【聖書の終末預言53】白い御座の裁き「ミケランジェロの最後の審判」(黙示録20:11-15)

この記事は約8分で読めます。

はじめに

今日は、「白い御座の裁き」について説明します。

「白い御座の裁き」は別名、最後の審判とも言われます。
こちらの方が聞いたことがある人が多いのではないでしょうか?

その理由は、ミケランジェロが描いた『最後の審判』という絵が有名だからです。
『最後の審判』はバチカン市国にある「システィーナ礼拝堂」の祭壇の後ろの側面に描かれています。

ミケランジェロは、『最後の審判』を描く20年前に、『旧約聖書』から「創世記」などを描いた礼拝堂天井画を完成させています。
ヨーロッパに旅行すると、絵画を鑑賞する際に聖書の知識が求められることも多いということです。

この記事を見ると、ミケランジェロが描いた『最後の審判』とは一体何なのかを詳しく知ることができます。

最近は、聖書の終末預言シリーズという世の終わりについて聖書が何を言っているかだけにフォーカスを当てたYouTube動画をアップしています。「この世はこれからどうなるのか?」ということに対して少しでも興味のある方は、チャンネル登録をよろしくお願いします。

白い御座の裁きとは何か?

 →千年王国が終わったときに、あらゆる時代の罪人たちに対する裁きのこと 

A.いつ、白い御座の裁きは起こるのか?

 →千年王国が終わったとき 

また私は、大きな白い御座と、そこに着いておられる方を見た。地と天はその御前から逃げ去り、跡形もなくなった。

聖書(黙示録20:11)

「大きな白い御座に着座しておられる方」とは、イエス・キリストのことです。
千年王国が終わった後は、キリストにすべてのさばきが委ねられている。

「地と天はその御前から逃げ去り、跡形もなくなった」とは、創世記1章以来存在していた地と天とが消え去るということです。
つまり、今、私たちが住んでいる地球はなくなるのです。

それは、次にくる新しい天と新しい地、いわゆる新天新地が出現するための準備です。

つまり、白い御座の裁きの後に、いわゆる罪も悲しみもサタンもいない新天新地が待っているのです。

B.誰が、白い御座の裁きを受けるのか?

 →あらゆる時代の罪人(キリストを信じていない人) 

また私は、死んだ人々が大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。数々の書物が開かれた。書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。死んだ者たちは、これらの書物に書かれていることにしたがい、自分の行いに応じてさばかれた。

聖書(黙示録20:12)

ここで、御座の前に立っているのは、信者ではありません。
イエス・キリストを信じる者は、このさばきを受けることはありません。
安心してください。

裁かれるのは。キリストを信じていない人です。

さばきのためには、今まですでに亡くなっている人たちがよみがえる必要があります。
これを第二の復活と言います。

海はその中にいる死者を出した。死とよみも、その中にいる死者を出した。彼らはそれぞれ自分の行いに応じてさばかれた。

聖書(黙示録20:13)

「海はその中にいる死者を出し」とは、 からだが、 どこで、 どのような状態で散らばっていても、復活するという意味です。
「死とよみも、その中にいる死者を出した」とは、死んだからだと魂が、結合することを意味します。
ここでの「死」とは墓のことです。
墓に埋まっている身体が戻るということです。

人間は、罪を犯す前には、体・魂・霊の 3つを持っていたと言われています。
これには諸説あり、魂・霊を同じものとみなし、体と魂の2つに分ける神学者もいます。

とにかく、罪を犯したことによって、霊が死にました。
神から離れてしまったのです。
しかし、イエス・キリストを信じた者の霊は、神とつながり生き返るため、 信者が死ぬと、魂と霊が天に送られるのです。
一方、未信者の霊は死んだままなので、未信者が死ぬと、魂だけがよみに送られるのです。

これが、第2の復活によって、再び体と1つになるということです。

つまり、過去に死んだ人たちは、もれなく、さばかれるために復活し、キリストの前に立つのです。

C.どうやって、白い御座の裁きを受けるのか?

