はじめに
今日は、「賜物(たまもの)とは何なのか?」について解説します。
教会では時々「誰々さんには○○の賜物があるのね」というような会話がされることがあります。
なるほど、「才能」のことかな?と推測できますが、果たして聖書が言う「賜物」のもともとの意味は何なのでしょうか?
この記事を読めば、「賜物(たまもの)って何?」という問いに対して明確に答えることができるようになります。
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「賜物(たまもの)とは何なのか?」一言で言うならば、賜物とは、神様からの贈り物という意味です。
私たちが持っているものは全て神様からいただいた賜物(恵み)
キリスト教では、私たちが持っているものは全て神様からいただいた賜物(恵み)であると考えます。
新約聖書の中では、聖霊がそれぞれのクリスチャンに与えられる霊的な特殊能力のようなもの(例:癒しの力、奇跡を行う力、神からの言葉を受け取る力など)を「賜物」と呼ぶことがありました。
そこから転じて今日の教会では、一般的に「才能」と呼ばれるようなものに対して「賜物」という言葉が使われるようになりました。(例:「君には絵を描く才能があるんだね!」=「君には絵の賜物があるんだね!)
しかし、クリスチャンが持っている一番の賜物は、救われたことによって手にする「永遠のいのち」だと言うことができるでしょう。
【聖書で使われている例】
レアは言った。「神は私に良い賜物を下さった。今度こそ夫は私を尊ぶでしょう。彼に六人の子を産んだのですから。」そしてその子をゼブルンと名づけた。
聖書(創世記30:20)
それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。
聖書(1ペテロ4:10)
【身近な例】
一般的にもよく使われている、超人的な資質を備えている人を形容する「カリスマ」という言葉。実はこれはギリシア語の「カリス(恵み)」からの派生語で、「神の贈り物」を意味します。
【教会での使用例】
教会では、クリスチャンそれぞれが持っている「賜物」を生かして、神様にお仕えします。歌の才能がある人は聖歌隊、教えることが得意な人は教会学校の先生、というように。
ただ、クリスチャンでも「賜物」=「才能」だと勘違いして、「賜物」の意味の深さと広さを忘れてしまうことがあります。「自分には才能がないから、神様に愛されていないのだろうか?」というように。たとえ自分に才能がないと思ったとしても(それは実は勘違い。みんな自分の隠された才能に気づいていない)、人はみんな神様からの賜物はいただいています。教会は、そんな「賜物」を発見する場所でもあると言えるでしょう。
まとめ
「賜物(たまもの)とは何なのか?」一言で言うならば、賜物とは、神様からの贈り物という意味です。
教会では、「才能」のことを「賜物」と表現することが多いです。しかし、「賜物」は「才能」に限らず、神様が私たちに与えてくださっているすべての恵みのことを言います。環境、機会、出会い、他者からの援助なども全部、信仰の視点から見ると神様からのギフトです。
そして、クリスチャンにとっての一番のギフトは、イエス・キリストを救い主として信じることで救われて得た、「永遠のいのち」です。