【聖書の終末預言⑧】 聖書預言は2度起こる

聖書預言は2度起こる
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はじめに

今日は、聖書預言は2度以上、成就する可能性があることについて説明します。

聖書を読んだことがある方は感じると思うのですが、聖書の預言書とか黙示録などは読むのが難いなあと思う時があります。
あれ?この預言は当時のことを言っているのか?それとも、終末(世の終わり)の預言なのか?と迷う時があります。

イザヤと言う預言者は、明らかに当時のバビロン帝国のことだけではなく、キリストの誕生も、そして再臨についても預言しているように見えます。しかも、時系列で整理されているわけでないので、読めば読むほど頭はこんがらがります。

でも安心してください。今日のメッセージを読むと、聖書の預言が、2回以上成就するケースがあることが理解できるようになります。そうすれば、神様がイザヤを通して、様々な時代のことを語っているということが理解できれば、今までとはちょっと違う視点で預言書を読むことができ、楽しくなります。

最近は、聖書の終末預言シリーズという世の終わりについて聖書が何を言っているかだけにフォーカスを当てたYouTube動画をアップしています。「この世はこれからどうなるのか?」ということに対して少しでも興味のある方は、チャンネル登録をよろしくお願いします。

聖書預言は2度以上、成就する可能性がある

 今日の結論は、聖書預言は2度以上、成就する可能性があると言うことです。 

これを英語で「prophetic perspective」と言います。

ある牧師は、預言者的遠近法と訳されていました。どう言う意味かと言うと、預言書の目から見れば前にある1つの山が遠近法で大きく感じるので、後ろの山は見えないわけです。預言者から見ると同じ事をその場で語っているように見えても、横の視点からだと違う時期のことを語っている場合がある。ということです。

※これは、神様の視点を人間的に理解しようとする方法の一つで、この考え方がすべてをうまく説明できるわけではありません。

例① イザヤ書

例えば、イザヤは、実に様々な時代のことについて語りましたが、これも預言者的遠近法で表すことができます。

問題は、それが時系列になっているわけではないと言うことです。つまり、聖書を読む現代の私たちは、ごちゃごちゃになるのです。だから、預言書を読んでも、難しいと感じるのです。

じゃあ、時系列にすればいいじゃないかと言われれば、どうでしょう。神様は時系列に書くことはできたはずです。しかししませんでした。預言書で伝えたい神様のメッセージはそこではないということです。むしろ、私たちには全てわからないけど、「神様は全部知っておられる」と謙遜に預言の言葉を受け取ることが大切なメッセージだと言うことです。

イザヤすらも、自分が預かった預言の言葉を、全部理解して話していたわけではないということです。マタイ24章やマルコ13章で、終末について語られたイエスも「いつ」と特定はせずに、むしろ「目を覚ましていなさい」などの準備にポイントを置いておられました。
ちなみに、黙示録は旧約からの終末預言を時系列に並べている書だと言われています。書簡によって、目的や背景が違うのです。


つまり、預言者自体が、すべてを把握できていない以上、私たちは、極端になってはいけないということです。
聖書の預言は、当時の状況のみに適用される。という極端。
聖書の預言は、全部未来について、あるいは全部霊的な解釈だと言う極端。
両方、含んでいることがあるのです。矛盾しているようで、矛盾していない。これが神の言葉です。

もっと、正確に言うならば、人間には矛盾しているようで、神様には矛盾していない。神の視点と、人間の視点は違うと言うことです。なので、なんでも人間の限られた理性で「正しい」理解を求めようとしても、難しい場合があるのです。

 なので、神の言葉をそのまま信じる信仰が大事なのです。 

例② マタイ24章

聖書預言は2度以上成就すると言うもう一つの例を見てみましょう。先ほど、触れたイエス様の預言です。

1 イエスが宮を出て行かれると、弟子たちが近寄って来て、イエスに向かって宮の建物を指し示した。
2 すると、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはこれらの物すべてを見ているのですか。まことに、あなたがたに言います。ここで、どの石も崩されずに、ほかの石の上に残ることは決してありません。」

聖書(マタイの福音書24:1-2)


宮とは当時エルサレムに建っていた第二神殿のことです。イエス・キリストはこの神殿が壊れると言いました。確かに、この神殿はイエス様の預言の通り、AD70年(今から約2000年前)にローマの将軍ティテウスによって、完全に破壊されました。そして、マタイ24章には、AD70年にエルサレムの神殿が崩れる前に起こる前兆が語られており、実際にイエス様の昇天後に成就しました。



