こんな言葉を聞いたことがあります。
「神がいるなら見せて欲しい。そしたら信じる」
聖書は、神は2000年前にすでに見える形で来られたと言っています。
御子は、見えない神のかたちであり、すべての造られたものより先に生まれた方です。
聖書(コロサイ1:15)
御子とは、イエス・キリストのことです。
聖書の神は「父、子、聖霊」の三位一体と言われています。
多くの人が、「神がいるなら見せて欲しい。そしたら信じる」 と言うことを、神様はすでに知っておられたのでしょう。
神が人間として、2000年前にイスラエルという国に来られたのです。
結果、すべての人が見て信じたのでしょうか?
いいえ。
皮肉なことに、今度は、「神が見える形で人間として来るわけがない」と神への冒涜罪で十字架につけてしまいます。
見たら絶対に信じることができるわけではないのです。
イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」
聖書(ヨハネ20:29)
見ないでどうやって信じることができるでしょうか?
ひとえに、神を信じるというのは、神の霊である聖霊の力なくしては不可能です。
信じることもまた神の恵みなのです。
しかし、考えて見てください。
この世には目に見えないけど存在しているものがたくさんあります。
風は目に見えません。でも、吹いています。
心は目に見えません。でも、嬉しくなったり、悲しくなったりします。
ウイルスも目に見えません。でも、みんな存在を信じており、マスクをしています
イエス様は2000年前に目に見えて存在し、死んで三日後に復活されました。
その目撃者は多数存在し、聖書にもはっきり記録が残っています。
しかも、今も目には見えないけれど、神を求めるものに出会ってくださいます。
世界には23億人のクリスチャンがいるといいます。
彼らはどうやって信じたのでしょうか?
風が顔に当たるように、存在を体験しているからです。
【参考文献】回復への道 (リック ウォレン)2005/9/1