- 夫が上場企業に勤めていて、専業主婦だけど比較的お金に困らない生活を送ることができている。ママ友たちのパートやお金のやり繰りの話を聞いていると、なんだか肩身が狭く感じる。
- 仲よしの女友だち5人組でよく遊んでいる。けれど、その中で彼氏がいるのは私1人。だから、ラブラブな話はしづらくて、つい彼氏の不満とかを話題にしてしまう。
- 高学歴であることが嫌味になるんじゃないかと思って、職場でもプライベートでも学生時代の話になると、ちょっと身構える自分がいる。
恵まれていること自体はすばらしいことなのですが、その価値を受けとれないために、罪悪感に転じてしまうことがあります。
この罪悪感は「嫉妬されることへの怖れ」を生むこともあります。
最初の例にある仲よし5人組の話でいえば「実は彼氏と超ラブラブで、結婚式は彼のお金でハワイであげる話をしているの!」などとは口が裂けても言えなくなりますよね。
「えーすごい!いいなあ〜」と表では言ってても、陰で自慢ととられかねませんし、「こんな時代にハワイって。私は毎日生活するのにも苦しいのに贅沢ね」なんて言われるかもしれません。
なので「実は、うちの彼氏は性格悪くてさ、こないだも喧嘩したのよ…私たちってほんとダメ」みたいなネガティブな話題を提供しないと悪いように思ってしまうのです。
このような恵まれたことに対する罪悪感を持つ人が、問題だらけの人を好きになって助けようとすることで、その罪悪感を解消しようとするパターンもあります。
これを心理学用語で「補償行為」と言います。
その罪悪感を手放す鍵は、豊かさや恵まれていることに大いに感謝することだと言います。
聖書には、ネガティブな自己卑下よりも、たくさんの感謝が出てきます。
私は心からのささげ物をもって、あなたにいけにえを献げます。主よあなたの御名に感謝します。すばらしい御名に。
聖書(詩篇54:6)
この詩篇はダビデが描いたものです。
ダビデは、今まで見てきた通り、たくさん失敗した人物で、誰よりも罪悪感を感じていました。
しかし、彼は常に罪悪感を神に祈り、立ち上がる人でした。
同じように、彼はよく、感謝し、自分を救って導いてくださる神様を褒め称えました。
多くの失敗を経験したダビデは、同様に多くの成功を治めました。
若い頃から、戦いに秀でており、圧倒的なカリスマにより、イスラエルで名声を得ていました。
王になってからも、イスラエルは勝利に勝利を重ね、中東では敵なし。
美しい奥さんや子宝に恵まれ、大豪邸にすみ、使いきれないほどの富を所有していました。
しかし、彼には「嫉妬されることへの怖れ」は微塵も感じられません。
その秘訣が、詩篇にたくさん書かれている感謝なのです。
恵まれている自分を妬む誰かの目を気にして、わざと自分を卑下する必要はありません。
むしろ、そのような素晴らしいものをくださった神様に感謝するのです。
人を富ませるのは主の祝福。人の苦労は何も増し加えない。
聖書(箴言10:22)
あなたに嫉妬する人は、あなたを富ませた神に文句を言っているのです。
むしろ私たちは、感謝しつつ、自分で富を築いたと高ぶり、勘違いしないように、もっとへりくだるのです。
へりくだるとは不屈になることではありません。
とにかく感謝することです。
それが健全なセルフイメージです。
参考文献↓