ある調査によると、五感による知覚の割合として83%の情報は視覚情報から得ているそうです。
どういうことかというと、人は目で見るものに影響されやすいということです。
確かに、音だけで聞くより、YouTubeなどの動画の方がわかりやすく感じます。
プレゼンや本でも、図があったり、漫画が載ってたりした方が、記憶に残りやすいです。
聖書は、信仰は「目」ではなく「耳」から生まれると言っています。
ですから、信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。
聖書(ローマ書10:17)
そもそも、信仰というのは「耳で聞くこと」から始まります。
「目に見えること」からではないということエス。
何を聞くのか?
それは、「キリストについてのことば」つまり「キリストの福音」のことです。
もし、あなたがクリスチャンなら、どうやってクリスチャンになったのか。
何を持って、自分がクリスチャンであるかと言えるのかを考えればわかります。
それは、イエス・キリストがあなたの罪のために十字架で死に、葬られ、三日後に復活したという言葉を信じているからです。
文章で読んだとしもそれは、ことばであって、聞いて信じたので、救われたのです。
具体的には、同じローマ書10章にあります。
なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。
聖書(ローマ書10:9)
「イエスが主であること」
「イエスは復活したこと」
この言葉を聞いた時に、人は信仰が呼び起こされます。
これが信仰の原点だとすれば、私たちの信仰は「聞くこと」によって成長し、強まっていきます。
聖書を読んで、神の声を聞く時に、信仰は強くなります。
祈りの中で神の語り掛けを聞くときに、信仰は強くなるのです。
一方で、私たちは目に見える状況によって、信仰がチャレンジされます。
モーセに連れられてエジプトを脱出したイスラエルの民は、前は海、後ろにはエジプトの軍隊という状況で、信仰が揺らぎました。
しかし、神の言葉を聞いて信じたモーセの信仰によって、海は真っ二つに分かれました。
その後、何もない荒野でも、不平不満を言いました。
しかし、神の言葉を聞いて信じたモーセの信仰によって、岩から水が吹き出て、空からマナという食物が降ってきました。
イエス様の弟子たちも、嵐で沈没しそうな船の中で、死を覚悟しました。
しかし、イエス様は、声で嵐を沈められました。
現代でも、私たちは、目に見える状況に信仰が揺らいでいないでしょうか?
経済的な危機、人間関係の悩み、将来の不安。
実は私たちは状況を目で見ているようで、実は何も見えていません。
将来何が起こるかは、誰にも見えないからです。
大事なのは、状況ではなく、神の言葉です。
神の声だけを聞いて、前を向いて歩いていきましょう。