吉井雅之(よしいまさし)さんの「習慣が10割」という本には、このようにあります。
「習慣が続かないのは、意志が弱いからではなく、習慣の作り方を知らないから」
これは、なぜ、私たちの祈りも、なかなか続かないのかということにも適用できます。
イエス様は、祈るためにあえて、山に登られました。
群衆を解散させてから、イエスは祈るために一人で山に登られた。夕方になっても一人でそこにおられた。
聖書(マタイ14:23)
聖書を読むと、イエス様は祈りの習慣を持っておられました。
4つのフレーズから、どうやってイエス様が祈りの習慣を保っておられたかを見ていきましょう。
①解散させる
まず、祈りに集中するためには、祈りを妨害するものから離れる必要があります。
聖書を見れば、イエス様はいつも、人々を愛し、人々と時間を過ごし、彼らに教え、彼らを癒されまいた。
しかし、ずっと人々の必要を満たし続けることが必ずしも正しいわけではありません。
イエス様は、祈るために、あえて弟子や群衆を自分から離れさせました。
群衆は落胆したはずです。「イエス様、冷たい!」「えーなんでだよ!」「もう、お前にはついていかないからな!」
そのような声もあったはずです。
しかし、「人の必要だけのために生きていたら」祈る時間は確保できません。
私たちを祈りから遠ざけているものは、思っている以上に多いです。
友達からの連絡、仕事の依頼、SNS、スマホ、ゲーム、自己啓発。
これらは、全て悪いことではありません。
しかし、これらのもので自分の時間を使い切ると、祈る時間もエネルギーも残りません。
②一人で
どんなに人が好きな人でも、一人の時間が大事です。
同じように、みんなで祈る時間の他に、一人で、祈る時間が必要です。
教会では何人かで祈ることもあるでしょう。
でも、大体の場合、祈りの時間は最後のちょびっとで、大半が祈りの課題を分かち合う時間。
つまり、人と会ったら、祈る時間よりも、話す時間が大半になります。
イエス様は、一人で神の前に出る時間を持っていました。
③山に登った
一人で祈る時間を確保するためには、山に登るという犠牲が必要です。
思い立ったら、祈るというざっくりとした計画では難しいほど、私たちの生活は祈りを妨害するもので満ちています。
一番の妨害は、私たちの心です。
その場で、祈ろう!とするのではなく、山に登るアクションを作りましょう。
例えば、家の中に祈りの部屋を作って、そこに何も持たずに入る。
教会に行く。本当に山に登る。
移動時間や費用もかかるかもしれませんが、これらのアクションと祈りを結びつけることで、格段に祈りの習慣が身につくようになります。
④夕方になっても
5つのパンと2匹の魚の奇蹟を行った後の出来事だと考えると、これは午後5時くらいの夕方ではなく、もっと夜が深まった時間です。
もしかすると、夜中かもしれません。
日課のようにさっくり祈る時もあるでしょう。
しかし、定期的に、神との親密な時間をたっぷり持つことを心がけましょう。
場所を変えて、時間を忘れて、祈る時間。
最近、取れていますか?
①解散させる
②一人で
③山に登った
④夕方になっても
このフレーズから見ると、イエス様はものすごい意思の持ち主というよりは、
「祈りの時間」を確保するために、相当の犠牲と努力をしていたことがわかります。
私たちも、祈りの習慣を築けるように、スケジュールを見直したいですね。