今回は、クリスチャンにはお正月やお盆のようなものはあるのか? また、ノンクリスチャンの人がお正月やお盆を過ごしてる中に、自分が一緒にいる場合、どうしたらいいのか?という疑問について、聖書にどのように書かれているのか説明していきます。
このクリスチャンQ&Aシリーズでは、クリスチャンに関わる素朴な疑問から、少しディープな問題、普段はなかなか聞きにくい内容…等について、洗礼を受けて2年の筆者みずきがゆうき牧師に質問をしていき、聖書をもとにわかりやすく解説していくシリーズとなっています。
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クリスチャンにお正月やお盆はある?
今回は、クリスチャンにはお正月やお盆があるのか?という質問ですが、みずきさんはどう思いますか?
お正月は聖書と関係ないんじゃないかな?と思います。
1月1日に何かするとか、意味があるとかは聖書に書いていないと思います。
お盆というのは、亡くなった方を思い出して偲ぶとか、お墓参りしたりすると思いますが、それも別に聖書には書いていないと思いました。
結論を言うと、クリスチャンにお正月やお盆のようなものはありません。
クリスチャンにお正月やお盆はありません
クリスチャンにとって、1月1日に特別な意味はありません。
あくまでも新しい年が始まるね、というだけです。
ハッピーニューイヤーって言いますが、別に聖書と全く関係ありません。
ただ、元旦礼拝と言って1月1日に行う教会は多いです。それは、特に聖書的なイベントではありません。
そもそも聖書は、ほとんどユダヤ人が書いていますし、ユダヤ人はユダヤ歴で生活していて、僕らの使う西暦とは違います。ユダヤ人にとって、西暦の1月1日は関係ありません。
元旦礼拝とは?
教会で元旦礼拝をしているのは、後付けといった感じで、世間は初詣へ行くんだったら、クリスチャンとして何かしようということで、礼拝する。そういった感覚です。
もし近くで元旦礼拝をしている教会があったら、行ってみるといいと思います。ただ、聖書的な意味はないので、別に義務ではないですね。
私たちの札幌ガーデンチャーチでも、1月1日に元旦礼拝をしていますよね。
ただ、そこに聖書的な意味があるからではなく、せっかくなので一年の始まりに教会のみんなで集まって、礼拝して祈ろうという形で行っていますよね。
おせち料理はどうする?
正月、お盆に関して3つのことを話したいんですが、1つ目はおせち料理について。
食べていいのか?という疑問持たれている方がいるかと思います。
みずきさん、どう思いますか? おせち料理。
それに霊的な意味を感じて、これを食べたら一年安泰!とか思いながら食べるんだったら、クリスチャンとして違うと思いますけど…ただ、普通においしいですよね。豪華だし色々なもの入ってるし。
普通にお食事として、おいしいなって食べるのは駄目なの?って正直思ってしまいます。
おせち料理の由来は知ってますか?
おせち料理の由来は祝いごとで、神さまにお供えしていた食べ物です。「御節供(おせちく)」から来ているそうで、新年の健康や繁栄を祈って神さまへお料理をお供えし、年が明けてから、神さまのお下がりとして頂くものだそうです。
おせち料理の食材やメニューにもそれぞれ意味があって、五穀豊穣とか無病息災、子孫繁栄などのテーマの食べ物がある。
つまり、”超”宗教的な食べ物です。
今思えば、確かに超宗教的な食べ物ですね!
ただ、これに関して私の個人的な意見としては、この宗教的な由来を知った上で「自分は文化として家族と一緒に食べる料理」と捉えるのであれば問題ないのではないか、と個人的には考えます。
しかし、牧師によっては、これは非常に霊的な意味があるので、避けなさいっていう先生もいると思います。その場合は、その先生の意見も真摯に受け止める必要があるかなと思います。
なので、もし私が「おせち料理食べる?」って言われたら、いいえと断らないで、おいしくいただきたいなと思います。
初詣について
2つ目にお話ししたいのは、初詣についてです。
初詣とは、1年で1番初めに神社やお寺にお参りに行き、新しい1年の幸せを祈願することですね。初詣は非常に宗教的な意味が強いものです。問題は、誰に祈りを捧げているかということですね。
実際、誰に祈りを捧げているんでしょう?
その神社に祀られている、神さまと言われているものですかね?
そうでしょうね。おそらく、祈っている本人は深く考えないで、とりあえず何かしらの神なるものへ(なんなら神とも思ってないかもしれない)「何か」に祈願している。
「今年、彼女できますように」とか祈ってると思うんだけど、この対象は「何かしらの神」なので、イエス・キリストではないし、イエス・キリストにそれを祈るんだったら、神社に行く必要は全くないですよね。
これはおせち料理とは意味合いが違ってくるのかなと思っています。実際に神社とかお寺に行って、祈っているわけですから。
なので初詣は、僕は行くのをお勧めしません。ちょっとおせち料理とは違う。
ノンクリスチャンの友だちや家族に誘われたら、きちんと説明する必要があるのかなと思います。
もし自分が誘われたら、色々と考えて、行きたくないけど、でもどうやって伝えよう…と悩みますね。
自分はクリスチャンなので、と理由を説明した上で「私は行かないです」とはっきり伝えるのが
僕はいいのかなと思います。
どうしても行かないといけない場合は、神様の守りを祈り、聖書の神様に祈りを捧げてきましょう。
お盆について
3つ目は、お盆についてです。
お盆は、仏教の行事ですね。正式には「盂蘭盆会(うらぼんえ)」と呼ばれるもので、亡くなられた方や、ご先祖様があの世と呼ばれる世界からこの世に戻ってくる期間だと仏教では言われています。
死者の魂が来る、故人が生前を過ごした場所、おもに自宅でお迎えして再び戻っていくと考えているそうです。あの世での幸せや冥福を祈る機会となっていると。
これは聖書に書いてないですね。仏教の中でそう考えられているとすると、これも非常に宗教的な行事だということが分かります。
魂が戻ってくると信じているから、みんなお盆にお墓参りへ行くんですよね?
