実際に法律に反した行動をとってしまった時はもちろんのこと、誰かを傷つけてしまった時などに「なんで自分は悪いことをしてしまったんだ…」と自分自身を責めたり後悔しているときにおきる感情を「罪悪感」と言います。
心理カウンセラーの根本 裕幸(ねもと ひろゆき)さんによると、カウンセリングの中でいちばん問題になる感情がこの罪悪感であることに気づいたそうです。
つまり、罪悪感がなくなればクヨクヨしたり、悩んだりすることがなくなるということです。
聖書は、罪悪感の根本の罪は、神様によって完全に赦され解決すると言っています。
「さあ、来たれ。論じ合おう。──主は言われる──たとえ、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとえ、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。
聖書(イザヤ 1:18)
重要なフレーズは「たとえ~であっても」という言葉です。
たとえ、あなたの罪がどんなにひどかったとしても、あなたの罪は赦されるという宣言です。
神がそのように宣言されるなら、私たち側がどんなに「いや、俺の罪は赦されないんだ」と思っても事実として赦されるのです。
ある国の女王が、家来の一人が所有している製紙工場を訪問しました。
女王が、ぼろぼろのゴミのようなぼろ布が山のように積まれている部屋を通った時、職工たちがそのぼろ切れを分類していました。
女王は家来に「あなたはこれらで紙を作るのですか」と尋ねると、家来は「はい、そうです。このようなぼろ布から最高の紙が作れます」と答えました。
すると、女王は、「どうやってこの汚れたぼろ切れできれいな白い紙を作ることができるのですか」と尋ねました。
家来は「まず、ほこりと垢をほぼ完全に除去する洗浄過程があり、その時にこの赤いぼろを使います」と答えました。
宮殿に戻った女王は、数日後、一つの小包を受け取りました。
小包の中には白くて美しい紙が入っていて、その紙には女王の名と美しい模様が刻まれていました。
女王は、紙の下に1枚のメモを見つけました。
「先日、陛下(へいか)が私どもの工場を訪問されたときにご覧になったぼろ布で作った紙です。私どもの工場が、どんなに多くの恵みを与えてくれるかを、お分かちしたいと存じます。私は、ぼろが紙になっていく様子を見て、イエス様がどうやって、悪しき罪人の深紅のような罪を雪のように白くすることができるのかを知りました。ぞうきんのようなぼろが美しい紙に変わって、女王陛下の宮廷に届けられたように、 悪しき罪人も神の恵みによって雪よりも白く変えられてきよめられ、主が来られる時に神の国に行けると信じます」
神は、私たちの罪が紅のようであっても、キリストを信じで海い改めるなら赦し、キリストに似た者として聖めてくださるのです。
ただし、それには条件があります。
あなたがたは、もし喜んで聞こうとするなら、この地の良い物を食べることができる。
聖書(イザヤ 1:19)
このような恵みは、単なる宗教的儀式や私たちの行いによって与えられるのではなく、私たちが真剣に神様の言葉を聞こうとする決断によるのです。
罪悪感のもととなる罪が神によって解決されることを素直に信じ、受け入れましょう。