例えばマタイの福音書24章の、

5節 にせキリスト について
ヨセフォスは、AD 66~70年の間に多くのにせキリストが出現したということを記しています。


6節 戦争 について
ローマ軍は妊婦の腹を剣で切り裂いた。という書物も残っています。


7節 飢饉や地震について
飢饉はクラウデオの時代にもあり (使途の働き11:28)、ネロの時代にもありました。エルサレムが陥落したときには、数十万人が飢え死にし、自分の子どもを食べた話なども残っています(ユダヤ戦記5.424~438,512~518, 567~572) 。
61年の小アジア(ラオデキヤ)での地震では、一晩で12の都市が壊滅したと伝えられています (プリエウス『博物誌』2, 84)
62年にはポンペイで大地震が起こりました。


15節 反キリストについて

それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす忌まわしいもの』が聖なる所に立っているのを見たら──読者はよく理解せよ──

聖書(マタイの福音書24:15)


AD70年にローマの将軍ティテウスが、エルサレムを陥落させた後、自分の兵士たちと共に聖所に入りました。あまりにも的確だったため、福音書のこの部分はAD70以後に書かれたと言う人もいるくらいです。実際は旧約聖書の他の箇所にも預言されています。

ここまでの話を聞くと、「なるほど、イエスキリストはAD70年の神殿崩壊のことを言っているんだ」と思います。

しかし、マタイの福音書を読み進めていくと、これは、明らかにAD70だけではなく、終末(世の終わり)のことを言っていることに気づきます。弟子たちは世の終わりの前兆を聞いて、イエス様は話を続けましたし、なにより、29節以降にキリストが再臨されることが預言されているからです。

29 そうした苦難の日々の後、ただちに太陽は暗くなり、月は光を放たなくなり、星は天
から落ち、天のもろもろの力は揺り動かされます。
30 そのとき、人の子のしるしが天に現れます。そのとき、地のすべての部族は胸をたた
いて悲しみ、人の子が天の雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見るのです。

聖書(マタイの福音書24:29-30)


 つまり、イエス様の預言は、AD70年にすでに部分的に成就しているが、終末に完全に成就するということです。 

例③ ダニエル書

先ほどのマタイ24:15はダニエル書9:27の引用です。

それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす忌まわしいもの』が聖なる所に
立っているのを見たら──読者はよく理解せよ──

聖書(マタイの福音書24:15)


1 ソロモン神殿がバビロンによって汚された出来事
2 マカバイ革命の原因となるセレウコス朝のアンティオコス四世が、エルサレム神殿にゼウス像を置いたこと
3 AD40年頃にローマの皇帝力リグラが自分の像をエルサレム神殿に建てようとしたこと
4 AD70年にヴェスパシアヌスの子テイトウス将軍が、エルサレムを陥落させた後、自分の兵士たちと共に聖所に入ったこと。

少なくても4回以上、成就しており、これは終末の反キリストのまだ成就していない預言でもあります。

つまり、聖書の預言は何度も成就するという可能性を秘めているのです。私たちには矛盾しているようですが、神様にとっては全く矛盾していないのです。神様は時に縛られないですし、絵のような2Dでも説明できない理性を持っているからです。

ちなみに、新約聖書に出てくる神の国にも同じことが言えます。
イエス様は、

「もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。」

聖書(マタイの福音書12:28 )

と言い、

「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」

聖書(マタイの福音書3:2)

と言いました。

まとめ

 今日の結論は、聖書預言は2度以上、成就する可能性があると言うことです。 

これを英語で「prophetic perspective」と言います。ある先生は、預言者的遠近法と訳されていました。どう言う意味かと言うと、預言者はその時代の人々に語られる事だけでなく、未来のことも語る場合があるということです。

聖書の預言は「必ず一度しか成就しない」と決めつけるのではなく、何度も成就する場合もあるという視点を持ちましょう。
なぜかと言うと、神様の大きい視点は私たちの理性では理解しきれないことを認めるため。なので、終末論はキリスト教の中でも意見が分かれやすいところで、様々な解釈が生まれやすいところなのです。みんな一部あってて、一部間違っていると思います。

イザヤがすべてを理解していたわけではなかったように、私たちも自分がみている終末論や啓示が完全ではないことを認め、完全に全てを理解し、正しく、愛に満ちたイエスキリストだけを崇めて、お互い励まし合っていきましょう。

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使用画像元: Pixabay, Unsplash

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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