンクリスチャンの時には、教会同士の批判などはくだらない、それなら信仰したくないと思っていたとお話ししました。では、なぜ今は信仰してクリスチャンでいるのかについてですが…
ノンクリスチャンって「クリスチャンは完璧、聖人」みたいなイメージがあるんですよね。
クリスチャンなら、なんで隣人を愛さないの? 聖書の教えを守るのに、批判なんてしないはずでしょ、みたいに思うんですよね。
クリスチャンは完璧な人間と思われがち
ただ、自分がクリスチャンになってから思うのは、神様を信仰する、という自分の人生の道は決まりましたけど、できないことはできない。急に変わるわけじゃないですから。
なので、教会同士であっても、クリスチャン同士であっても、やはり噂を気にしてしまったり、批判したり、ジャッジししてしまうということがあると思っています。
それは、聖書、神様が間違ってるからではなくて、人間の問題なのかなと思っています。
ある意味、ノンクリスチャンは期待してるということですよね、クリスチャンに対して。
神への信仰があるなら、人を愛せて当然でしょって思われがちですが、同じ人間であることは変わりないので、完璧なわけではないんですよね。
批判が必要なカルトや異端
ただ、批判が必要なのはカルトとか異端に対してですね。何でもありにしまえば、秩序がなくなります。
神学校で学んだのですが、イエスは神であり人であるとか、本当にコアな部分は戦うべきなんです。これを曲げたり妥協したらダメです。
それ以外の、聖書に明確に書かれていないことや、解釈によって分かれる部分に関しては、良くコミュニケーションを取っていくのが大切かなと思います。
お互いのことを分かりあって、福音のコアの部分は一致できる。そこを大切にしながら、この福音を伝えて神の国を広げていくことに対して、お互いに協力してけたらいいんじゃないかなと思いました。
まとめ
Q .お互いに福音を伝えたいという働きをする教会同士、批判し合うのではなく、質問したりディスカッションして本来神様が望んでいることについて?「宗教同士で喧嘩してない?」
A .そうなればベストですよね、しかし難しい部分があると思います。
カルトや異端に対しては、健全な批判が必要だと思います。聖書のコアな部分は妥協できません。
それ以外の、聖書に明確に書かれていないことや解釈によって分かれる部分に関しては、良くコミュニケーションを取っていくのが大切かなと思います。
また、教団教派でまとまることのメリットもあります。もちろん、考えが凝り固まってしまったり、お互いに批判的になりやすいデメリットもあるでしょう。札幌ガーデンチャーチのような単立の教会は孤立や閉鎖を防ぐために、他の教会や牧師との繋がりを大切にしています。
よくコミュニケーションを取りながら、福音のコアの部分で一致しつつ、神の国の拡大のために協力していけたらいいですよね。
最後まで読んでいただきありがとうございます。このメッセージはYouTubeでもご視聴いただけます。