はじめに
エン・ジャパンと言う転職・就職専門会社で求職者900名へ、「あなたが働く理由はなんですか?」というアンケートをしたそうです。断トツで多かった一番の理由は「生活・家族のため」、そして次に「自分のため」という理由でした。
お金を稼いで安定的な生活を手に入れる。好きな人と結婚して、子どもに恵まれた家庭を築く。それらにの先にあるもの。それはそれらを通して「幸せ」を手に入れることです。
私たちはみな「幸せ」を追い求めて生きています。しかし、すべての人が望んでいる生活や家族を手に入れられる訳ではありません。たくさんお金を稼ぎ、望んでいた生活を手に入れたのに、忙しさや病気、ストレスにより、幸せではない人がいます。好きな人と結婚したのにも関わらず、夫婦関係や家庭の問題が押し寄せてきて幸せではない人がいます。
私たちが自分が追い求めた幸せをつかむ事ができなかった時、私たちが直面するもの。
それは失望です。
「こんなはずではなかった」と思う時です。もしかすると、私たちの人生は、「こんなはずではなかった」と思う時の連続かもしれません。
今回のメッセージ箇所のメインキャラクターであるヤコブも人生で大きな失望を経験した人でした。 今日はこのヤコブの失望を通して、「本当の希望とは?」というタイトルでみことばに耳を傾けていきたいと思います。
まず今回のメッセージ箇所の背景を簡単に説明します。
アブラハムの孫であり、イサクの双子の弟として生まれたヤコブ。彼は、兄を騙したことにより逃げるように家を出ました。寄る辺のない彼は、親戚の叔父であるラバンのところにたどり着きます。そこで、彼はラバンの娘、ラケルを好きになり、彼女と結婚するためにラバンの元で7年間働きます。そして、今回の箇所でヤコブは失望するのです。
25節をお読みします。
朝になって、見ると、それはレアであった。それで彼はラバンに言った。「何ということを私になさったのですか。私があなたに仕えたのは、ラケルのためではなかったのですか。なぜ、私をだましたのですか。」
聖書(創世記29:25)
失望する3つの理由
皆さんは、ヤコブがなぜ失望したと思いますか?ヤコブが失望した理由は、大きく三つあります。
1番目は、信頼していた叔父のラバンに騙されたからです。
そのとき、ラバンはヤコブに言った。「あなたが私の親類だからといって、ただで私に仕えることもなかろう。どういう報酬がほしいか、言ってください。」
聖書(創世記29:15)
誰にだまされるかということは私たちの失望に大きく関係します。海外旅行で知らない人にカバンを盗まれるのより、親友に騙される方がショックが大きいのです。家出をして身寄りのなかったヤコブがどれほど叔父のラバンに信頼していたかは想像に難くありません。
2番目にヤコブが失望した理由は、愛していたラバンの娘ラケルが得られなかったからです。得られなかったものが、どれだけ欲しかったものかということも、私たちの失望に大きく関係します。
16.ラバンにはふたりの娘があった。姉の名はレア、妹の名はラケルであった。
聖書(創世記29:16-17)
17.レアの目は弱々しかったが、ラケルは姿も顔だちも美しかった。
レアの目が弱々しかったという表現は、ラケルに比べて魅力的ではないという意味です。ここでは姿も顔立ちも美しいラケルがどれほどヤコブにとって魅力的であったかが強調されているのです。そして、ヤコブは娘をくださいと結婚を申し込むのです。
18.ヤコブはラケルを愛していた。それで、「私はあなたの下の娘ラケルのために七年間あなたに仕えましょう。」と言った。
聖書(創世記29:18-19)
19.するとラバンは、「娘を他人にやるよりは、あなたにあげるほうが良い。私のところにとどまっていなさい。」と言った。
ヤコブは家出をしていたので、今で言う結納金がなかったので、お金の代わりにラバンは7年間の労働をヤコブに課しました。しかし7年後、実際にラバンの策略によりヤコブはラケルではなく、長女レアと結婚することになります。
