みなさんは、誰かに敵対されているでしょうか?
敵対とは、嫌なことを言われたり、いじめられたり、嫉妬されたり、少なくても相手が自分を好きだとは言えない状態のことです。
実は、敵対されている状態というのは、相手は、少なくともあなたの実力などを認めているのです。
逆に、相手にとって、脅威に感じないような人は無視されます。
「無視してやる!」と敵対心でする無視ではなく、相手から見れば透明くらいの存在です。
聖書は、私たちに敵対する存在がいるとはっきり言っています。
では、これらのことについて、どのように言えるでしょうか。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
聖書(ローマ8:31)
「これらのこと」は、パウロがローマ書の5〜8章で記した福音のメッセージを指していると思われます。
福音のメッセージが本当だとするれば、どういう結論になるのか?ということです。
もちろん、パウロは100%本当であると信じているのですが、あえてそのような言い方で論理的に強調しているのです。
聖書に書いている福音が本当なら、論理的に神が味方ということことになります。
神が味方なら、誰が敵対できますか?
できるわけないでしょ!という論理です。
一方、隠れた事実として、本来、誰も敵対できないはずだけど、敵対する人はいるということです。
私たちに敵対するのは誰でしょうか?
サタンです。悪魔です。
もし、サタンがあなたに敵対しているならば、それは冒頭お話しした通り、あなたを認めている証拠です。
あなたが、福音をしっかり信じて、神様のために進んでいるからこそ、サタンは驚異に感じるのです。
「こいつが天国に行ったらまずい。他の人にも良い影響を与え出したら、えらいこっちゃ」
「いじめて、脅して、信仰を弱らせてやろう。こいつは羊並みにびびりだからな」
サタンの敵対に打ち勝つ方法は、「神が味方」という事実とそれを信じる信仰です。
ビビるような出来事が起こったら、迷わず祈りましょう。
私は、いつも声に出して宣言します。
「イエスの名前によってサタンよ、され!神が味方であるから、お前は私に指一本触れることはできない。近づくこともできない」
しかし、ここで考えたい問題があります。
それは、サタンと平和を作っている人がいること。
敵対されていないなら、サタンはあなたを味方か無害だと思っているかもしれません。
「こいつは、クリスチャンと言いながら、世の中の誘惑に陥り、祈らないし、聖書も読まないよな」
「聖書読んでいるけど、こいつは宗教的だから自分の力で生きているな」
「平日は、普通の人と全然変わらず、影響力もないから、ほっといてもいいな」
今日、福音にもう一度、立ち返りましょう。
ガラテヤ2:19-20を宣言して、神様のために生きる決意を新たにするのです。
私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。
聖書(ガラテヤ2:19-20一部)