クリスチャンがお墓参りに行って、拝んだりせずにただ故人を偲ぶというのはいいと思いますけれども、この「お盆」というのは、ルールを作ったり慣習を作ったのは、間違いなく私たちが信じている聖書の神ではないですね。
日本では休日にもなったりしていて、自動的にみんなお盆に墓参りに行くっていうのは、上手く作られているシステムだなと思うので、これは悪霊の働きもあると思います。
クリスチャンは、お墓参りには行くんだけれども、意味としては召天者記念礼拝みたいな意味です。亡くなった方々、今、天国に行っておられる方々を覚えて、記念して神に礼拝を捧げるというのは、1年に1回やっている教会もあります。
私は27歳までノンクリスチャンでしたが、あまり深く考えずに慣習というか、日本の文化みたいな感覚でお正月やお盆を過ごしていました。宗教的にこういう意味があるからこうしてる、とかまでは考えずに…
多くの日本人が深く考えてないよね、多分。
親の代、またその親の代とかになれば、きちんと理解した上でしている人は多いかもしれないですけど、私の世代になると、親がやってるから、家族がそうだからとか、そんな感じが多いですかね。
意識してなかったですが、どういう意味合いを持っていて、初詣やおせち、お盆があるのかっていうのを考えれば、クリスチャンとして自分がどう対応するのかというのは、はっきりしてきますね。
パウロが言った偶像礼拝
もう1点追加なんですけれども、聖書の中では、第1コリントの10章の14節〜21節で
パウロが「偶像礼拝を避けなさい」と言っています。
私は何を言おうとしているのでしょうか。偶像に献げた肉に何か意味があるとか、偶像に何か意味があるとか、言おうとしているのでしょうか。
聖書(コリント人への手紙 第一 10章19節)
「いや、そんなのない」と。そもそも、そこに神々なんていないと。神は唯一だし、いるとしたら悪霊だと言っています。
ただ、その当時のコリントには「じゃあ関係ないんだったら、やってもいいじゃん」っていう勢力がいたんですね。
例えば、今回で言うとおせちを「関係ないでしょ、食ったらいいじゃん」「お盆だって、死者の霊?いないでしょ」「お墓参り行って、拝んでもいいんじゃない?」「そういう文化にしてもいいんじゃない?」みたいなね。
それに対して、パウロは20節でこう言っています。
むしろ、彼らが献げる物は、神にではなくて悪霊に献げられている、と言っているのです。私は、あなたがたに悪霊と交わる者になってもらいたくありません。
聖書(コリント人への手紙 第一 10章20節)
僕は、おせちぐらいだったら食べます。ただ、それには霊的な、悪霊が働いてるとしたら、僕らがその宗教行事を通して、悪霊と交わってしまうということになる場合がありますよと、聖書でパウロが忠告しているので、気を付けないといけない。
基本的には、積極的にかかわる必要はないですよね。
悪霊の存在
とあるクリスチャンの方の記事を見つけました。
『お寺とか神社とかに友達に誘われて、建物とか入るぐらいなら別にいいだろうと思っていました。別に自分がそこに神さまがいるとか思ってないから拝まない、ただ場所に行くだけならいいだろうと。そう思って行っているうちに、何だかその空間がいいなって思うようになってきて、だんだん、神さまから離れていって、そっちに引っ張られそうになった時期があった』
こういう記事を見つけました。それが今の話と繋がるなぁと思いましたね。
それは、僕もあり得ることだなぁと思ってます。サタン、悪霊って僕らより賢いですからね。やっぱり良い雰囲気で、別に簡単に入ることも出来るってなると、凄く上手なやり方だなって思います。
そこで私たちが信じている聖書の神ではない、いわゆる神々に何かお供え物とか、祈りが捧げられている場所なので、僕は悪霊のパワーがあると思います。
まとめ
Q .クリスチャンに、お正月やお盆のようなものはあるの?
A .クリスチャンに、お正月やお盆はありません。
Q .ノンクリスチャンと、お正月やお盆を一緒に過ごすときは、どうしたら良いのでしょうか?
A .初詣に誘われたとしたら、自分がどういう理由で一緒に行けないのか、きちんと話したうえで断るのが良いでしょう。
※どうしても行かないといけない場合は、神様の守りを祈り、聖書の神様に祈りを捧げてきましょう。
友だち付き合い、家族との関係のなかで、日本人としての風習が絡んだ時、本当に悩みますよね。
私たちクリスチャンは、神さまからの知恵を得ながら乗り越えて行きたいと思います。これからも、このことについて聞きたいというのがあれば、コメント欄で教えてください。動画やブログをを通して答えていきたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。このメッセージはYouTubeでもご視聴いただけます。