【人生を変える聖書のメッセージ#18】信仰は人生の解釈「不幸な出来事を楽観的に解釈できる力」(創世記45:1-11)

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はじめに

ある朝、何艘かの船が、漁に出るためアメリカ・ニューイングランドの小さな港を出航しました。ところが、 午後になってものすごい嵐になりました。

困ったのは、漁に出た漁師の妻、母、子どもたちです。夜になっても一艘も港に戻って来ないのをみて、港に出て彼らを救ってくださるよう、夜通し祈り続けました。さらに、不幸なことに、その晩に、一件の家が火事になりました。男たちがみな海に出ていなかったので、火を消すことができませんでした。その後、幸いにもすべての漁船が港に無事に戻って来ました。家族たちは大喜びしました。

「神様が祈りに答えてくれたんだわ!」

でも、その中に一人だけ絶望した人がいます。焼けてしまった家の女性です。その女性は、海から戻って来た夫を迎えても、泣きながら言いました。

「あなた、私たちはもう終わりよ。私たちの家が全部焼けてしまったの。」
しかし、夫は、妻の肩を抱きながらこう言いました。
「いや、その火事を与えてくださった神に感謝しよう。」
女性は、驚いた顔で夫を見ます。
「何も見えない夜に、船が全部、港に無事に導いたのは、その火事の火のおかげだったんだよ。」

この話のように、不幸な出来事を、楽観的に解釈できる人がいる一方、幸せな出来事さえも、悲観的に解釈する人がいます。つまり、人生の出来事をどのように解釈するかは、その人の視点にかかっていると言うことです。しかし、信仰者は、起きた出来事を、神様の視点で見ますこれは、楽観主義とか、ポジティブシンキングとは違います。

 信仰は人生の解釈です。 

ヨセフは自分に起こることを信仰によって解釈し、いつも落ち着いて知恵をもって対応しました。問題が起こるたびに不安になり、当惑する彼の兄たちとは実に対照的です。

苦難の連続を信仰によって解釈したヨセフ

ヨセフの涙

ヨセフの人生は、苦難の連続でした。それを、物語っているのが、ヨセフの涙です。

1 ヨセフは、 そばに立っているすべての人の前で、 自分を制することができなくなって、 「みなを、 私のところから出しなさい」と叫んだ。 ヨセフが兄弟たちに自分のことを明かしたとき、 彼のそばに立っている者はだれもいなかった。
2 しかし、 ヨセフが声をあげて泣いたので、 エジプト人はそれを聞き、 パロの家の者もそれを聞いた。

聖書(創世記45:1-2)


ヨセフは、「自分を制することができなくなって」、「声をあげて泣き」ました。ヨセフは、兄弟たちを見たときに、過去に二度泣いています。

ヨセフは彼らから離れて、 泣いた。 それから彼らのところに帰って来て、 彼らに語った。 そして彼らの中からシメオンをとって、 彼らの目の前で彼を縛った。

聖書(創世記42:24)

ヨセフは弟なつかしさに胸が熱くなり、 泣きたくなって、 急いで奥の部屋に入って行って、 そこで泣いた。

聖書(創世記43:30)


これらの時の涙は、悲しみと懐かしさ、悔恨が入り交った涙でした。ヨセフは、兄たちに裏切られて、傷つきました。聖書には、ヨセフが傷ついたとは書いてありませんが、間違いなく傷ついたはずです。そして、外国に売られ、とても怖かったでしょう。彼はまだ17歳でした。ヨセフは、小さい時に母親を亡くしているので、大好きなお父さんと家族から離れることがどれだけ寂しかったでしょうか。ヨセフの苦しみは、彼がつけた子供の名前から明らかです。

51 ヨセフは長子をマナセと名づけた。 「神が私のすべての労苦と私の父の全家とを忘れさせた」からである。
52 また、 二番目の子をエフライムと名づけた。 「神が私の苦しみの地で私を実り多い者とされた」からである。

聖書(創世記41:51-52)

彼にとって、今までの人生の苦難は、忘れたいほど大きなものだったのです。

しかし、今日の箇所の涙は、過去の二度の涙とは違いました。三度目の涙は、それまでのあらゆる苦しみを拭い去る、喜びの涙でした。自分とベニヤミンに対する父のこの上ない愛を知り、ベニヤミンの代わりに奴隷となると言ったユダの犠牲に感動したヨセフは、ついに感情を抑えきれずに声をあげて泣いたのです。こうして、ヨセフは、ようやく自分の正体を明かします。

