地獄と一口にいっても、聖書には、地獄の他によみ、ハデス、火の池、ゲヘナなど、さまざまな表現が出てきます。
それぞれ、何が違うんでしょう?
それとも、同じなのでしょうか?
聖書には大きく分けて2種類の地獄が出てきます。
2段階といった方が理解しやすいかもしれません。
①よみ(シオール/ハデス)
旧約聖書では、ヘブライ語で「シオール」
彼らと彼らに属する者はみな、生きたまま、よみに下った。地は彼らを包み、彼らは集会の中から滅び失せた。
聖書(民数記16:33)
新約聖書では、ギリシャ語で「ハデス」
金持ちが、よみで苦しみながら目を上げると、遠くにアブラハムと、その懐にいるラザロが見えた。
聖書(ルカ16:23)
お持ちの聖書の訳によっては、そのまま「ハデス」となっていることがあります。
新改訳2017では、「ハデス」という言葉は全て「よみ」に統一されています。
シオールとハデスは、同じ場所です。
それで、この「よみ」はどういう場所かというと、
第一の死から第二の死までの期間、イエス・キリストを救い主と信じない者を受け入れる苦しみの場所です。
あの死んだ金持ちが苦しんでいた場所です。
金持ちは叫んで言った。『父アブラハムよ、私をあわれんでラザロをお送りください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすようにしてください。私はこの炎の中で苦しくてたまりません。』
聖書(ルカ16:24)
地獄そのものではありませんが、それでも大変苦しい場所です。
②ゲヘナ(火の池)
これは最後の審判(白い御座のさばき)の後、永遠の苦しみを経験する場所で、いわゆる地獄です。
ゲヘナでは、彼らを食らううじ虫が尽きることがなく、火も消えることがありません。
聖書(マルコ9:48)
つまり、聖書はハデスとゲへナを区別しているということです。
それから、死とよみは火の池に投げ込まれた。これが、すなわち火の池が、第二の死である。
聖書(黙示録20:14)
イエスを救い主として受け入れずに死んでいった人々は一時的にハデス(よみ)に行く。これを第一の死。
最終的には第一の死とハデス(よみ)ごと、ゲヘナ(火の池)に投げ込まれる。これが第二の死です。
聖書が地獄についてなんといっているかについては整理できました。
あとは、地獄にいかない方法です。
それは、イエス・キリストが十字架によって私たちの代わりにゲヘナ行きの罰を受けてくださったということを信じるだけです。