前回紹介した「旦那がどうしても嫌になる時トップ10」を見ると、夫に見下されているように感じる妻は多いようです。
・いい所もたくさんある彼ですが、やっぱりどこかで専業主婦をバカにしている。「俺は働いてるんだから」と遠回しに言って、何もかも私がするハメに。感謝の気持ちが全くありません。私はあんたのオカンじゃないわよ!(20代 専業主婦)
・自分のしたいことが優先で家族のこと生活のことを考えない。家の中では自分天下である。(50代 専業主婦)
聖書は、男性の責任である祈りが妨げられないように、妻を尊敬して良い関係を築きなさい言っています。
同じように、夫たちよ、妻が自分より弱い器であることを理解して妻とともに暮らしなさい。また、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。そうすれば、あなたがたの祈りは妨げられません。
聖書(1ペテロ3:7)
「弱い器」とは、精神的・道徳的・知的に劣っているという意味ではなく、肉体的に弱く、社会的に弱い立場に置かれていることを表します。
「いのちの恵みをともに受け継ぐ者」とは、永遠の命を共に受け継ぐもので、神の救いには男女による優劣はありません。
当時の女性の社会的な立場は奴隷と同じだったことを考えると、そのような世の中の価値観ではなく、聖書の価値観によって妻に接しなさいということが強調されています。
具体的には、妻を見下さず、尊敬することです。
なぜ、妻と良い関係を築くのが大切なのか?それは「祈りが妨げられないため」です。
なぜ、ここで祈り?と思うかも知れませんが、聖書の他の箇所では男性の祈りの重要性が書かれています。
そういうわけで、私はこう願っています。男たちは怒ったり言い争ったりせずに、どこででも、きよい手を上げて祈りなさい。
聖書(1テモテ2:8)
「きよい手」とは、きよい生活を表しています。
妻を見下し、愛さない態度は、神様が喜ばれるきよい生活ではありません。
つまり、男性が共同体で捧げる祈りの土台は、自分の妻を愛し、尊敬する日々の夫婦生活なのです。
もし、夫婦関係がめちゃくちゃで、祈っているなら、神様の前でそれは偽善的な態度になるのです。
神様は、夫たちが祈ることを願っておられます。
男性たちが家庭のために、社会のために、教会のために祈るなら、世界は変わっていくと信じます。
そのために、夫婦関係から見つめ直し、妻のために愛を持って祈ることから始めてみてはどうでしょうか?