はじめに
今日は、「聖餐式とは何なのか?」について説明していきたいと思います。
日曜日の教会の礼拝には、聖餐式というプログラムがあります。
小さなパンと小さなカップが、回ってきて、それらをいただくのです。
一つのパンをちぎって配布する教会もあれば、クラッカーみたいなものを配る教会もあります。
カップの中身は、ぶどうジュースが多いでしょう。
毎週行なっている教会もあれば、月に一回行う教会もあります。
クリスチャンなら、当たり前のように行なっている聖餐式ですが、「なぜ、この聖餐式が大切であるか」説明してと言われたら難しいのではないでしょうか?
また、初めて教会に来た人からしてみれば、「なんだこの儀式は?」と戸惑ってしまうかもしれません。
でも、聖餐式って一体どんな意味があるのでしょうか?
この記事を読めば、聖餐式の意味と、その大切さを知ることができます。
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「聖餐式とは何なのか?」一言で言うならば、聖餐式とは、イエス・キリストが、十字架にかかる前夜に弟子たちと最後の晩餐をされた特に定めた礼典(キリスト教の儀式)です。
1.プロテスタント教会の二つの礼典
カトリック教会では「秘蹟(サクラメント)」という名称で行われる儀式が7つあるのに対して、プロテスタント教会の礼典は、聖餐式と洗礼式のたった二つしかありません。その理由は、カトリック教会は伝統を重んじるのに対して、プロテスタント教会は聖書に基準を置くからです。聖餐式と洗礼式は、新約聖書に記述があり、どちらもイエス・キリストが直接命じられたものであるため、プロテスタント教会はこれを正式な礼典として執り行っています。
2.聖餐式の根拠
聖餐式は、イエス・キリストが十字架にかかる前夜、弟子たちと最後の晩餐を持った席の上で制定されました。イエスは食卓にあったパンとぶどう酒を取り、「これはわたしのからだです」「これはわたしの契約の血です」と言われ、それを取って食べ、飲むように命じました。それからキリスト教会は、今に至るまで2000年間、この聖餐式を忠実に守り行ってきました。
また、一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、神をほめたたえてこれを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」また、杯を取り、感謝のいけにえをささげた後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。これは多くの人たちのために、罪の赦しのために流される、わたしの血です。
聖書(マタイの福音書26:26-28)
より正確な起源は旧約聖書の過越の祭りにあります。
こちらの動画を参照→
【聖書の終末預言㉝】過越の祭りに隠されたメシヤ①最後の晩餐の種なしパン(マタイ26:26, レビ記 23:5-6)
【聖書の終末預言㉞】過越の祭りに隠されたメシヤ②最後の晩餐のぶどう酒(出エジプト記6章6-7節)
3.聖餐式を行う意味
聖餐式を行うのには、いくつかの理由があります。
① イエスの十字架を思い起こす
聖餐式を行う第一の理由は、イエスが何のために十字架にかかられたのかを思い起こすためです。イエスご自身が十字架かかられて死ぬことによって、それを信じる人の罪が赦されるのです。聖餐式のパンはイエスが十字架の上で裂かれた身体を、またぶどう液は流された血をあらわしています。これを目に見えるかたちで食べ、飲むことでもう一度信仰を強くするのです。
② 教会の一体性
聖餐式は、同じパンとぶどう酒つまり同じキリストのからだと血を食べ、飲むことでキリストの死と生に合体し、神と人との家族の一員となるという神秘性を持っています。教会で信者が同じ時間、同じ場所で聖餐式を執り行うことで、教会の一体性を確認するのです。
③ 目に見えるメッセージ
聖餐式は、目に見えるメッセージです。プロテスタント教会は特に、可視化は偶像礼拝につながるとして、見えない聖書のことばを大切にしていますが、唯一この聖餐式と洗礼式だけは、目に見える礼典として執り行っています。百聞は一見にしかずじゃないですけど、聖餐式を見たのをきっかけに聖書のことばの意味を理解して信仰を持つようになったというクリスチャンの方も少なくありません。
主イエスは渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげた後にそれを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」食事の後、同じように杯を取って言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。」ですから、あなたがたは、このパンを食べ、杯を飲むたびに、主がこられるまで主の死を告げ知らせるのです。したがって、もし、ふさわしくない仕方でパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。だれでも、自分自身を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。みからだをわきまえないで食べ、また飲む者は、自分自身に対するさばきを食べ、また飲むことになるのです。
聖書(1コリント11:23後半~29)
4.聖餐式に参加するには?
ほとんどの教会では、聖餐式に参加できる(パンとぶどう酒を食べ、飲むことができる)のは洗礼を受けた人に限られています。それは、聖書に「ふさわしくない仕方でパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります」と書いてあるからです。なので、差別という意図ではなく、信仰をはっきりと表明しないままの人がパンとぶどう酒を食べ、飲んで罪を犯すことがないようにという配慮から、未受洗者の聖餐参加を遠慮してもらっています。また、受洗した人も、改めて自分の信仰を吟味し、心を新たにする時にもなるのです。
5.その他の豆知識
・ 聖餐式
聖餐は、その他に「主の晩餐」、「主の食卓」、「主の杯」、カトリックでは「ミサ聖祭(聖体の秘跡)」と呼ぶことがあります。
・ 愛餐
初期のキリスト教会で、聖餐式の前後に行われていた信者の会合。現在も、教会で持たれる食事会を愛餐会と呼びます。
・ パンとぶどう酒
現代の教会では、パンとぶどう酒をそのまま使用しない教会も多い。パンはクラッカーのようなもの、またぶどう酒はぶどうジュースを使用することがあります(ちなみに、ウェルチのグレープジュースは、教会の聖餐式のために開発されました!)。大切なことは、それぞれがイエス・キリストの裂かれたからだと流された血であることがわかり、意味をしっかりと認識して食べ、飲むことです。
・ 聖餐の解釈
パンとぶどう酒を、イエス・キリストのからだと血の象徴として考えるのか、それともイエス・キリストのからだと血そのものだと考える二つの立場があります。また、それぞれの立場においても神学者や牧師によって微妙な理解の差があります。あまり深く入り込みすぎても難しい話になってしまうので、二つの立場があるということだけ頭に入れておいてください。
まとめ
「聖餐式とは何なのか?」一言で言うならば、聖餐式とは、イエス・キリストが、十字架にかかる前夜に弟子たちと最後の晩餐をされた特に定めた礼典(キリスト教の儀式)です。
⑴聖餐式とは、イエス・キリストが、十字架にかかる前夜に弟子たちと最後の晩餐をされた特に定めた礼典(キリスト教の儀式)です。
⑵聖餐式は、イエス・キリストが直接制定された礼典です。
⑶聖餐式を行うことによって、キリストの十字架を思い起こし、教会の一体性を確認し、それを見る人に対する目に見えるキリストの十字架のメッセージとなるのです。
⑷聖餐式は、キリストの十字架の恵みに入るようにという神様からの招きです。その意味を理解し、自分を吟味しながらあずかることが大切です。