ネットで以下のような相談が載っていました。
私には、元同僚に許せないと思う人がいます。その人にされたことは馬鹿にされた一言でした。もう3年も経つのですが、どうしても元同僚のことを思い出す度に胸が締め付けられるような苦しさを覚えます。もちろん今まで、理不尽に怒られたり、嫌な言葉を言われたこともありますが、なぜか元同僚のことだけは許せない気持ちがあります。なぜこんなに執念深く考えてしまうのか、どう乗り越えたらよいのかを教えてほしいです。(32歳・大学職員・Yさん)
Yさんは3年間も元同僚に対して苦々しい心を持っていたのです。
私たちの誰もが、自分に嫌なことをした相手を赦せなく、苦々しい気持ちを持ち続けることはあります。
しかし、この苦々しい気持ちを持ち続けていると、怒りや虚しい気持ちなど、常にマイナスな感情が付きまとい、結局その感情に振り回され、ダメージを受けるのは私たちです。
聖書は、苦々しい感情に悩まされない秘訣は、常に神の恵みを忘れないことだと言っています。
だれも神の恵みから落ちないように、また、苦い根が生え出て悩ませたり、これによって多くの人が汚されたりしないように、気をつけなさい。
聖書(ヘブル12:15)
恵みを忘れると、心に苦い根が育ちます。
聖書での「恵み」とは福音と関係しています。
「本来、受ける価値のない罪人である私たちが、神の一方的な愛によって救いを与えらえること」を意味します。
大事なのは、「本来、受ける価値のない罪人である私たち」という自己認識です。
そもそも、良い行いを積んだとか、良い心を持っていることによって、神に認められて救いを獲得したのではなく、
ただただ、神の恵みによって、愛され、選ばれ、赦されたのです。
これは、信仰の土台と言えるほど大切なことです。
しかし、クリスチャンになると、なぜかこの恵みを忘れてしまうことが多々あります。
私もあります。
自分が、福音を受けるにふさわしい存在であると勘違いし、他の人に対して上から目線で接してしまうようになります。
自分が恵みで神に赦されたのに、他の人の些細なことで赦せなくなります。
自分は神に裁かれなかったのに、人を裁くようになります。
これらは、恵みを忘れた結果、生ずる「苦い根」です。
もちろん、冒頭のYさんの話のように、元々は、傷つく言葉を言った相手も悪いのですが、
ポイントは、自分も他の人を傷つけてしまう弱さがあるという事実を受け入れることです。
神様の目から見たら、相手も私たちも、どんぐりの背くらべであり、罪のない人は一人もいないんです。
神様は、私たちを100%恵みで赦し、愛し、救って下さったように、私たちの周りの「私たちから見て、あのやろう!」と思える人も、同じように愛し、赦し、救われるのです。
まずは、自分に対する神の恵みに心を向けましょう。
すると、苦い根が嘘のように消え去っていきます。
もし、心に憎しみや恨みを抱えているなら。
誰かに律法的、偽善的になり、信頼できなくなってしまっているなら。
神の恵みに立ち帰り、苦い根を刈り取りましょう。
神の恵みを信じるものは、神の恵みを日々、受けて満たされ、その恵みを他の人に施します。
それが教会であり、イエスを信じる者たちが集まり、そして世に遣わされるということです。
戻るべきは、いつだって、キリストの十字架の恵みです。