はじめに
今日は、「新しいエルサレム」について説明します。
天国というと、どんなイメージがあるでしょうか?
今、動画を止めてもいいので、「天国」を皆さんの言葉で簡単に説明してください。
誰かに「天国って何?」と聞かれたら、一言でなんと答えますか?
私たちの天国のイメージは、何か魂だけが風にのってただようよくわからない世界ではないでしょうか?
もしくは、イメージが全くつかない。なぜかというと、私たちは、天国に行くか、地獄に行くかという選択肢、もしくはゴール地点としか捉えていなかったからかもしれません。
私は、子供の頃は天国と聞いても、「めっちゃ行きたい!」とワクワクしませんでした。
正直、家でゲームしている生活の方が楽しそうだし、現実社会の方が魅力的に見えました。
でも、イエス様を信じて天国に行きたかったです。
なぜか?地獄には行きたくないからです。
「信じないと地獄にいく」と脅されているようにも感じたからです。
皆さんが、もし、天国に対してあまりワクワクしなくても大丈夫です。
この記事を見ると、「新しいエルサレム」のイメージを通して、「天国がいかに現実的な場所であるか」がわかるようになります。
最近は、聖書の終末預言シリーズという世の終わりについて聖書が何を言っているかだけにフォーカスを当てたYouTube動画をアップしています。「この世はこれからどうなるのか?」ということに対して少しでも興味のある方は、チャンネル登録をよろしくお願いします。
A.新しいエルサレムとは何か?
→キリストの再臨後の新天新地における中心都市新しいエルサレムの名前を見ると「新しい」とあって誤解しがちですが、これは新たに創造されるのではなく、天から下って来ます。
私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た。
聖書(黙示録22:2)
では、何が新しいのかというと、今のイスラエルという国にあるエルサレムという都市とは違うという意味です。
ヘブル人への手紙を見ると、聖書には2種類のエルサレムが出てくることがわかります。
天と地の二つのエルサレムです。
しかし、あなたがたが近づいているのは、シオンの山、生ける神の都である天上のエルサレム、無数の御使いたちの喜びの集い、
聖書(ヘブル12:22)
エルサレムはへブライ語で「イェルシャライーム」と言います。
ヘブライ語で語尾に「オット」や 「イーム」がつくと複数形となります。
英語の「s」のようなものだと思ってください。
なぜ、「エルサレム」という単語は複数形なのか?
もう、お分かりですね。
天と地に、両方あるからです。
- 「天上のエルサレム(新しいエルサレム)」は新天新地で天から降りてくる理想の都。
- 「地上のエルサレム」は現代イスラエルに存在する都。
もちろん、聖書に出てくるエルサレムは全てこっちです。
では、今のイスラエル国家にあるエルサレムは、新天新地ではどこに行っちゃうのでしょうか?
そもそも、千年王国の終わりに、地球もろとも一回なくなります。
天地は消え去ります。
聖書(マタイ24:35前半)
神様がもう一度、世界を新しく造り直す。だから、新天新地なんです。
B.新しいエルサレムには誰が住むのか?
22 しかし、あなたがたが近づいているのは、シオンの山、生ける神の都である天上のエルサレム、無数の御使いたちの喜びの集い、
聖書(ヘブル書12:22-24 )
23 天に登録されている長子たちの教会、すべての人のさばき主である神、完全な者とされた義人たちの霊、
24 さらに、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る、注ぎかけられたイエスの血です。
この箇所から、4種類の人たちが出てきます。
- ①生ける神(三位一体の神)
- ②無数の御使いたち
- ③天に登録されている長子たちの教会(私たちのこと)
- ④完全な者とされた義人たち(旧約時代の聖徒たち、大患難時代と千年王国の期間に救われた聖徒たち)
私たちは、この都で神とともに永遠に住むのです。
C.ここから何が学べるのか?
