ホームオン・クリニックつくば院長で『看取りの医者』の著者である平野国美(ひらの くによし)さんはこう語っています。
「死の淵から生還されたあと、〝三途の川を渡りかけた〟〝キラキラ光る世界が見えた〟とおっしゃる患者さんは何人もいます。ここで死ぬんだと思っていると、突然、ほっぺたを叩かれたような感じで、こちらの世界に引き戻されるらしい」
実は臨死体験をしたと語る人の体験談を聞くと、その内容には多くの共通する部分があるそうです。
では、聖書は天国はどんな場所であると言っているのでしょうか?
天国は、一言で言うならば神様とともに住む場所であると言っています。
わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。
聖書(ヨハネ14:2)
キリストは、天国を父なる神様の家と呼び、住む場所がたくさんあると言いました。
ここから、聖書は天国を単なる神がいる空間や概念と説明しているのではなく、より具体的な場所であると言っています。
それは、私たちが今、日本という国で、家を買うか借りるかで、家族とともに生活しているように、天国でもそのように暮らすというイメージです。
北欧やニュージーランドなどの国民の幸福度が高い国の人たちは、家で過ごす時間や、家族と一緒にいる時間をとても大切にし、充実させています。
私たちもどうでしょうか?
短期間の旅行は楽しいですが、やはり我が家に帰るとホッとします。
たまには1人でご飯を食べるのもいいですが、ずっと1人だと辛いものです。家族や友達と一緒に食べる幸せは確かに存在します。
世界的な感染症の影響で、ステイホームを続けていたり、街から人がいなくなるとやはり何か寂しさを感じます。
天国は、神様を父とした家族が仲良く暮らす場所だと捉えても間違いではありません。
「なんだか天国って感覚わかないなあ」と感じませんか?
それは、天国に入るかどうかだけで捉えているからです。
「天国にめっちゃ行きたい!」とならないのは、この世の幸せの体験が強すぎて、天国のイメージが抽象的だからです。
キリストは十字架にかかり、三日後に復活し、天にのぼられました。
それは、私たちと一緒に住む場所を天に準備するためだと聖書は言っています。
わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。
聖書(ヨハネ14:3)
天国で、神様と、大事な人たちと永遠に暮らすことができるということです。
どうでしょう?
ちょっとはイメージが湧いてきましたか?
「天国という場所はなんとなくわかった。では、どうやったらいけるの?」
トマスという弟子が質問します。
トマスはイエスに言った。「主よ、どこへ行かれるのか、私たちには分かりません。どうしたら、その道を知ることができるでしょうか。」
聖書(ヨハネ14:5)
イエス様は答えます。
イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。
聖書(ヨハネ14:6)
イエス・キリストを信じることです。
信じることが天国の道になるのです。
今の世の中の幸せがずっと続けばいいなあと思っておられる方。
子供たちや親、友達と離れたくないなあと思っておられる方。
天国行きの切符をいますぐ手に入れてください。
この世の生活には必ず終わりが来ます。
大事な人たちとの別れもあります。
しかし、死後の世界を信じるなら、天国で一緒に暮らせるのです。
信じない理由はありませんね。