今日は「イエス・キリストは神扱いされているけど人間ですよね?」という疑問について、
聖書にどのように書かれているのか説明していきます。
このクリスチャンQ&Aシリーズでは、クリスチャンに関わる素朴な疑問から、少しディープな問題、
普段はなかなか聞きにくい内容…等について、
ゆうき牧師に質問をしていき、聖書をもとにわかりやすく解説していくシリーズとなっています。
この記事の内容はYouTubeでも話しているので、よかったらYouTubeも見てくださいね!
取り上げて欲しい疑問や話題があれば、ぜひYouTube動画のコメントでリクエストをお願いします!
よろしくお願いします。今回の質問ですが、
ノンクリスチャンの時に思ってたことで
「イエス・キリストは神さまと言われてますけど
人間じゃないんですか?」
って思ってたんです。
イエス・キリストって人間なの?神なの?
なるほど。
結局、人間なの?神なの?っていう疑問ですよね。
どう考えますか?
自分なりに調べてきました。
3世紀にキリスト教の中で「神さまは唯一」っていうところと
「三位一体」つまり、イエス・キリストと父なる神と聖霊という
この三つが一緒っていう思想とを、どう合体させるのか?
「三位一体」と「唯一」って矛盾してるでしょう!
というところを、どう調和させるかっていう点で激論が交わされたそうです。
司教のパウロスさんっていう人が
「いやいや、イエス・キリストはあくまでも
マリアから生まれた単なる人間で、ヨハネから洗礼を受けた時に
イエスさまの内部に、神的力が宿ったんだ」と言ったそうです。
なので神は唯一なんだけど、
人間であるイエス・キリストが、洗礼を受けて後から神的力を得た。
だけど、あくまでもべースは人間だよ
っていう思想を持ったパウロスさん。
結果、後の公的な会議でそれは異端ですよと
ということになり、歴史から名を消したっていうのが
ウィキペディアに書いてました。笑
パウロスさん、異端だったんだ。笑
昔からこの議論はされていた。が、結論は…?
言わんとしてることは分からなくもないですけど
それだけ見ると、教会内の権力争いに負けたパウロスっていう
エピソードが残っただけで
結果、イエス・キリストは人間だったのか?
それとも神なのか?っていうところの答えは
見つからなかったっていうことですよね。
結局どうなのかな? って疑問は残ったままです。
多分、ノンクリスチャンの方って
「え? イエス・キリストって人間なんじゃないの?」
と思ってる人たくさんいると思うんですよね。
そのパウロスさんは、おそらく
ちょっと言い方悪いですけど、ちゃんと聖書を知らなかった可能性が高いです。
当時って、今みたいに活版印刷とかがない時代ですから。
正しく全てが揃った聖書があって、マニュアルとかもいっぱいあって
学べる状況じゃないです。
トンデモ解釈とかがある時代でした。
結論、聖書になんて書いてるかと言うと
イエス・キリストは、「100%神で100%人」
「完全な神で完全な人」しか書いてないです。
しか書いてないというか、
色んなところを読んで考えていくと、そういう結論になります。
結論「100%神で100%人」→人間には理解できません!
どういうことかと言うとまず、完全に、神なんですよ。
イエスさまは、自分でも神って言っています。
だからそれは否定できない。
否定してもいいですよ、信じないっていう意味では。
でも聖書にはそう書いている。
その一方、イエス・キリストは
マリアから生まれて赤ちゃんから成長したっていう記録があります。
聖書に書いてますが、
イエス・キリストは涙も流されるし、同情もするし、人間の体を持っていた。
だから、100%神、100%人っていうのが
聖書の中の答えです。
でもその時点でもう、矛盾してるじゃないですか。
「この矛盾どう説明するの?」って
頭のいい人達は考えるんですけど、
矛盾はそのままでOKって理解でいいです。
神さまのことを人間が理解できたら、神さまじゃないですよ。
僕らは人間中心だから、神を人間から理解しようとするんです。
完全に理解できない、矛盾していていいって
人間はなかなか思えないですよね。
神であり人でなければならなかった理由はあるんでしょうか?
神であり、人でなければならない理由
これは三位一体も同じです。
これも人間が理解しようとすると矛盾してるんですよ。
人間は一生懸命考えて、三位一体っていう漢字で、素晴らしい言葉で
まとめて収まってるように見えるけれども。
結局分かんない、説明できないです。
ただ、神であり人でなければならない理由があります。
もし、神であって人でなければ
人間の罪に同情できないからです。
イエスさまは病を負った、悲しみを知っていたって書いてるから
「自分も全部経験したよ」っていう同情ができるし、
十字架上で人間の罪をを背負うのは
人となって罪人として背負う必要があったんですよね。
でも、神じゃなければ死んで終わりです。復活できない。
神であり人でないと、僕らの信じてる福音は逆につじつまが合わなくなるんです。
神であり人でないといけないです。
三位一体もそうです、もし神がただ1人だったら十字架にかかれないです。
十字架にかかって死んだ瞬間、この世に神がいなくなる瞬間が生じてしまうから。
ところで、聖書の中心メッセージって、なんでしたっけ?
「神を愛し、隣人を愛する」ですよね?
愛は「三位一体」がないと理解できない
そうですよね。
愛ってどうやって分かりますか?
愛って愛する対象が必要なんですよ。それか、愛してくれる対象が必要なんですよ。
つまり、愛っていうのは2人以上いないと成立しません。
神が1人だったら、愛を説いておいて、神の中に愛がないんです。
神が「人間は愛してますよ」って言うんだったら、
神は人間の存在に依存してることになります。
でも、神は人間がいなくても愛を全うしてる。
聖霊と子なる神と父なる神のこの3者が
完璧に愛し合って一致している、
ここに最高の愛があるんですよ。
愛の関係が完璧であって、人間の存在に依存していません。
神は1人ですけど、イエスと父なる神の関係を通して
僕らが愛を学べるんです。
父なる神が子なるキリストを
どれだけ愛しているかが聖書に書いているので
僕たち人間が愛を学べるんですよ。
なるほど。イエス・キリストが100%神で100%人であることは
私たちが信じている福音、三位一体や、愛にも繋がっているんですね。
ちなみに、僕が調べたパウロスさんの話ですが
当時は聖書がちゃんと出回ってなかったから、
トンデモ理論がたくさんあったってことでしょうか?
そうかもしれないです。あとは、当時異端がすごく多かった。
異端と言われるところは、解釈が偏っています。
「イエス・キリストは完全な神であり完全な人」
ここからもしずれているのであれば、異端でしょう。
まとめ
Q 「イエス・キリストは、神扱いされているけど人間ですよね?」
A 「イエス・キリストは ”100%神で100%人間” であると書かれています。
理由は聖書にそう書かれているから。これは、人間の論理では理解できません。」
結論を言うと、イエス・キリストは人間であり神です。
しかしこれは人間の論理では分かりません。
そして、神を理解しようとすることは人間の罪です。
神が全ての創造主であり主権者ですから、人間は完璧に理解できません。
聖書にそう書いてあるから、神さまがそのように言っているから信じる。
という謙遜な姿勢はクリスチャンとして大切です。
どういった部分で、イエス・キリストは人間であり神と言えるのか?
もっと知りたいと思った方は、ぜひ一度聖書を読んでみてください。
これからも、このようにちょっとディープで答えが難しいような質問にも
私たちなりに答えていこうと思います。
これからも、コメントやまた質問があればYouTubeのコメント欄でお知らせください。
また次回もお会いしましょう!
読んでいただきありがとうございます。このメッセージはYouTubeでもご視聴いただけます。