罪悪感を手放す方法「無意識に不幸になる道を選択していませんか?」聖書(ローマ8:1)

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次のようなことに思いあたる節はありませんか?

  1. 他人の期待に「過剰に応えようとしてしまう」ところがある
  2. 自分と仲よくしてくれる人に「どこか申し訳ない」気持ちを感じている
  3. 過去に自分がしたことに対して、「後悔していること」がある
  4. 仕事や恋愛を頑張っているに、報われない

心理カウンセラーの根本裕幸(ねもと ひろゆき)さんによると、これらは罪悪感が心の中にあるときによく起こる反応だそうです。
根本さんは、カウンセラーとして、20年間、たくさんの人に会う中で、いちばん問題になる感情がこの罪悪感であることに気づいたそうです。

 聖書は、「キリストを信じたものは、罪悪感を感じる必要はない」と言っています。 

こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。

聖書(ローマ8:1)

この「罪に定められる」という感覚が罪悪感の正体です。

「あなたには「罪」がありますか?」と聞かれれば、いまいちピンと来ない人も多いと思いますが、
先ほどのリストのような反応に気づく時、自分の中に何かしらの罪の意識があることが明らかになります。

どんなに「自分には罪がない」と信じようとしても、罪悪感から解放されることは不可能です。
なぜなら、聖書の通りすべての人間には「罪」があるからです。

すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、

聖書(ローマ3:23)

「小さな嘘やごまかし、人を傷つける言動」などを罪に含まれるならば、自分は罪がないと言える人はいないのではないでしょうか。
なので、私たちを不幸にする罪悪感を消し去る方法は、罪そのものを処理することしかないのです。

では、どうやって、罪そのものを処理することができるのでしょうか?
それは、私の罪はイエス・キリストが十字架上で代わりに罰せられることによって処理されたということを信じるだけです。

ここで、注意すべきことがあります。
それは、キリストにより罪の問題が処理されたとしても、罪悪感を感じなくなるまでには時間がかかるということです。
染み付いた考えの癖やネガティブ思考が顔を出すことがあるでしょう。

その時に、すべきことは、「宣言」です。
何を宣言するのか?

キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。

聖書ローマ8:1

キリストを信じたあなたの罪を裁くものは誰もいません。
神様が赦しているからです。

その立場を事実として宣言し続ければ、必ず、罪悪感は消え去ります。

今日の祈り 今日の祈り
神様、自分を不幸にする行動の原因が罪悪感であることを知りました。キリストを信じ、罪の問題が処理されたことを信じます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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