3番目にヤコブが失望した理由は、この7年間の労苦が無駄になったからです。
ヤコブはラケルのために七年間仕えた。ヤコブは彼女を愛していたので、それもほんの数日のように思われた。
聖書(創世記29:20)
例え、7年間が数日のように感じるほど、彼は希望に満ちていたとしても、7年という月日は決して短くありません。現代なら7年間働いたら何が買えるでしょうか?年収ラボという会社によると20代から30代の平均年収は346万円。7年は2422万円の価値があると言えるでしょう。また、日本人の平均寿命は約80年なので、7年は人生の約10分の1に値します。
この三つの理由をまとめると、私たちは、誰に、何を、どれくらいの間、希望を置いたかによって失望の度合いも比例して大きくなるということです。私たちも誰かに希望を置いて裏切られ、失望する時があります。何かを手に入れようとして、手に入らなくて、失望する時があります。長い間積み上げて来たものが無駄になり、失望する時があります。
しかし、今回の箇所で失望したのはヤコブだけではありません。実は、もっと大きな失望を経験したのはレアです。親の策略のよりヤコブと結婚させられ、しかも相手には「私が結婚したかった人はこの人ではない!」と失望されました。その後も、彼女のヤコブに対する愛はヤコブには届かず、ヤコブの愛はことごとく妹のラケルに奪われていきます。今回の箇所は、レアの視点で見るならばあまりにも可哀想な話です。
神様のメッセージ
では、今日の箇所から、神様が私たちに語っておられるメッセージは何でしょうか?
①神様だけに希望をもつ
②神様の変わらない計画に希望を持つ
③神様は失望の期間をも用いられるという希望を持つ
という三つに当てはめて見ていきましょう。
①神様だけに希望をもつ
ヤコブは、最初ラバンに希望を置いていました。しかし、その後のヤコブを見るならば、ヤコブは神様だけに希望を持ち続けていたことがわかります。ヤコブはその後、ラケルをもらうためにもう7年間、そして最終的には計20年もラバンに仕えました。創世記31章には、そんなヤコブの信仰に神様が目を留めます。
11 そして神の使いが夢の中で私に言われた。 『ヤコブよ。 』私は『はい』と答えた。
聖書(創世記31:11-13)
12 すると御使いは言われた。 『目を上げて見よ。 群れにかかっている雄やぎはみな、しま毛のもの、 ぶち毛のもの、 まだら毛のものである。 ラバンがあなたにしてきたことはみな、 わたしが見た。
13 わたしはベテルの神。 あなたはそこで、 石の柱に油をそそぎ、 わたしに誓願を立てたのだ。 さあ、 立って、 この土地を出て、 あなたの生まれた国に帰りなさい。 』」
たとえ、ラバンに裏切られ失望したとしても、そこで不信仰にならず、神様にだけ希望を持って、忍耐し、謙遜に、忠実に仕え続けるならば、神様は必ず見ていてくださるのです。
一方、レアも神様にだけ希望を置いていました。レアがヤコブとの間に産んだ子供の名前を見たらそれがわかります。ルベンが生まれる時は、レアはこう言いました。
「【主】が私の悩みをご覧になった。今こそ夫は私を愛するであろう」
レアがつけたシメオンの名前の意味は、「主は私の苦労を聞かれた」
レビは、 「主は呼ばれた」。ユダは、「主をほめたたえよう」という意味です。
つまり、大きく失望したレアもまた、神様だけに希望を持ち続けたことが聖書に記されているのです。あなたは今、誰に一番希望を置いているでしょうか?私たちが、全幅の希望を持つことのできる方は、神様だけです。
②神様の変わらない計画に希望を持つ
それぞれ、失望したヤコブとレアでしたが、実は、彼らを通して成し遂げられる神様の不変のご計画があったのです。彼らが、失望の中にあっても神様だけに希望を持ち続けた結果、何が起こったのでしょうか?
