日本は自然と共に文化を育んできた八百万の神々という考え方があり、十分幸せです。「日本人にキリスト教は必要?」

この記事は約7分で読めます。

今日は「日本人にキリスト教は必要なんですか?」という疑問について、
聖書にどのように書かれているのか説明していきます。

このクリスチャンQ&Aシリーズでは、クリスチャンに関わる素朴な疑問から、少しディープな問題、
普段はなかなか聞きにくい内容…等について、
札幌ガーデンチャーチの洗礼者第一号の、吉田こうきさんから
ゆうき牧師に質問をしていき、聖書をもとにわかりやすく解説していくシリーズとなっています。

この記事の内容はYouTubeでも話しているので、よかったらYouTubeも見てくださいね!
取り上げて欲しい疑問や話題があれば、ぜひYouTube動画のコメントでリクエストをお願いします。

本日も、ゆうき牧師に素朴な疑問を投げかけ
聖書ではどのように言われているのか、教えて頂こうと思います!

「日本人は十分幸せ」という考え

こうき
こうき

僕は1年半前にクリスチャンになりましたけども、

ノンクリスチャンの時に思ってたことがありました。

日本人って八百万の神っていう文化がありますよね。


八百万の神は神道の考えですけど、

それがあるから、キリスト教や他の宗教があったとしても

日本人にはその八百万の神々の文化が根付いていて

十分幸せなんだから、変な宗教を持ってこないでくれ!
と思ってた時があったんですよ。

ゆうき牧師
ゆうき牧師

八百万の神、神がいっぱいいるってことですよね。

こうきさんは、今はクリスチャンですけれど

今でもそういう風に考えていますか?

こうき
こうき

全然共存できるなと僕は今、思ってるんですね。

まず大前提として、否定するものではないと思っています。

ゆうき牧師
ゆうき牧師

その人たちの信仰をですか?

こうき
こうき

信仰というか、八百万の神って信仰じゃないと思うんですよ。

文化だと思っています。

八百万の神は、信仰?文化?

こうき
こうき

八百万の神について調べたんですが、

「全ての事象に神は宿る」という考え方のようです。

だから、全てを大切にしようっていう感覚です。

神がいるって言うよりも、全てを大切にしようということです。

物もそうですけど、全てを大切にして

他の存在、自分と違う価値観を持ってる人たちも

大切にしよう、存在を認めようっていう

考え方の話だと思っています。

それが日本人には文化として、価値観として根付いていると思ってるんです。

だから宗教でもないし、信仰でもないかなと個人的に思っています。

それって、クリスチャンになった今考えてみると

他を大切にしようとかって

クリスチャン的考え方と全然矛盾しないと思いました。

ただ「八百万の神」という言葉が宗教感を出していて

それでクリスチャンや他の宗教との衝突があるのかな?と思います。

せっかく日本人には元々、クリスチャンと近い感覚や価値観があるのに

もったいないなと思うんですよね。

ゆうき牧師
ゆうき牧師

八百万の神って言ってるんだけど、信仰してない。

「自分は八百万の神を信仰している」と思ってる日本人は

ほぼいないと思うんですよね。

でも、だとしたら対立しないはずですよね?

八百万の神を理由に、拒否している

ゆうき牧師<br>
ゆうき牧師

その八百万の神がいるから、キリスト教なんて要らない!っていう人は

その教えを本当に信じているなら、現れないはずですよね。
他の存在も受け入れましょうって考えなら。

ということは、おそらく、拒否する言い訳

してるだけなのかなと思います。


信仰している人はいなくて、言い訳にしてるか

日本には日本の神がいるんだから、外国の宗教持ってくるな!

みたいな、宗教の押し付けに感じて拒否反応を示しているように思います。


だからと言って、じゃあ八百万の神は信じてないし

蓋を開けてみると

今、こうきさんが言ったように

人も物も大事にする、自然を大事にする、畏怖の念を持つ。

それは、クリスチャンなら当たり前の考え方ですよね。

でも大きく違うところがあります


それは「なぜ人やものを大切にするのか?」です。

なぜ、自然や人、ものを大切にするのか?

ゆうき牧師
ゆうき牧師

何で人を大事にするのか?

