【委ねる②】委ねるとは何か?(詩篇55:22)

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普段使わないクリスチャン用語に「委ねる」があります。
辞書で意味を引いてみると、「一切を他人に任せる」とあります。

確かに人は誰かの助けなしでは生きていけませんが、これってめちゃくちゃ難しくないでしょうか?
他人に迷惑をかけるべきではないし、そもそもそんなに信用できる人っているのでしょうか?

人生で助けを必要とする時、誰に委ねるかと言う対象が最も大事です。

 聖書は、委ねるとは「神様に一切の問題の解決を任せること」だと言っています。 

あなたの重荷を主にゆだねよ。主があなたを支えてくださる。主は決して、正しい者が揺るがされるようにはなさらない。

聖書(詩篇55:22

あなたの重荷とは、人生のあらゆる問題です。
この言葉を宣言しているのは、王になる前のダビデです。

よく、こんな信仰に溢れた言葉を言えたなというくらい、当時の彼は問題だらけでした。
・上司のサウルに命を狙われ
・祖国を追われ、荒野に逃げる
・経済的にも窮地
・毎日、死の恐怖と、うつ的な状況を体験し、
・同胞からは、憎しみと迫害を向けられる
・しかも、親友から裏切られる

12  まことに私をそしっているのは敵ではない。それなら私は忍ぶことができる。私に向かって高ぶっているのは、私を憎む者ではない。それなら私は身を隠すことができる。
13  それはおまえ。私の同輩私の友私の親友のおまえなのだ。

聖書(詩篇55:12-13

一言で言うと、最悪な状況です。

どうやって、こんな最悪な状況で、神様に委ねるのことができるというのでしょうか?

いや、逆なのです。
むしろ、最悪な状況に追い込まれないと、人間は、委ねることができないのです。
私たちが少しでも自分だけで解決できると思っている限り、それは委ねてはいないのです。

教会の子供たちとお風呂に行った時、ある子供がなかなか服を脱げなかったので、助けようとしました。
でも、力を入れているので、なかなか脱げません。

「はい、力抜いて」と言って、その通りにしてくれたら、すぐに脱げました。

委ねるとは、握っている手を開いて任せることです。

ギブアップすることです。
神様が助ける邪魔をしないことです。

それが、「神様に一切の問題の解決を任せること」なのです。

今日の祈り 今日の祈り
神様、手を開いて、問題を委ねます。あとは全てお願いします。 イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

【参考文献】回復への道 (リック ウォレン)2005/9/1

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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