愛想笑いって疲れますよね?私たちが喜べないときは、他人と自分を比較したり、自分をとりまく状況が悪いときです。
聖書は、神様と良い関係を持つならば、どんなときにも喜べると言っています。
主を自らの喜びとせよ。
聖書(詩篇37:4)
新改訳聖書には「喜び」という言葉が747回使われています。
しかも、とうてい喜べない状況でもおかまいないしに、「喜びなさい」と命令しています。
「喜びとせよ」と訳されたヘブル語の原語から、「神との親しい関係」が喜びの土台であることがわかります。
1597年に豊臣秀吉の命令によって殺された長崎の26人は、「日本二十六聖人」と言われています。
その状況を見ていた、ルイス・フロイトはこう書き記しています。
最年少の12歳のルドビコ茨木は、殺される前に手を縛られ、耳を剃がれたが、天使のような顔で喜び溢れていた。
処刑の執行責任者であった寺沢半三郎はこう言った。
「そなたの命は私の手中にある。キリシタンの教えを捨て、もし私に仕える気があれば、そなたを助けよう」
しかし、ルドビコ少年は「そのような条件であるならば、生命を望みません。つかのまの生命と永遠の生命を交換するのは意味のないことです」
刑場に到着すると、彼は、十字架を見て歓喜し、「私の十字架はどこにあるのですか?」と子供の背丈に合わせて準備された十字架に、彼は情熱をもってそこに走り寄った。
この喜びはどこから来るのでしょうか?
それは、神様を愛する心。神様に愛されている心。
そのことが本当に心から分かったなら、私たちはどんなときでも喜べるのです。
今日の祈り
神様、喜べない状況をどうにかしようとするのではなく、神様との揺るがない関係を築くことができますように。 イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。