 →いのちの書に名前があるかに応じて、火の池に投げ込まれる 

①生きている時の行いを見られる(数々の書物によって)

また私は、死んだ人々が大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。数々の書物が開かれた。書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。死んだ者たちは、これらの書物に書かれていることにしたがい、自分の行いに応じてさばかれた。

聖書(黙示録20:12)

まず、さばきのために、数々の書物が開かれます。
これは、各人の行ないが記録された書物です。

80歳でこの世を去った人は、80年間のうちにした、良い行いも、悪い行いも全部書き記されているのでしょう。
人は、この書物に書かれた内容によってさばかれます。

ここで、重要なことは罪に対する定義です。

聖書には、全ての人が罪人であるとしており、例えこの世では犯罪と呼ばれる大きな罪を犯していなくても、神の前では裁かれると言っています。

そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、

聖書(ヘブル書9:27 )

誰も見ていない隠れて犯した一つ一つの罪が、記されています。
心の中でのつぶやきも、記されています。

逆に、この裁きを意識するならば、私たちがこの限られた地上での人生をどのように生きるかという指針になります。
人が見ていなくても神を意識し、神が喜ばれる人生を歩む原動力になるのです。

②天国か地獄か判断される(いのちの書によって)

また私は、死んだ人々が大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。数々の書物が開かれた。書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。死んだ者たちは、これらの書物に書かれていることにしたがい、自分の行いに応じてさばかれた。

聖書(黙示録20:12)

次にもう一つ 「いのちの書」が開かれるとあります。
「いのちの書」とは、この地上に誕生したすべての人の名が書き記されたものです。

あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが記されました。私のために作られた日々が、しかも その一日もないうちに。

聖書(詩篇139:16)

しかし、罪人のままで死んだ人の名は、その書からは消し去られます。

彼らがいのちの書から消し去られますように。正しい者と並べて、彼らが書き記されることがありませんように。

聖書(詩篇69:28)

一方、キリストを信じるものは、いのちの書に名前がしっかり残ります。
つまり、裁かれずに救われるということです。

勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。またわたしは、その者の名をいのちの書から決して消しはしない。わたしはその名を、わたしの父の御前と御使いたちの前で言い表す。

聖書(黙示録3:5)

つまり、全ての人間は救いと裁き、いわゆる天国と地獄の二択の道しかなく、その基準は結局のところ、「いのちの書」に名前が記されているかどうかということです。

  • いのちの書に名前があるのは、キリストを信じるものです。
  • いのちの書に名前がないのは、キリストを信じないものです。

キリストを信じないものは「いのちの書」からその名が消されているので、「数々の書物」に記された内容に従って行なわれます。
行いによって正しいされる人間は一人もいないので、100%恵み、信じるだけで救われるというキリストの福音の重要性がここからわかります。

③火の池に投げ込まれる

裁きによって、罪人と宣告されたものは、今度、火の池に投げ込まれます。

14 それから、死とよみは火の池に投げ込まれた。これが、すなわち火の池が、第二の死である。
15 いのちの書に記されていない者はみな、火の池に投げ込まれた。

聖書(黙示録20:14-15)

キリストを信じないものが投げ込まれる前に、まず「死とよみ」が火の池に投げ込まれます。
どんな人間も勝つことができなかった死を神様が滅ぼされるのです。

最後の敵として滅ぼされるのは、死です。

聖書(1コリント書15:26)

そして、キリストを信じないものが投げ込まれます。これを「第二の死」 と言います。

第一の死は、今の人生の死です。
この世で交通事故で亡くなったり、病気や寿命で亡くなることが第一の死です。
その後、復活し裁きがあり、永遠の裁きです。

それが、第二の死です。

「第二の死」 は、言い換えるなら、神との永遠の分離です。

地獄とは、苦しく、暗いイメージがありますが、本質的には神から離れることです。
太陽の光もありません。

光は、神の祝福だからです。

天におられるあなたがたの父の子どもになるためです。父はご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからです。

聖書(マタイ5:45)

この時、全ての人が、今まで神様がどれほど人類を愛して、どんな人をも祝福してくださっていたかに気づくのです。

まとめ

まとめましょう。

白い御座の裁きとは何か?
→千年王国が終わったときに、あらゆる時代の罪人たちに対する裁きのこと

  • A.いつ、白い御座の裁きは起こるのか?
    →千年王国が終わったとき
  • B.誰が、白い御座の裁きを受けるのか?
    →あらゆる時代の罪人(キリストを信じていない人)
  • C.どうやって、白い御座の裁きを受けるのか?
    →いのちの書に名前があるかに応じて、火の池に投げ込まれる
    ①生きている時の行いを見られる(数々の書物によって)
    ②天国か地獄か判断される(いのちの書によって)
    ③火の池に投げ込まれる

次回は、新天新地についてお話しします。
ご視聴ありがとうございました。

参考資料:黙示録セミナー終末編 /オメガミニストリーズ・オメガバイブルスタディー
ハーベストタイムミニストリーズ/メッセージステーション

聖書理解に役立つ3大特典を無料でプレゼント中!↓
友だち追加
この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

ゆうき牧師をフォローする
聖書の終末預言
ゆうき牧師をフォローする
タイトルとURLをコピーしました