‐人の視線が気になる
‐上司から言われた一言が胸に残る
‐悩みごとがあると食事が喉を通らない
‐気になることがあると仕事に集中できない
どうして自分はこんなに気にしてしまうんだろう……そう疑問に思ったことはありませんか?
特に、親友が陰で自分の悪口を言っていたことを知ってしまったら、傷つかない人はいないでしょう。
聖書は、人のことばをいちいち気にするなと言っています
また、人の語ることばをいちいち心に留めてはならない。しもべがあなたをののしるのを聞かないようにするために。
聖書(伝道者の書7:21)
これは、人を無視しなさいという意味ではなく、言われることに過度に心に留めて、それ によって自分の心を患わせないようにしなざいという、実質的な勧めです。
なぜ、「人の語ることばをいちいち心に留めてはならない」のか?
理由が書かれています。
「しもべがあなたをののしるのを聞かないようにするために」
つまり、ここでは家の主人が例にあげられているわけです。
会社の上司でもいいでしょう。
結局、自分の前では「はい!わかりました!」と言ってても、陰では「あいつまじクソだな!」と言われている可能性があるということです。
正直、そんなこと言われているなんて、考えたくないし、そんな風にまさか自分が言われるはずがないと思います。
しかし、次の箇所で、「おそらく何かしらの小言は言われている」可能性が高い根拠が書かれています。
あなた自身が他人を何度もののしったことを、あなたの心は知っているのだから。
聖書(伝道者の書7:22)
あなた自身、今まで何人の人を陰でボロカス言ってきましか?ということが根拠になります。
思い返してみてください。
親のこと、学校の先生、友達、会社の上司…私たちはあまり考えずに「あの人ってさあ〜」と人をジャッジする言葉を発します。
2人以上集まると会話の70%が人の噂話であるというデータもあるくらいです。
その場合、おそらく大半がネガティブな話、悪口とか陰口でしょう。
つまり、何が言いたいかというと、自分がそうであるように、人間なんて軽々しく人の悪口を言っちゃうんだから、あなたもいちいち気にするなということです。
もっというならば、人を恐れるのではなく、神をおそれよということです。
パウロは他の誰よりも批判されていましたが、彼は人ではなく、神を恐れていました。
その結果、新約聖書のほとんどが彼の信仰が生み出した手紙になっています。
3 しかし私にとって、あなたがたにさばかれたり、あるいは人間の法廷でさばかれたりすることは、非常に小さなことです。それどころか、私は自分で自分をさばくことさえしません。
聖書(1コリント4:3-4)
4 私には、やましいことは少しもありませんが、だからといって、それで義と認められているわけではありません。私をさばく方は主です。
大切なことは、まず、人間ってそんなもんだと認めることです。
どうやって?
自分も人の悪口を言っちゃうことから、まず認めるのです。
そして、あとは、その悪口や陰口を正しく裁かれる神様に信頼し、しっかり前を向いて毅然と生きていくのです。