あるメンタルトレーニングのプロが言っていました。
自分で気づかないうちに損している人の口癖は「でも」だと。
多くの人が、自分の現状を少しでも変えようと、相談しにくるそうです。
しかし、アドバイスをいうたびに「でも」を連発されると、「あれ、結局何を言っても無駄なのかなあ」と思ってしまうそうです。
結局、「でも」という人は、変わるためのチャンスを自ら拒絶しているのです。
イエス・キリストが生きていた時代、すべての人が彼の話を「その通りだ」と受け入れたわけではありません。
多くの人が自分の常識や経験から「でも」を連発していたでしょう。
私たちはどうでしょう?
聖書には素晴らしい約束がたくさん出てきます。
「信じれば救われる」
「一切の重荷を委ねなさい」
「あなたの心に平安を与えよう」
知らず知らずのうちに「でも」と言って、聖書のことばを拒絶していないでしょうか?
なぜ、私たちは変わることができないのか?
それは、シンプルです。
聖書にある神様のことばを素直に受け入れないからです。
あるとき、イエス様は弟子のシモン・ペテロにこのように言われました。
話が終わるとシモンに言われた。「深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい。」
聖書(ルカ 5:4)
ペテロはこう答えました。
すると、シモンが答えた。「先生。私たちは夜通し働きましたが、何一つ捕れませんでした。でも、おことばですので、網を下ろしてみましょう。」
聖書(ルカ 5:5)
気づきましたか?
彼は、「でも」と言っています。
しかし、「でも」の位置が違うのです。
これが私たちがするべき「素直な信仰」です。
シモンペテロはプロの漁師です。
イエス様は、元大工で今は宣教活動をしており、漁に関してはスーパー素人です。
シモンペテロからすれば、「おいおい、いくらイエス様だからって、漁師の俺らが夜通し働いてこの様なら、100%魚は獲れないよ」と言いたくなるはずです。
最初に、「でも」と言いたくなるのです。
しかし、彼は、事実を語ったのち、「でも」という言葉で自分の考えを打ち消し、神様のことばを素直に実行したのです。
そして、そのとおりにすると、おびただしい数の魚が入り、網が破れそうになった。
聖書(ルカ 5:6)
結果、イエス様のことばの通りなりました。
今、このメッセージを聞いている中で、この結果を驚いた人は、いないと思います。
イエス様は神様なんだから。
でも、私たちの今の状況が、本当に変わったら、絶対に驚くはずです。
信じていないからです。
今日、神様のことばに対して「でも」というのをやめましょう。
自分の状況や経験、考えに対して「でも」と言い、おことばなら、その通りになると信じます!と告白しましょう。
神が語るならば、聖書に書いてあるならば、必ず、私たちの状況は変わります。