3 ヨセフは兄弟たちに言った。 「私はヨセフです。 父上はお元気ですか。 」兄弟たちはヨセフを前にして驚きのあまり、 答えることができなかった。
4 ヨセフは兄弟たちに言った。 「どうか私に近寄ってください。 」彼らが近寄ると、 ヨセフは言った。「私はあなたがたがエジプトに売った弟のヨセフです。

聖書(創世記45:3-4)


ヨセフが正体を明かしたことは、ヨセフが過去の出来事を乗り越えた証拠です。

ヨセフはどうやって、乗り越えたのでしょう?
 それは、信仰によって、人生を神様の視点で解釈することによってです。 


創世記45章の5節以降を読むならば、彼がそのような信仰を持っていたことがわかります。

苦難(5節)

今、 私をここに売ったことで心を痛めたり、 怒ったりしてはなりません。 神はいのちを救うために、 あなたがたより先に、 私を遣わしてくださったのです。

聖書(創世記45:5)


ヨセフは、売られたことで痛みや傷、寂しさを経験しましたが、それは、「神様が家族を救うために必要だった」と信仰によって解釈したのです。

状況(6~7節)

6 この二年の間、 国中にききんがあったが、 まだあと五年は耕すことも刈り入れることもないでしょう。
7 それで神は私をあなたがたより先にお遣わしになりました。 それは、 あなたがたのために残りの者をこの地に残し、 また、 大いなる救いによってあなたがたを生きながらえさせるためだったのです。

聖書(創世記456-7)


ヨセフは、飢饉という状況も、「夢と、人々のいのちを救う神の目的」から信仰によって解釈したのです。

成功(8節)

8 だから、 今、 私をここに遣わしたのは、 あなたがたではなく、 実に、 神なのです。神は私をパロには父とし、 その全家の主とし、 またエジプト全土の統治者とされたのです。

聖書(創世記45:8)


ヨセフは、成功した立場をも、「神の計画に用いられるため」だと信仰によって解釈したのです。

ヨセフが、兄弟たちを赦せたのは、兄弟たちによってもたらされ た自分の苦難は、神がなさったことだと解釈したからです。怒りや恨み、のろいのためには生きず、愛するものには全てのことを愛働かせて益としてくださる神さまを信じて期待しました。名誉、権力、富を得ましたが、それを復讐のためではなく、人を助けて生かすことことに使いました。

信仰によって解釈するための重要な3つのこと


信仰によって人生を解釈するために覚えたい、重要な三つのことがあります。
① 決断すること
② 忍耐すること
③ 行動すること

① 決断すること

信仰による人生の解釈には、決断が伴います。神様はお一人でも計画を進めることができますが、必ず私たちを用いられます。でも、そこには私たちの自由意志の領域があります。信仰は、必ず私たちの決断が伴います。私たちにボールが渡されているということです。創世記45章5-8節を見ると、ヨセフは、決断していることがわかります。彼の言葉は確信に満ち、これは神様の計画だと断言しています。実は、かなり早い段階でヨセフが決断していたことがわかります。

51 ヨセフは長子をマナセと名づけた。 「神が私のすべての労苦と私の父の全家とを忘れさせた」からである。
52 また、 二番目の子をエフライムと名づけた。 「神が私の苦しみの地で私を実り多い者とされた」からである。

聖書(創世記41:51-52)


子供の名前は彼の信仰告白です。神様が主語です。神様のご計画を私たちが全て理解できるわけではありません。信仰が必要なのです。だからこそ、神様を信頼する決断が必要なのです。

神の計画は最善だ!(エレミヤ29:11)
神は私を愛している!(イザヤ43:4)
神は乗り越えられない試練に合わせない!(1コリント10:13)


これらは全て聖書のみことばですよね?私たちの人生は、 神の完全なご計画の下にあることを信じる決断をしましょう。 

② 忍耐すること

信仰による人生の解釈には、忍耐が必要です。

ヨセフは、 そばに立っているすべての人の前で、 自分を制することができなくなって、 「みなを、 私のところから出しなさい」と叫んだ。 ヨセフが兄弟たちに自分のことを明かしたとき、 彼のそばに立っている者はだれもいなかった。

聖書(創世記45:1)


