みなさんのご両親はどのような人ですか?またはどのような人でしたか?
すぐ怒る?恐い?優しい?無関心?忙しい?話しやすい?話しにくい?
今日は、神がどういうお方かをわからなくさせる3つの弊害の一つ目、親のイメージについてお話しします。
残念なことに、ほとんどの人は神と自分の親とを重ね合わせて考えてしまいます。
神を自分の父親か母親のようなイメージでとらえるわけです。
もし、自分の父親が無関心で冷たい人だったら、 神様も無関心で冷たい方だと無意識で考えてしまいます。
もし、いつも両親が怒る人だったら、何かするたびに「神さまは怒っているに違いない」とおびえます。
もし、自分を虐待するような親であれば、「虐待する神」というイメージになることだってあります。
大切なのは、聖書から「神がどういうお方であるか」を知り、信じることです。
聖書は、神様はいつも子供のことを思う愛に満ちた父であると言っています。
こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとへ向かった。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけした。
聖書(ルカ15:20)
これはイエス様がした「放蕩息子」と言われる例え話ですが、神様がどういうお方かをよく表しています。
放蕩息子は、実家で何もかも与えられている状態に満足できず、父親に生前贈与を要求し、彼は外国で好き勝手に生きます。
生前贈与を要求することは、父親に早く死ねと言っていると同じくらい失礼なことです。
しかし、彼は何もかも使い果たした後、その地方全体に激しい飢饉が起こり、食べることにも困り始めました。
彼は豚の世話をし、豚の餌の豆すらも食べられず、人生のどん底を経験します。
そして、家に戻るのです。
家に戻ったときの父親の反応が今読んだ箇所です。
こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとへ向かった。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけした。
聖書(ルカ15:20)
自分の親だったらどうするでしょう?
「怒られる?」「お金を返せと言われる?」「黙ってスルーする?」
遠くにい流のを見つけたということは、心配でいつも外にいたのかもしれません。
無礼に怒るよりも、帰ってきたことをまず喜びました。
ボロボロの姿にかわいそうに思ってくれる優しいお父さん。
これが聖書の神です。
今、一度、自分が持っている神のイメージを手放し、聖書の神をそのまま信じましょう。
【参考文献】回復への道 (リック ウォレン)2005/9/1