それは、ヤコブとレアから生まれる息子ユダの家系を見ればわかります。レアの息子ユダの子孫から、全人類の救い主イエス・キリストが生まれるのです。神様は彼らの信仰に目をとめられましたが、この背景には、ヤコブの祖父アブラハムに与えられた約束の計画があったことを覚えなければいけません。
私たちは、自分の計画を果たそう、自分の夢を果たそうとして、本来の神様のご計画とは違う方向に進んでしまう時があります。その先にあるものは、失望です。なぜなら、神様以外に完全なものはないからです。しかし、神様が私たちの人生に与えておられるご計画は完全で完璧です。
神の約束、計画は必ず成就するのです。自分にも周りの人にも理解できないことが起こり、大きな失望を経験したヨブも、最後に神様にこう告白しました。
1 ヨブは【主】に答えて言った。
聖書(ヨブ記 42:1-2)
2 あなたには、すべてができること、あなたは、どんな計画も成し遂げられることを、私は知りました。
あなたは今、何に一番希望を置いているでしょうか?たとえ、現在、失望する状況にいたとしても、神様のご計画は完全で完璧であることに希望を持ちましょう。
③神様は失望の期間をも用いられるという希望を持つ
後の31章を見ると、ラバンの元で働いた合計20年間、ヤコブは働く苦しみだけではなく、ラバンの意地の悪い態度にも苦しんだことがわかります。つまりヤコブにとって、その20年間は希望の持てないような失望の期間だったのです。
しかし、神様は、20年間という失望の期間を用いられました。その期間を通して、ヤコブを砕き、主の喜ばれる器へと成長させたのです。神様が失望の期間をも用いられるという例は聖書に多く出てきます。ヨセフは、兄弟たちから嫉妬されエジプトに売られ、奴隷として仕える失望の期間を通った後に、大飢饉の時に、神に用いられました。
モーセは、人を殺してしまい40年間もの間、羊飼いとしてひっそりと暮らした失望の期間を通った後に、出エジプトで神に用いられました。そして、35章で主はヤコブに現れ、彼をイスラエルと呼ばれます。
9 こうしてヤコブがパダン・アラムから帰って来たとき、神は再び彼に現れ、彼を祝福された。
聖書(創世記35:9-12)
10 神は彼に仰せられた。「あなたの名はヤコブであるが、あなたの名は、もう、ヤコブと呼んではならない。あなたの名はイスラエルでなければならない。」それで彼は自分の名をイスラエルと呼んだ。
11 神はまた彼に仰せられた。「わたしは全能の神である。生めよ。ふえよ。 一つの国民、諸国の民のつどいが、あなたから出て、王たちがあなたの腰から出る。
12 わたしはアブラハムとイサクに与えた地を、あなたに与え、あなたの後の子孫にもその地を与えよう。 」
彼が20年間、忍耐を持って神様だけに希望を持った結果、主はアブラハムに語られたご計画に沿って、ヤコブをイスラエルと呼び、レアの子孫から救い主イエス・キリストをご誕生なさったのです。たとえ、私たちが失望の期間を経験しているとしても、神様だけに希望を持ち、神様の完全なご計画に希望を持ち続けるならば、神様は私たちの人生を祝福し、用いてくださるのです。
まとめ
しかし、弱い私たちは、間違ったものに希望を持ってしまったり、主のご計画がわからずに失望してしまったりすることもあると思います。
でも、失望しないように頑張って強くならなくてもいいんです。失望しないように賢くなろうとしなくてもいいんです。 失望の中で、自分自身の弱さを認め、悔い改め、神様なしでは生きていけないことを認めること。
そうすれば、失望のどん底にいた、ヤコブとレアを通して、救い主イエス・キリストがお生まれになったように、私たちも、人生の失望の只中であっても、死の力を打ち破り復活されたお方、私たちの失望を希望に変えることのできるお方、イエス・キリストに出会うことができるのです。
私たちの人生の救い主、イエス様に希望を持ちましょう。
あなたは今、誰に希望を置いているでしょうか?