原語は、「我慢できなくなって」という意味です。つまり、ヨセフは今まで忍耐していたのです。最初にヨセフの兄弟がエジプトに来たのは42章。正体を明かしたのは45章。なぜ、ヨセフは最初に会った42章ですぐに姿を明かさなかったのでしょうか?ヨセフは、父親と弟に会いたい思いをぐっとこらえて、兄弟たちの思いを確かめようと彼らをためしたのです。兄弟たちは、殺されることを恐れて、人質になったシメオンをエジプトに残したまま二度と戻って来ないのではないか?ベニヤミンの袋に銀の杯が つかったとき、兄弟たちは彼のせいにして自分たちだけ生きながらえようとするのではないか?ちゃんと、過去のことを悔い改めているかということを、これらのことを通して試したのです。


神様の視点で見るならば、兄弟たちが本当の意味で悔い改めるまで、時間が必要でした。しかし、ヨセフにとっても時間が必要でした。確かに、ヨセフは、信仰によって、自分の人生にある神様のご計画を信じることを決断しました。

しかし、彼が受けた傷や怒り、寂しさが、一瞬で消え去る訳ではありません。一瞬で癒しが起こることもありますが、ほとんどの場合、癒しにはプロセスがあります。信仰によって、人生を解釈することは、私たちの感情を殺すことではありません。癒しのプロセスを忍耐を持って通ることが必要なのです。そして、そのプロセスは、傷つけた方と、傷ついた方、両方が通る場合があります。そのプロセスを通った時、和解が完成するからです。 神の完全なご計画の中で、時間が必要なとき、通るべきプロセスがあるときは、信じて忍耐しましょう。 

③ 行動すること

信仰による人生の解釈には、行動が伴います。

9 それで、 あなたがたは急いで父上のところに上って行き、 言ってください。 『あなたの子ヨセフがこう言いました。 神は私をエジプト全土の主とされました。 ためらわずに私のところに下って来てください。
10 あなたはゴシェンの地に住み、 私の近くにいることになります。 あなたも、 あなたの子と孫、 羊と牛、 またあなたのものすべて。
11 ききんはあと五年続きますから、 あなたも家族も、 また、 すべてあなたのものが、困ることのないように、 私はあなたをそこで養いましょう』と。

聖書(創世記45:9-11)


ヨセフは、すぐに、家族を連れてエジプトに来てくださいと言います。ゴシェンという素晴らしい地を用意し、困ることないように、全てこちらで準備しますと言ったのです。彼は口だけで赦したのでは、ありませんでした。信仰により、人生を神の視点で解釈し、真に兄弟を赦したので、家族に憐れみを施しました。

人生を神の視点で解釈できない人は、怒りや傷をずっと握っていて、結局行動できません。自分を憎み殺そうとした兄弟たちに、自分が叫んで助けを求めても無視した兄弟たち。そんな人たちに、優しい言葉をかけ、生活全ての面倒を見ると言いました。人生を神の視点で解釈した人は、どんなものも手放すことができます。それは、自分が作ってきた人生じゃないからです。全ては神の計画に用いられるためだということを理解しているからです。神様の計画があるから、神様が勝手にやるんでしょ?ではありません。 私たちに責任がないわけではないのです。信仰が必要なのです。行動するのです。 

まとめ

私たちも、ヨセフのように、人生を信仰によって、神の視点で解釈しなければいけません。


ヨセフのように、多くの苦難や試練を通ったとしても、ヨセフのように、人に憎まれ、家族に裏切られ、多くの傷があったとしても、ヨセフのように、大きな成功も治め、多くの誘惑にも会ったとしても、人生を諦めたり、人を呪ったり、好き勝手に生きる言い訳には決してなりません。

私の人生なんて!と自己憐憫に陥るのが普通だと言ってはいけないのです。 全てを信仰によって解釈するならば、どんなことも乗り越えることができるのです。 私たちの人生には意味があります。神様だけがそれを知っています。それで十分じゃないですか?

なぜこんなことが起こったんだ?と怒るのではなく、何のためにこんなことが起こったのでしょうか?と神様に目を向けましょう。主は、あわれみ深く、情け深く、怒るのにおそく、恵みとまことに富むお方です。そのお方を信頼しましょう。私たちを用いて、癒し、救い、和解へと導かれる神。そのお方の御心に目を留めましょう。

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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