はじめに
今日は、「過越の祭りに隠されたイエス」について説明します。日曜日の教会の礼拝には、聖餐式というプログラムがあります。小さなパンと小さなカップが、回ってきて、それらをいただくのです。
一つのパンをちぎって配布する教会もあれば、クラッカーみたいなものを配る教会もあります。カップの中身は、ぶどうジュースが多いでしょう。毎週行なっている教会もあれば、月に一回行う教会もあります。クリスチャンなら、当たり前のように行なっている聖餐式ですが、「なぜ、この聖餐式が大切であるか」説明してと言われたら難しいのではないでしょうか?また、初めて教会に来た人からしてみれば、「なんだこの儀式は?」と戸惑ってしまうかもしれません。
実は、この聖餐式の原点は、旧約聖書の過越の祭りにあります。そして、過越の祭りの食事の中には、長年ユダヤ人が待ち望んでいるメシヤがイエス・キリストであることが隠されているのです。このメッセージを読むと、過越の祭りに隠された福音のメッセージを知ることができます。また、教会の礼拝で行われる聖餐式の意味もわかり、旧約聖書と新約聖書が、よりつながるようになります。
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過越の祭りのパンはキリストを表している
①過越の祭りとは?
「過越の祭り」は、ユダヤ教三大祭の一つです。ユダヤ教と言っても、クリスチャンと同じ旧約聖書が元になっていますし、私たちにも大いに関係ある祭りです。ちなみに、ユダヤ教の三大祭はヘブル語で、
・ペサハ(過越祭)
・シャブオット(七週の祭り)
・スコット(仮庵の祭り)
です。
これらは、旧約聖書で、毎年行う事が義務づけられているお祭りなので、どんなに世俗的なイスラエル人も参加するというのも特徴の一つです。
5 第一の月の十四日には夕暮れに過越のいけにえを主に献げる。
聖書(レビ記 23:5-6)
6 この月の十五日は主への種なしパンの祭りである。七日間、あなたがたは種なしパンを
食べる。
この時期にイスラエルに旅行に行くと、国全体が盛り上がります。世界中から離散しているユダヤ人がお祭りを聖地で祝いに集まってくるため、そもそも、飛行機のチケットが取れないかもしれません。
では、ペサハ(過越祭)の起源はというと、旧約聖書の出エジプト記です。エジプト人の奴隷であったユダヤ人たちが、当時の指導者モーセに率いられてエジプトを脱出する時の話です。イスラエル民族がエジプトを脱出する時に、エジプトのファラオは妨害し、その度に神様は、10つの災いをエジプトに下します。
最後の災いとして、神様はエジプト中の初子(ういご)を殺します。その時、神の命令により、小羊の血を入口に塗ったイスラエル人の家だけは、子供が死ななかった。
つまり、「災いが過ぎ越した」という出来事から、その出来事は、過越しと言われ、そのことを祝う祭りが、過越しの祭りと言われています。その他のユダヤ三大祭も、奥が深くて面白いので、今度機会があれば取り上げたいと思います。
さて、現代に時を戻しましょう。この過越しの祭りは、現代イスラエルでも毎年祝日として祝われていると言いました。だいたい、3月か4月の1週間です。イスラエルはユダヤ暦を使っているので、毎年日にちが代わります。その中で、もっとも大切なのが、最初の夜のセデルと呼ばれる晩ごはんです。「ハガダー」と呼ばれる出エジプトに関する物語を読んで、先祖がエジプトの奴隷の身分から救い出されたことを記念します。料理はエジプト支配下の苦しみや、解放された時の喜びを表した食べ物である焼いた骨、卵、苦菜、青菜、甘いもののペーストなどが振る舞われます。
その食事の中心が、「マッツァ」です。これは酵母(イースト菌とも呼ばれる)抜きのクラッカーの様なパンで、「エジプトから脱出する時パンを発酵させる時間もない程急いでいた」ということにちなんで食べるようです。過越しの祭りの期間中は基本的に主食はこのマッツァのみとなります。
この種無しパンと呼ばれる「マッツァ」。これがキリストを表します。次に、詳しく取り上げるので、ここでは、過越の祭りで、種無しパンと呼ばれる「マッツァ」が食べられるんだなあとだけ、頭に入れておいてください。
②過越のパンに隠されたイエス
さて、過越の食事では「種なしパン」「マッツァ」が出されます。
種なしパンは罪のないメシヤを象徴しています。聖書で、パン種が罪を表すことを示す箇所があります。
6 あなたがたが誇っているのは、良くないことです。わずかなパン種が、こねた粉全体をふくらませることを、あなたがたは知らないのですか。
聖書(Ⅰコリント 5:6-8)
7 新しいこねた粉のままでいられるように、古いパン種をすっかり取り除きなさい。あなたがたは種なしパンなのですから。私たちの過越の子羊キリストは、すでに屠られたのです。
8 ですから、古いパン種を用いたり、悪意と邪悪のパン種を用いたりしないで、誠実と真実の種なしパンで祭りをしようではありませんか。
この箇所自体ちょっと難しく感じますが、要するに、私たちの体をパンとたとえ、種を罪としているのです。
つまり、種なしパンとは、罪のないからだ。それを示すのは、罪のない子羊、イエス・キリストです。
また、種なしパン「マッツァ」は、焼く前にフォークで両面に多数の穴をあけます。この穴はイエスキリストが、十字架で刺された釘の穴を表しています。
聖書(ゼカリヤ 12:10)
わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見て、ひとり子を失って嘆くかのように、その者のために嘆き、長子を失って激しく泣くかのように、その者のために激しく泣く。
筋(焼き色)も付いており、それはイエス様が受けられた、佃打ちの跡を表わしています。
まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。 それなのに、私たちは思った。 神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。
聖書(イザヤ 53:4)
もしかすると、たまたまでしょ?後付けの理由じゃんと思われるかもしれません。しかし、これらは、どちらかというとメシアを待ち望むイスラエル人に対する「イエスがメシヤだ」というメッセージです。過越の祭りの儀式は、ユダヤ人の間で何千年にもわたって行われていますが、ほとんどの人が、その真の意味を知りません。その中でも、イエスがメシヤだと信じた「メシアニック・ジュー」と呼ばれるイスラエル人が起こされていますが、彼らは、この儀式に隠されたイエスの福音に気づいています。
また、過越の祭りの食卓に何枚もの種なしパンが、積まれます。しかし、儀式では3枚だけが使われます。3つの層に分かれた布袋のそれぞれに一枚ずつマッツァを入れます。その中でも、主役は真ん中の1枚です。これを「アフィコーメン(デザートの意、後に来る者という解釈も)」と呼んでいますが、真ん中のマッツァを半分に割って亜麻布に包んで、一家の父親が家の中に隠します。そして、過越の祭りの最後に、子どもたちが大騒ぎしながらそれを探します。最初に、隠された種なしパンの「アフィコーメン」を見つけた子どもがご褒美をもらいます。
これは、なぜするのかラビも説明できないようです。しかし、新約聖書を読んでいくなら、ピンと来るはずです。なぜ、3枚だけ使うのでしょう?
