普段使わないクリスチャン用語に「委ねる」があります。
辞書で意味を引いてみると、「一切を他人に任せる」とあります。
確かに人は誰かの助けなしでは生きていけませんが、これってめちゃくちゃ難しくないでしょうか?
他人に迷惑をかけるべきではないし、そもそもそんなに信用できる人っているのでしょうか?
人生で助けを必要とする時、誰に委ねるかと言う対象が最も大事です。
聖書は、委ねるとは「神様に一切の問題の解決を任せること」だと言っています。
あなたの重荷を主にゆだねよ。主があなたを支えてくださる。主は決して、正しい者が揺るがされるようにはなさらない。
聖書(詩篇55:22)
あなたの重荷とは、人生のあらゆる問題です。
この言葉を宣言しているのは、王になる前のダビデです。
よく、こんな信仰に溢れた言葉を言えたなというくらい、当時の彼は問題だらけでした。
・上司のサウルに命を狙われ
・祖国を追われ、荒野に逃げる
・経済的にも窮地
・毎日、死の恐怖と、うつ的な状況を体験し、
・同胞からは、憎しみと迫害を向けられる
・しかも、親友から裏切られる
12 まことに私をそしっているのは敵ではない。それなら私は忍ぶことができる。私に向かって高ぶっているのは、私を憎む者ではない。それなら私は身を隠すことができる。
聖書(詩篇55:12-13)
13 それはおまえ。私の同輩私の友私の親友のおまえなのだ。
一言で言うと、最悪な状況です。
どうやって、こんな最悪な状況で、神様に委ねるのことができるというのでしょうか?
いや、逆なのです。
むしろ、最悪な状況に追い込まれないと、人間は、委ねることができないのです。
私たちが少しでも自分だけで解決できると思っている限り、それは委ねてはいないのです。
教会の子供たちとお風呂に行った時、ある子供がなかなか服を脱げなかったので、助けようとしました。
でも、力を入れているので、なかなか脱げません。
「はい、力抜いて」と言って、その通りにしてくれたら、すぐに脱げました。
委ねるとは、握っている手を開いて任せることです。
ギブアップすることです。
神様が助ける邪魔をしないことです。
それが、「神様に一切の問題の解決を任せること」なのです。
【参考文献】回復への道 (リック ウォレン)2005/9/1