はじめに
今日は、「十字架とは何なのか?」について説明していきたいと思います。
十字架はキリスト教のシンボルだということは、一般の人にも広く浸透しています。また、信仰があるないに関わらず、十字架はネックレスなどのアクセサリーとしても人気が高いです。十字架は、もともとは処刑のための道具です。つまり、クロスのネックレスをつけるのは、極端に言えば電気イスのイヤリングをつけるのと同じようなものなのです。それだけ聞くととても物騒ですが、なぜ人がその処刑道具をアクセサリーとしてつけるようになったのか、それにはとても深い理由があったのです。
この記事を読めば、十字架の意味と、その大切さを知ることができます!
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「十字架とは何?」一言で言うならば、十字架とは、イエス・キリストが全ての人の罪のために呪われた者として死なれた愛の犠牲の証です。
1.十字架刑
十字架刑は、古代民族の間に広く普及していました。エジプト、フェニキヤ、アッシリヤ、ペルシヤといった古代文明で、十字架の形をした柱が発見されています。ローマ人は、フェニキヤ人からこの方法を引き継いだと言われています。柱の形は様々で、X字形、T字形、十時形がありました。
2.十字架刑に対する人々の認識
十字架刑で処刑されることは、犯罪者に対する軽蔑ということ以上のものがありました。十字架刑は、恐怖と屈辱の別名であり、また特にユダヤ人にとっては、木にかけられることは、神にのろわれたことを意味していたのです。しかし、イエスがのろわれた死をむかえることは、神の計画の内だったのです。
3.イエス・キリストの十字架の苦しみ
十字架刑における死因は、そのほとんどは実は窒息死です。両腕両足は釘で固定されていますが、胴体はしばらくすると自分の体の重さで下がってきます。すると、横隔膜を上手く収縮できなくなって呼吸が苦しくなってきます。楽に呼吸をするためには、釘で手首が裂かれる激痛に耐えながら体を再び持ち上げなければなりません。それを繰り返しながら、やがて体力が尽き、体を支えきれなくなって垂れ下がり、呼吸困難によって死亡するのです。
場合によっては息絶えるまで数日かかることもあり、死刑囚はその間ずっとこの苦しみを味わわなければいけないという、とても残酷な刑だったのです。イエスの両脇にいた死刑囚は、安息日前に絶命する気配がなかったので、足を骨折させられて窒息死しました。イエスの場合、十字架刑の直前にひん死寸前の鞭打ちの刑を受けていたので、絶命までの時間は短かったです。
4.のろいの象徴から希望の象徴へ
ところで、なぜイエスは十字架刑というのろわれた死をとげなければならなかったのでしょうか?
第一に、人はみな罪ゆえにイエスのように死ななければならなかったということです。聖書には、神の御心にそぐわずに、無視して生きる者はみなのろわれる(申命記28:15)とあり、のろわれた死をとげるべき存在でした。
しかし、もしあなたの神、主の御声に聞き従わず、私が今日あなたに命じる、主のすべての命令と掟を守り行わないなら、次のすべてののろいがあなたに臨み、あなたをとらえる。
聖書(申命記28:15)
ところが、神は世を愛するがゆえに、ひとり子であるイエスを身代わりに、すべての人の罪を背負って、残酷でのろわれた死を遂げられたのです。
多くの人にとって、十字架にかけられた人物が救い主であるということは信じることができませんでした。むしろ、そのような教えを説くことは神に対する冒涜で、気が狂っていると思われました。しかし、そこに神の知恵がありました。救いを、十字架を通して受け取るには、自分の知恵や常識、偏見を超えなければいけません。十字架が救いのツールとして選ばれたのは、十字架がフィルターとなって、救いが自分の力ではなく、神の力によっていただくことができることを人々が思い知るためだったのです。このようにして、のろいの象徴であった十字架は、神の最高の知恵である救いの希望を示す重要なシンボルとなっていったのです。
まとめ
十字架とは、イエス・キリストが全ての人の罪のために呪われた者として死なれた愛の犠牲の証です
- 十字架とは、古代における最も残酷な処刑方法でした。
- 十字架刑を受ける者は、犯罪者ということ以上に、神にのろわれた者と考えられていました。
- イエス・キリストは、全ての人の罪のためにのろわれた者として、十字架刑という最も残酷な死を遂げました。
- イエス・キリストの十字架の犠牲によって、それを信じる人に永遠のいのちが与えられる希望が与えられます。今、十字架は死とのろいの象徴ではなく、いのちと希望の象徴となりました。