はじめに
今日は、「献金って何なのか?」について解説します。
国防献金や政治献金などの言葉がありますが、一般的には献金とは、ある目的に使ってもらうために金銭を差し出すことをいいます。では、教会の献金にはどのような意味があるのでしょうか?
この記事を読めば、「献金って何?」という問いに対して明確に答えることができるようになります。
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「献金とは何なのか?」一言で言うならば、献金とは、「神に対する感謝と信頼を表す行為」のことです。
1.献金の前提
献金の意味を知る上で前提になる最も大切な価値観は、「私たちが持っているものはすべて神から与えられたもの」であるということです。
ビジネスの出発点は、いわゆる第一次産業と言われる、自然界のものを採取するところからはじまります。自然は神の被造物ですから、タダで手に入れているわけなので、神の恵みなのです。
地とそこに満ちているもの 世界とその中に住んでいるもの それは主のもの。
聖書(詩篇24:1)
また、私たちは労働の対価としてお金を受け取りますが、私たちの体も、能力も、健康も、私たちが0から生み出したものはなく、すべて神からいただいたものであるはずなのです。
このような価値観で見るならば、私たち人間は、神から与えられたものの「所有者」ではなく「管理者」であると言うことができるでしょう。
それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。
聖書(1ペテロ4:10)
つまり、献金は自分のものを神に差し出すのではなく、神からいただいた全てのものの一部をお返しする行為なのです。
2.献金の意味
それでは、神へのお返しとしての献金には、どのような意味が込められているでしょうか。二つ紹介します。
① 感謝
献金は、神からいただいた恵みに対して、神への感謝としてささげるお金のことをいいます。
あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、すべてを惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して神への感謝を生み出すのです。
聖書(2コリント人への手紙9:11)
神は世界や自然界の秩序を維持し、私たちに生きるために必要なすべてのものを満たしてくださいます。これを難しい言葉で神の一般恩恵(いっぱんおんちょう)と言います。それと合わせて、神はひとり子イエス・キリストのいのちを犠牲にすることで、人々に永遠のいのちを与えられました。
これを難しい言葉で神の特別恩恵(とくべつおんちょう)と言います。この二つの神の恵みを覚えて、感謝を現実にお金を捧げることで表す行為が献金です。
例えば、「神様、命を与えてくださってありがとうございます」「親や家族、日々の食べ物をありがとうございます」という感謝は、一般恩恵(いっぱんおんちょう)に対する感謝です。
「神様、私の罪のために十字架にかかり死んでくださって、私を罪の呪いから解放してくださってありがとうございます」と感謝することは、神の特別恩恵(とくべつおんちょう)に対する感謝です。
② 信頼
献金は、「私を養うのは、他の何ものでもなく、神である」という、神に対する信頼の表明でもあります。私たちの生活を支える基盤は経済力であると思ってしまいます。お金が少なくなってくると、どうしても不安になってしまいます。けれども、イエスは言われました。
何を食べようか何を飲もうかと、自分のいのちのことで心配したり、何を着ようかと、自分のからだのことで心配したりするのはやめなさい。
聖書(マタイ6:25)
あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます。
聖書(マタイ6:32)
献金という形で神への信頼を表すときに、このような心配から解放されて、神に委ねて生きる自由を体験することができるのです。
3.献金の心得
① 自由な心から
献金は強制ではありません。気持ちが大切です。神はお金を必要としているわけではなく、ささげる人の心を望まれています。
私は証しします。彼らは自ら進んで、力に応じて、また力以上に献げ、
聖書(2コリント人への手紙8:3)
ですので、献金は金額が大事というわけでもありません。多くをささげている人が偉いわけではありません。少額でも、精一杯の礼拝の気持ちが込められているならば、神は喜んでその献金を受け取ってくださるのです。
イエスは、金持ちが大金を、献金箱がジャラジャラ音を立てるくらい捧げたことよりも、貧しい女性がわずかでも、自分の生活費すべてを捧げたことを評価されました。(参照:マルコの福音書12:41〜44)
② 神の祝福を信じる
原則として、献金は自由な心からささげるものですが、人は忘れやすい生き物ですから、だんだんといい加減な心でするようになってしまいがちです。「ありがとう」が「当たり前」になってしまう。これは人間関係でも、神との関係でも同じです。
神は、「献金でわたしを試してみなさい」と言われました。
十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしを試してみよ。──万軍の主は言われる──わたしがあなたがたのために天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうか。
聖書(マラキ書3:10)
もし献金を神にささげるなら、それ以上の祝福で満たすと約束されたのです。これは、「神を試してはならない」という聖書の教えの唯一の例外です。それほど、神は本気で人間と向き合おうとされているのです。私たちも、献金という形で、本気で神への信頼を表すならば、神も本気で私たちを祝福してくださるのです。
4.献金の種類
教会の献金には、献金の特質や用途に合わせて、いくつかの種類があります。
① 月定献金(十分の一献金)…毎月、自分が心に決めた一定の額をささげる献金。旧約聖書の教えでは、全収入の十分の一をささげるようにと定められていて、現在でもそれが基準となって教えている教会が多い。
② 礼拝献金…礼拝の中でささげられる献金
③ 感謝献金…結婚や出産など、自分の身に起こった嬉しい出来事を神に感謝する意味を込めてささげる献金
その他にも、教会によって設けられている献金の種類があると思うので、献金を捧げたいと思ったら、教会の牧師や指導者に相談してみてください。
まとめ
献金とは、「神に対する感謝と信頼を表す行為」のことです。
- 献金の前提
私たちが持っているものは全て、神から与えられたもの。 - 献金の意味
①感謝
②信頼
献金とは、与えられたものの一部を神に返す行為であり、恵みに対する感謝の表現であり、神が自分を養ってくださることへの信頼の表明である - 献金の心得
①自由な心から
②神の祝福を信じる
献金は、自由な心をもって、自発的にささげるもの。神はその思いに祝福を持って本気でこたえてくださる。 - 献金の種類
① 月定献金(十分の一献金)
② 礼拝献金
③ 感謝献金
献金には様々な種類があります。それぞれの特質や用途を理解し、心を込めてささげましょう。
参考文献:「洗礼を受けたあなたのために『信仰生活』」(日本同盟基督教団教育局)