多くの人の問題は、正しいことを知らないということではありません。
正しいことを知っていても、行えないということが問題なのです。
聖書は、行いのない信仰は意味がないと言っています。
同じように、信仰も行いが伴わないなら、それだけでは死んだものです。
聖書(ヤコブ2:17)
つまり、聖書のことばを信じていても、その通りに行わないなら、それは信仰とは言えないということです。
とても手厳しい言葉ですが、私を含むクリスチャンにとっては実に耳の痛い真理です。
『7つの習慣』の著者スティーブン・コヴィーは、成功する人生と経営に関するベストセラー作家であり、世界的に有名な講演家でした。
彼の本や講演を聞いた多くの人が、彼のことばを参考にし、 会社経営を改善させたり、生き方を変化させたりしました。
しかし、彼は亡くなる前に、健康もすぐれず、事業に大きな負債を抱えていたそうです。
テレビ局の記者のインタビューを受け、記者は次のように質問したそうです。
「あなたは『7つの習慣』で多くの人を成功に導いたのに、なぜ事業には失敗したのですか?」
すると彼は、次のように答えたそうです。
「自分が話したとおりに生きることができなかったからです」
私たちも同じような壁にぶつかります。
聖書のことばをたくさん学んでも、そのように行えない自分がいるからです。
しかし、自分が思うように実行できない自分に気づいた時にこそ、実は聖書の福音の扉が開くのです。
神を信じるものは、神が喜ばれることを行う力も神から与えられるからです。
実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをあらかじめ備えてくださいました。
聖書(エペソ2:10)
信仰とは机上の空論ではなく、実際に行いとして目に見えるものであり、純粋に自分にはできないことを神の力によって行うものなのです。