①実際に存在する都
この新しいエルサレムを中心とした新天新地が天国です。
冒頭で、天国というと、どんなイメージがあるか?と質問しました。
私だったらこう言います。
天国は、「実際に存在する完璧な都に神と永遠に住む場所」です。
今日触れたいポイントは、「実際に存在する」ということです。
魂だけが風にのってただようよくわからない世界ではないのです。
聖書を学べば学ぶほど、特にユダヤ人のヘブライ的な聖書理解が役に立ちましたが、天国は非常に現実的な場所であることがわかりました。
おそらく、家でゲームしている時の楽しい感覚、仕事に精を出して向上する喜び、誰かと一緒に暮らす楽しさ。
そういうような感覚は天国でも継続すると思っています。
大事なことは「今の地上とのつながり」ということでしょうか。
楽しいことだけではありません。
罪もサタンもない世界。悲しみも苦しみもない世界。
そこで、神が造られた世界を満喫したいですね。
僕は旅行が好きなので、新天新地では世界旅行をしたいと思います。
つまり、聖書の天国、新しいエルサレムの描写から、私たちは将来、現実的な都市に永遠に住むんだなってことがわかります。
②求めている自由がある都
私たちの誰もが、自由を求めて生きています。
「自由がない!」「大変だ!」「忙しい!」と、マイナスの感情に取りつかれてしまう時もあります。
もちろん、よく考えれば、戦時中や、独裁国家の人たちに比べれば、日本人には自由があります。
でも、現実は、仕事で、結婚生活で、クリスチャンになったのにもっと何かに縛られて窮屈に感じることは、なくなるどころか、むしろ昔よりも増えてる気もします。
先ほど、聖書には2種類のエルサレムが出てくると言ったのを覚えているでしょうか?
そこでは、自由と奴隷状態が対比されています。
自由は天上のエルサレムで表わされ、奴隷状態は地上のエルサレムで表わされています。
25 このハガルは、アラビアにあるシナイ山のことで、今のエルサレムに当たります。なぜなら、今のエルサレムは、彼女の子らとともに奴隷となっているからです。
聖書(ガラテヤ書4:25-26)
26 しかし、上にあるエルサレムは自由の女であり、私たちの母です。
私たちは、今のエルサレムに住んでいるとも言えるでしょう。
実際には日本の都市に住んでいるのですが、飛行機に乗ってビザを取れば、エルサレムに住むことはできます。
エルサレムがどんなに、素晴らしい都市であっても、完全に自由になることはできません。
いつ、ミサイルが落ちてくるかわからないし、永遠に続くわけでもない、犯罪がないわけでもないからです。
つまり、新しいエルサレムが新天新地で天から降ってくるまでは、この地上においては、私たちは完全に自由になることはできないということです。
もちろん、ここでパウロが言いたいことは、律法による義を求めるなら奴隸の子になり、信仰による義を求めるなら自由の子になるということです。
つまり、地上のエルサレムに住んでいながらも、信仰によって、天のエルサレムを先取りする生活が手に入るとも言えます。
実際、創世記のアブラハムという人物は、この地上に住んでいながら、彼は天の新しいエルサレムを目指して生きていたとあります。
9 信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相
聖書(ヘブル書11:9-10)
続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。10 彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し
建設されたのは神です。
アブラハムは、地上では寄留者として放浪していました。
しかし、彼は、人生のどんな苦難があっても、忍耐深く生活することができたのです。
彼は、やがて自分は、天のエルサレムに住むことができるという神の約束を信じ続けていたからです。
私たちも同じです。
新しいエルサレムがあることを信じ、待ち望むならば、この地上にあっても何からも縛られることはありません。
迫害されて死んでも、むしろ、永遠に新しいエルサレムに住めるくらいの余裕を持って、生きていけるのです。
まとめ
まとめましょう。
- A.新しいエルサレムとは何か?
→キリストの再臨後の新天新地における中心都市 - B.新しいエルサレムには誰が住むのか?
①生ける神(三位一体の神)
②無数の御使いたち
③天に登録されている長子たちの教会(私たちのこと)
④完全な者とされた義人たち(旧約時代の聖徒たち、大患難時代と千年王国の期間に救われた聖徒たち) - C.ここから何が学べるのか?
①実際に存在する都
②求めている自由がある都
次回は、新天新地の新しいエルサレムについてお話しします。
ご視聴ありがとうございました。
参考資料:黙示録セミナー終末編/オメガミニストリーズ・オメガバイブルスタディー/ハーベストタイムミニストリーズ/メッセージステーション