今日は「クリスチャンはなんで祈るときに手を組むの?」という疑問について、
聖書にどのように書かれているのか話していきます。
このクリスチャンQ&Aシリーズでは、クリスチャンに関わる素朴な疑問から、
少しディープな問題、普段はなかなか聞きにくい内容…等について、
洗礼を受けて数カ月の筆者みずきが、ゆうき牧師に質問をしていき
聖書をもとにわかりやすく解説していくシリーズとなっています。
この記事の内容はYouTubeでも話しているので、よかったらYouTubeも見てくださいね!
取り上げて欲しい疑問や話題があれば、ぜひYouTube動画のコメント欄でリクエストをお願いします!
「祈る人」のイメージ
目の前で神様にお祈りをしている人を見たことはあるでしょうか?
既にクリスチャンの方や、教会へ行ったことのある方は見たことがあると思いますが
日本ではクリスチャンは約1%しかいないと言われていますから、
このブログを読んでいる方には、もしかすると馴染のない光景かもしれません。
私がノンクリスチャンだった頃、洋画などで神様に祈る人の姿を見る以外には
祈っている人を目の当たりにする機会がありませんでした。
しかし、なんとな~く、手を合わせ指を組んでお祈りをしているイメージはありました。
どうして祈るときに手を組むのか?
先日ノンクリスチャンの友人の前で祈ったとき、
「どうして手を組むの?」と聞かれて
ハッとしました。自分でも理由がよくわからなかったのです!
教会ではみんなそうしているし、そうするべきなのだろう、と思っていました。
どうしてクリスチャンが祈るとき、手を組むのでしょうか?
手を組むのは守るべき型なのでしょうか?
答えは「必ずしも手を組む必要はありません」
教会にいるクリスチャンはほとんど手を組んでいるように見えていましたが
組む決まりはないんです。
手を組むのが決まりごとではない!
祈るときに手を組むのは、歴史的に新しい、最近のことのようです。
ユダヤ人も初期のキリスト教徒も、両手は天に向かって挙げて祈っていました。
聖書にはこのように書かれている箇所があります。
モーセはファラオのもとを去り、町を出て、主に向かって両手を伸べ広げた。すると雷と雹はやみ、雨はもう地に降らなくなった。
出エジプト記 9章33節
エズラが大いなる神、主をほめたたえると、民はみな両手を上げながら「アーメン、アーメン」と答え、ひざまずき、顔を地に伏せて主を礼拝した。
ネヘミヤ記 8章6節
そういうわけで、私はこう願っています。男たちは怒ったり言い争ったりせずに、どこででも、きよい手を上げて祈りなさい。
第一テモテへの手紙 2章8節
これらの聖書箇所を読むと
どちらかというと「手を組んで祈りなさい」とは書いていなくて
「手を上げて祈りなさい」と書かれていますね。
これが聖書に書かれている祈りの姿です。
手を組むのはきまりではなかったんですね!
聖書には、手を上げて祈る様子が多く書かれていますね。
現代では手を組んで祈るのが慣習となっていますが、それには良い面もあります。
目を瞑って祈ることで自分が集中できる、
そして周りから見たときに神様に意識を向けて集中しているのが
パッとみて分かるので、教会の礼拝の中でもあえて
「皆さん目を瞑って神様に意識を向けましょう」と伝えています。
たしかに、札幌ガーデンチャーチの礼拝の中では
ゆうき牧師はみんなで祈る前に必ず
「みなさん目を閉じて、神様に思いを向けましょう」
と言っていますよね。
私がノンクリスチャンだった頃も、
慣れない礼拝の中でそう言ってもらうと
わかりやすいし、自然と自分も祈れたなぁと思います。
ちょっと格好悪いけど、あえて言っているんですよね。
例えば教会で、目を開けて何か作業しながら祈っていても
周りから見てその人が祈っているのか?わからないですよね。
初めて教会に来た人でも
「今、神様に集中して思いを向けているんだな」
と分かると、一緒に祈りやすいと思います。
私はよく歩きながら祈るんですが、
歩いていると目を閉じたり手を組んだりはできないなぁと思っていました。
その祈り方も間違いではないでしょうか?
散歩しながら祈ることありますよね。
何をしている時でも、神様と常にオンラインである感覚は大切です。
まとめ
Q「クリスチャンは、なぜ祈るときに手を組むの?」
A「聖書には手を上げて祈りなさいと書いている箇所はありますが、手を組んでと指定はされていません。」
手を組んで祈るのは、歴史的には最近の風習で、決められた形ではありません。
しかし、教会のみんなで集中して祈るときには
目を閉じて手を組んだり、自分たちが集中できる体勢をとることは大切です。
一人で静かに祈るとき、散歩しながら神様と会話しているときなど、
自由に祈ることも大切な時間です。
必ずしも目を閉じたり、手を組むことにとらわれる必要はありません。
私たちが何をしているときでも神様とつながっている感覚を大切にしていきたいですね!
ゆうき先生、今回は
「クリスチャンはどうして祈るときに手を組むの?」
という疑問について聖書を通して教えて下さり、ありがとうございました!