「人生とは、出来事が一割、それへの反応が九割だ」
チャールズ・R・スウィンドルと言うアメリカの牧師の言葉です。
人生にはさまざまな出来事が起きます。
嬉しいことも起きますし、悲しいことも起きます。
私たちは努力でこれらのことをコントロールしようとしますが、ほとんどの出来事は事前に予測できません。
予測通りに起こっても、今度はそれを克服する力がない場合もほとんどです。
冒頭の言葉を聖書的に解釈するならば「人生は出来事が1割、信仰が9割」です。
聖書の創世記に出てくるアブラハムと言う人物は、絶望的な出来事に対し、信仰で乗り越えました。
アブラハムは、すでにその年を過ぎた身であり、サラ自身も不妊の女であったのに、信仰によって、子をもうける力を得ました。彼が、約束してくださった方を真実な方と考えたからです。
聖書(創世記11:11)
彼が置かれていた状況を整理しましょう。
2人は高齢で、妻のサラは不妊だったことがわかります。
当時、アブラハムは大体、100歳。妻のサラは90歳でした。
この頃はまだ、寿命が200年前後の時代でしたので、現代の100歳や90歳よりは若かったかもしれません。
しかし、聖書は老人という言葉を使っています。
アブラハムとサラは年を重ねて老人になっていて、サラには女の月のものがもう止まっていた。
聖書(創世記18:11)
しかも、サラはすでに月経もなくなっており、とてもじゃないけど、妊娠と出産ができるなんて普通考えません。
でも、彼らには実際に、イサクという子供ができました。
なぜ、でしょうか?
アブラハムは、すでにその年を過ぎた身であり、サラ自身も不妊の女であったのに、信仰によって、子をもうける力を得ました。彼が、約束してくださった方を真実な方と考えたからです。
聖書(創世記11:11)
信仰によって、約束してくださった方を真実な方と考えたからです。
状況を見た時、まず何を考えるか、それは、全ての出来事の上に神がおられるということです。
そして、神の約束に目を向けるのです。
この箇所は、全ての不妊の老人でも信じれば子供ができるというメッセージではありません。
大切なのは、アブラハムに、神が「子供ができる」と約束されたから、できたということです。
信仰は、何を信じるかが大切です。それは、聖書にある約束の言葉です。
試練が来た時、「自分はもうだめだ」と思わないでください。
聖書は、どんな試練も乗り越えられると約束しています。
あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。
聖書(1コリント書 10:13)
自分の弱さや罪の束縛によって失望しておられるでしょうか?
聖書は、キリストを信じるものは、罪と死の呪いから解放されて、永遠のいのちが与えられていると約束しています。
なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の律法が、罪と死の律法からあなたを解放したからです。
聖書(ローマ書8:20)
どんな状況も、神を縛ることはできません。
神の約束を信じるなら、あなたも状況によって支配されることはありません。