神の似姿に作られたからですよね。

なんで物を大事にするのか?

神が、そのものを、いいものとして

作ったし、そのものを通して

人を愛するために使うからです。

山々って畏怖の念を感じますよ、

でも山を崇拝はしませんね。

山を作られた、創造主である神を褒め称えます

神がつくった山なんだから

神の偉大さが伝わる訳です。

八百万の神々が宿ってるんじゃなくて、

それは全て、ひとつの創造主から造られたんですよね。



そこは、やはり対立すると思います。

こうき
こうき

確かに、創造主がいるというのは

クリスチャンになって初めての視点の発見でした。

そこは日本人の持っている文化とは違いますね。

日本人って、文化や風習をすごく大事にしますよね。

ゆうき牧師
ゆうき牧師

誰かが亡くなったら仏式で葬式をして

結婚式はキリスト教式で

1月1日には神社に初詣に行って・・・


でも、そこに信仰はないですよね。

こうき
こうき

信仰からくる行動じゃなく、文化や風習になっているってことですね。

「霊的な何か」に敏感な日本人

ゆうき牧師
ゆうき牧師

ただ、面白いポイントは

「霊的な何か」は信じているということです。

お守りを買ったり、厄払いもそうですが

何か悪いことが起きないように、神のような何かを頼ってますよね。

死んだ後の霊はどこに行くのか?とか、考える人が多いですよね。

だから、もともと信仰心はあるんでしょうね。

日本は徳川家康の時代に大迫害があって、

世界一殉教者の多い国と言われてます。

日本人の感覚と、キリスト教がめっちゃフィットしたのは

矛盾は無いですよね。

しかし、本当に信仰があるのなら

八百万もの数の神は、必要ないです。

初詣は神社、結婚式はキリスト教式、お墓参りは仏教

っていう人は、結局ケースバイケースで自分が思う通りに

神々をコントロールしようとしているんですよね。

それって、実は自分が神になっています。

アラジンの魔法のランプで例えると、

願い事を叶えるために神を都合のいい時に使う感覚です。

でも、聖書では全く違うことを言っています。

こうき
こうき

確かにそうですよね。

あとは、それぞれの物や人、自然に神が宿っていると信じていたとしても

自分は何のために生きているのか?

なぜ苦しみがあるんだろう?

自分の存在している理由は?とか、

そういった疑問には八百万の神からの答えは無いなぁと思っています。

僕は、クリスチャンになってその答えを

見い出すことができたと思っています。

八百万の神の限界

ゆうき牧師
ゆうき牧師

それは多分、八百万の神の限界だと思いますね。

聖書を読めば、こうきさんが言っていた疑問に対する答えは

全て分かりやすく、はっきりと書いてますよね。

神はただ一人で、神はこのように語っているって書いています。

神が目的を持って、この世界や人間をつくられました。

この世の終わりについても書かれているし、

だからこそ今何をするために生まれ、生きているのかも

全て書かれています。

まとめ

Q「八百万の神の文化を知っている日本人に、キリスト教は必要ないんじゃないですか?」
A「あなたがそれで本当に幸せなら、そうなのかもしれません。
  でも、人生に苦しみがある理由、死んだあとのこと、自分の存在する意味について、
  あなたは確信を持って答えられますか?」


日本には、八百万の神の考え方にある意味慣れていて、
風習や文化になっているところがあります。

もちろん、自然や人や物を大切にすることは
人として当たり前のことですし、悪い考えではありません。

しかし、それで十分幸せと感じられているかどうか?
もう一度考えてみると良いかもしれません。

人生に苦しみがあるのはなぜ? 死んだあと、どうなるの?
自分が何も悪いことをしていないのに、他人に嫌なことをされたら?
良いことをすれば、自分にいつか返ってくるから、良いことをする?

聖書には、全てに対する答えがはっきりと書いています。
聖書を知れば、今をもっと有意義に、目的を持って走り抜くことができるのではないかと思います。

これからも、Q&Aを通してみなさんが抱える様々な疑問に
答えていきたいと思います。
聞いてみたいことがありましたら、YouTubeのコメント欄にぜひよろしくお願いします!

ここまで読んでいただきありがとうございます。このメッセージはYouTubeでもご視聴いただけます。

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