【なぜ、愛し合えないのか?】頑張らなくても行動を変えられるたった1つの方法

日韓国旗
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どうやったら、国と国は仲良くなることができるのか?

仲良くなったと思ったら、お互い喧嘩する日韓。
2002年の日韓ワールドカップや、その後の韓流ブームととても仲が良かったのに、なぜこうなってしまったのでしょうか。

政治家でもこの状況を好転させるのは難しいのです。いろいろ考えた判断が裏目に出ている気がします。
頑張って愛そうとしても、そもそも無理なのです。

私は韓国人の妻と婚約中、韓国と日本で遠距離恋愛をしていました。

韓国の優しい男。ヨン様を意識して、毎朝5時に起きて「サランヘヨ!愛してるよ!」とカカオトーク送っていました。お昼と夜にも同じように頑張りました。

しかし、結婚後、妻に告白することになります。

「ごめん、もう疲れちゃった」

自分の力で、愛そうとしてもいつかは疲れてしまいます。
もちろん、妻を愛してます!(愛情表現に慣れてない私の不甲斐なさ…泣)

より自然に、心から愛し合うためには、どうすれば良いのでしょうか?

 聖書は「古い人を脱いで、新しい人を着なさい」と言っています。 

互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは古い人をその行いとともに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。新しい人は、それを造られた方のかたちにしたがって新しくされ続け、真の知識に至ります。

聖書(コロサイ3:9-10)

着ている服が行動を決める

なぜ、聖書は服を脱いで、着るという比喩を使ったのでしょうか?
それは、「着ている服と行動」に相関があるからです。


エクスペリメントという映画をご存知でしょうか?

公募で集まった人たちに、看守と囚人の服をそれぞれ着せて、役割と権力を与えたら、その人の行動が変わったという実際にあった実験です。看守役が囚人役を殴ったりし、どんどんエスカレートして、この実験は中止されます。


この映画から学べることは、「行動というものは、私たちの服装からくる立場、権力などのアイデンティティから生まれる」ということです。

逆に言えば、行動を変えたければ、来ている服を変えればいいのです。

なので、 聖書は「古い人を脱いで、新しい人を着る」と言っているのです。 

脱ぐべき古い人と着るべき新しい人

では、聖書は、私たちが脱ぐべき古い人はどのような行動をすると言っているでしょうか?

しかし今は、これらすべてを、すなわち、怒り、憤り、悪意、ののしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを捨てなさい。
互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは古い人をその行いとともに脱ぎ捨てて、

聖書(コロサイ3:8-9)


これらの行動は、「自分に対する間違ったアイデンティティ」からきます。
それが古い人です。

次の(  )に自由に入れてみてください。

私は(   )な人です。

では、聖書は、私たちが着るべき新しい人はどのような行動をすると言っているでしょうか?

コロサイ3:1212  ですから、あなたがたは神に選ばれた者、聖なる者、愛されている者として、深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容を着なさい。

聖書(コロサイ3:8-9)

これらの行動は、「自分に対する聖書の正しいアイデンティティ」からきます。それが新しい人です。

私は(   )な人です。

今度は、聖書の通り入れてみましょう。

私は (神に選ばれた者、聖なる者、愛されている者) です。

なぜ、国と国は、頑張って仲良くなろうと思っても、結局関係が悪化してお互いを憎み合ってしまうのか?
古い人を着ていて、新しい人を着ていないからです!!!

なぜ、私たちは、キリストを信じたのに、いまだによくない行動を続けてしまうのでしょうか?
新しい人をきたのに、その上に古い服をきているからです。

今すぐ、古い人を脱ぎましょう。そして、新しい人をきてください。

ただ、信じる。

どうやって、脱ぐのか?どうやって、着るのか?

 「ただ、信じる」だけです。 

何を信じるのでしょうか?

もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。

聖書(ガラテヤ 2:20 )

キリストの十字架の死によって、私たちの古い人、罪、考え、間違った思い込み、低いセルフメージ、過去のトラウマ、にがい思い。全部、死んだのです。

 そして、復活した。 
キリストが生きている。つまり、私たちはキリストの復活とともに新生した新しい人を着るのです。

ローマ帝国を揺るがした新しい服を着た人たち

今から約1800年前、新しい人を着ることで、行動が変わり、社会全体に影響を与えた人たちがいました。
165年と251年にローマ帝国を激しい疫病が襲いました。
特に、251年のはしかによって、ローマだけで1日5000人が死亡しました。

感染を恐れ、多くの患者が置き去りにされて死にました。
政府や家族も患者を残して去って行きました。

そのような中、クリスチャンたちは、病人を看護し、祈り、食事も提供しました。
家族だけではなく、キリスト教徒以外の人々にも行いました。

疫病が収まった頃、政府や家族が戻って来てショックを受けました。
多くの人が生き残っていたからです。
それは、死を恐れないクリスチャンの愛の奉仕によるものだったのです。

結果、ローマ帝国の6000万人の半分、3000万人がクリスチャンになったそうです。

このクリスチャンたちは、2つのことを信じ実践しました。

 復活信仰と隣人愛です。 

復活信仰とは、「イエスを信じたものは、死んでも永遠に生きる」ことを信じることです。

イエスは彼女に言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。

聖書(ヨハネ 11:25)

隣人愛とは、「自分と同じように周りの人を愛しなさいというイエス様の教え」を実践することです。

人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。

聖書(ヨハネ 15:13 )

これの行動は、新しい人を着た結果、生まれた行動です。人間や罪が生み出す古い人には、絶対できない行動です。

【結論】古い人を脱ぎ捨てて、新しい人を着る

「なぜ、愛し合えないのか?」
頑張らなくても行動を変えられるたった1つの方法

それは、 古い人を脱ぎ捨てて、新しい人を着ることです。 

今すぐ、古い人を脱ぎましょう。
どうやって脱ぐのか?「私はキリストともに死んだ」ということを信じて受け入れるのです。

今日、新しい人をすでに着ているということを信じましょう。

新しい人を信じるとは?
私たちはキリストの復活とともに新生した (神に選ばれた者、聖なる者、愛されている者) です。
このことを事実として、信じて受け入れるのです。

そうすれば、何が起こりますか?
ローマ帝国を変えた教会のように、行動が変わり、キリストの愛が国中に、いや国を超えて広がっていくのです。

そこには、ギリシア人もユダヤ人もなく、割礼のある者もない者も、未開の人も、スキタイ人も、奴隷も自由人もありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。

聖書(コロサイ3:11)

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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