→あなたを決して見捨てない神様だけに希望を持ちましょう。
あなたは今、何に希望を置いているでしょうか?
→あなたの人生に与えられている神様のご計画に希望を持ちましょう。
あなたは今まで、神様以外のものに、長い間希望を置いてはいなかったでしょうか?
→たとえ、私たちには、無駄だと思えることでも、失望する状況になったとしても、もし私
たちが神様とそのご計画に希望を持つならば、神様が必ず私たちの人生を用いられること
に希望を持ちましょう。
神様に希望を持つとは、神様の計画が成し遂げられることを喜び、神様の栄光が現れることに希望を持つことです。そして、私たちの人生を通して成し遂げられる神様の偉大なご計画を通して、私たちも、私たちのまわりの人々も神の栄光を見るのです。
聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」
聖書(ローマ人への手紙10:11)
神様を信頼している人は多いのです。しかし、神様だけを信頼している人は多くありません。真のクリスチャンは、どんな時でも神様だけに望みをおいているので、いつも喜び、絶えず祈り、すべての事に感謝します。クリスチャンが成長するとは、失望しないように精神的に強くなることではありません。知恵や徳を身につけ賢くなることではありません。成熟したクリスチャンとは、自分自身の弱さを認め、罪深さを知り、神様なしでは生きていけないことを自覚している人。そして、その神さまだけに自分の人生のすべてを信頼し委ねている人です。
もし、あなたが過去にどんな失敗をしたとしても、そのせいで、人生が狂ってしまったとしても、問題はありません。神様はあなたの失敗をも神さまの計画のために使う事のできるお方です。神様はすべてのマイナスは必ずプラスにしてくださると信じましょう。
冒頭でお話ししたように、私たちの人生の希望は神様だけだからです。失望を通して、失望のただ中で私たちに出会おうとしておられる神様に気付かないといけないのです。
騙され好きな人と結婚できなかったヤコブもかわいそうですか、もっと悲惨な人がいます。ラケルの姉のレアです。親の策略のよりヤコブと結婚し、しかも相手には「私が結婚したかった人はこの人ではない!」と失望されました。レアの視点で見るならばもっと可哀想な話です。
思う通りのものが得られなくて失望したヤコブ。自分を見て失望されたレア。
この二人のストーリーのどこに、神の希望があるのでしょうか?それは、ヤコブとレアから生まれる息子ユダの家系を見ればわかります。レアの息子ユダの子孫から、全人類の救い主イエス・キリストが生まれるのです。
朝、隣を見てレアがいた。ヤコブにとっては、「こんなはずではなかった!」と、怒りや悲しみがこみ上げてくるような状況だったでしょう。しかし、私たちが今日覚えなければいけないことは、信頼していた人に裏切られ、愛していたものが取り去られ、長い年月積み上げて来たものが崩れてしまうような状況だったとしても、祖父アブラハムに与えられた神の絶対的な計画は必ず成就するということです。
神様が私たちを失望させたと思ってはいけません。あの人がこうしたから、こんなことが起こったから、こんなに頑張ったのに、といくら思っても、神様に落ち度はありません。むしろ、私たちが神様の御計画よりも、自分の計画を果たそう、自分の夢を果たそうとして間違った方向に行くから、失望するのです。
また、ある人はこう言います。過去にヤコブもラバンと同じように、自分の兄エサウを騙したので、悪が自分自身に返ってきた。そうかもしれません。しかし、そんなヤコブであっても神様は見捨てません。ヤコブを後に主はイスラエルと呼び、彼の妻たちを通して今のイスラエル12部族、そして救い主イエス・キリストが生まれました。神の計画は必ず達成されるのです。
しかし、聖書の創世記は、このヤコブのストーリーに、11章も割り当てています。なぜでしょうか?
それは、私たちの人生において重要なことは、どれだけ夢を果たせたか、どれだけ成功したかではないということです。
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