これは、「父・御子・御霊」の 三位一体の神を表しています。
なぜ、真ん中だけ隠されるのでしょう?
イエスだけが取り出され、十字架に死に、アフィコーメンと同じ亜麻布に包まれ、墓に葬られました。そして、探し出され、見つかることは復活を意味します。ご褒美は、永遠のいのちです。
なぜ、新約聖書を知らない、イエスをメシヤと信じないユダヤ人がわざわざ一枚の種無しパンだけ、亜麻布に包むのでしょう?なぜ、隠し、見つけるのでしょう?実は、過越の祭りが、イエス様を表すためのものとして、神様が用意されていたしか考えられないように思います。もう一つ、「過越のパンに隠されたイエス」を証明する大事な場面があります。マタイ26:26の「最後の晩餐」の場面です。ここで、まず覚えておきたいことは、「最後の晩餐」は過越しの祭りの夜の食事「セデル」だということです。
最後の晩餐といえば「レオナルド・ダ・ヴィンチ」の絵が有名です。あの絵は、かなり西洋のイメージに変色されています。しかし、実際は、最後の晩餐は、旧約聖書の「過越の祭り」の食事です。最後の晩餐という言葉がものすごく特別感を感じさせますが、ユダヤ人なんら毎年春に必ず行う過越の祭りの夕食なのです。
つまり、イエスキリストが聖餐式という新しい儀式を作ったのではなく、旧約聖書に書いてあり、ユダヤ人がずっと行って来た過越の祭りの本当の意味を、イエスキリストが解き明かしたのが、最後の晩餐なのです。
そこでイエスはこのように言いました。また、一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、神をほめたたえてこれを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」
聖書(マタイ 26:26)
ここで、イエスがとったパンはなんですか?
もうお分かりですね。種なしパン「マッツァ」しかも、三枚のうち、真ん中のアフィコーメンです。この時、イエス様の12弟子たちには、「取って食べなさい。これはわたしのからだです」という意味を理解していたかはわかりません。しかし、その時か、少なくても後に、この種無しパンがメシアの体、イエス様の身体を指しているのだということに気づきました。
③聖餐式 = 最後の晩餐 = 過越の祭りの食事
では、最後に、キリスト教の教会で行われる聖餐式についてお話しします。
この聖餐式は、イエスキリストが十字架にかかる前に、12弟子と共にした「最後の晩餐」が元になっています。そして、先ほどの説明の通り、最後の晩餐は、過越しの祭りの食事です。
つまり、聖餐式は、過越しの食事を表しているのです。
イエスキリストが聖餐式という新しい儀式を作ったのではなく、旧約聖書に書いてあり、ユダヤ人がずっと行って来た過越の祭りの本当の意味を、イエスキリストが解き明かしたのが、最後の晩餐なのです。なぜ、聖餐式を行うのでしょうか?
23 私は主から受けたことを、あなたがたに伝えました。すなわち、主イエスは渡される夜、パンを取り、
聖書(Ⅰコリント 11:23-24)
24 感謝の祈りをささげた後それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」
イエス様ご自身が、わたしを覚えて、これを行いなさいと言われているので、行います。その時に、過越しの祭りの理解があれば、もっと深く、感謝を持って、十字架を覚えることができますね。
結論
①過越の祭りとは?
出エジプト記に「毎年行いなさい」と書いてあるユダヤ教三大祭の一つで、一週間、種無しパンと呼ばれる「マッツァ」を食べます。
②過越のパンに隠されたイエス
過越の食事での種なしパン「マッツァ」は、罪のないメシヤを象徴しています。
③聖餐式=最後の晩餐=過越の祭りの食事
聖餐式のもととなる最後の晩餐は、当時の過越の祭りの食事であり、これら三つのルーツは同じであることがわかります。
まとめましょう。
一言でいうと、「過越の祭りのパンはイエス・キリストを表しています」
次回は、聖餐式で食べるパンともう一つの、杯に隠されたメシヤについてお話します。実は、ぶどう酒の杯にも隠された深い意味があったんです。
読んでくださってありがとうございました!
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参考資料:イスラエルの歴史と日本のリバイバルの関係
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