あなたの周りに、「この人って怒るタイミングわかんないんだよなあ」とか「いつもイライラしてるから気使うんだよなあ」という人いませんか?
逆に「私はダメなやつだ」「なんでいつもこうなんだろう」といつも否定的にぐちぐち言っている人いませんか?
両方のタイプの残念な結末は、「一緒にいると疲れるので人が離れていく」ということです。
実は、両方とも「自分ってダメだなあ」という自己否定が原因です。
ありのままの自分を認めずに、否定ばかりしている人は、周りの人も自分を否定していると錯覚する傾向があります。
そして、冒頭の2つの反応に分かれるのです。
「俺はダメじゃない。これ以上、俺を否定するな!」と反抗するタイプ。
「どうせ私は何もできないんだ。価値なんてないんだ」と悲観するタイプ。
通常は、どちらかの性質が強いが、両方を併せ持つハイブリッドタイプが多いようです。
聖書に出てくる「反抗タイプ」はサウルです。
7 女たちは、笑いながら歌い交わした。「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った。」
聖書(1サムエル 18:7-8)
8 サウルは、このことばを聞いて激しく怒り、不機嫌になって言った。「ダビデには万と言い、私には千と言う。あれにないのは王位だけだ。」
この怒りの引き金は、イスラエルの民がサウルよりもダビデを評価する歌でした。
サウルは、ダビデの存在のせいで自分が否定されていると感じたのです。
しかし、この歌もダビデもただの引き金にすぎず、元々彼は自分に自信がなく自己否定をしている傾向があったことが聖書を読めばわかります。
サウルが王として選ばれる時、彼は隠れました。
7 女たちは、笑いながら歌い交わした。「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った。」
聖書(1サムエル 10:22)
人々はさらに、主に「あの人はもう、ここに来ているのですか」と尋ねた。主は「見よ、彼は荷物の間に隠れている」と言われた。
人の目を恐れて隠れることは謙遜なのでしょうか?
神が「あなたを王として選んだ」と言われれば、そのことをすんなり受け入れ、喜んんで王として民に仕えることもまた謙遜な姿なのです。
サウルに必要だったのは、弱さを持ったありのままの自分を神の前で受け入れることです。
彼は多くの失敗をしますが、その都度、ダビデのようにすぐに神に謝り、再スタートを切ればよかったのです。
私たちに怒りや不機嫌になる癖があるなら、自分を否定していないか確かめてみましょう。