【人生を変える聖書のメッセージ#21】善悪の知識の木③食べること「なぜ、食べては行けないのか?」創世記2:16-17

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はじめに

今日は、「善悪の知識の木」シリーズの③回目のメッセージです。

1回目のメッセージでは、
「神様は、なぜ、善悪の知識の木を置かれ、食べるなという命令をされたのか?」という質問の答えがポイントでした。
それは、人間には、驚くべき自由と特権が与えられているからこそ、人間を造られた神を覚えるためです。
「園のどの木からも自由に食べなさい。でも、あなたを造ったわたしを忘れるな」「ただし、神を覚えよ!」ということです。

2回目のメッセージでは、
善悪の知識の木から、明らかにされた人間の存在意義がポイントでした。
それは、「神に仕え、神の命令を守る」ことです。
神様との愛の関係の中で、それは人の喜びになるということです。

今日は3回目のメッセージ、
善悪の知識の木が「食べる問題」であったということに焦点を当てたいと思います。

ある人は、イエス様が自分のために死なれたことは信じるけど、アダムが善悪の知識の木の実を取って食べたという、創世記の話は信じれないというかもしれません。
イエス様は2000年前、明らかに歴史上生きていた人物として信じながらも、アダムが善悪の知識の木の実を取って食べたことは神話のようだと考える人もいるのです。

なぜでしょうか?
それは、アダムとイブがりんごの食べるイメージが、何か昔の神話のようなイメージを連想させるからではないでしょうか?

写真を見てください。
私は、あえて、神話風の絵をチョイスしました。

でも、ちょっと、待ってください。
この絵の中で、非現実的な描写はあるでしょうか?

自然があって、人がいる。そして、木があって、その木の実を食べようとする瞬間です。

善悪の知識の木こそ、いたって現実的な話です。
なぜなら、善悪の知識の木は、「食べる」問題だったからです。

この「食べる」ということが非常に大切です。
神様が、「食べてはいけない」といった、善悪の知識の木の実を食べたアダムによって、全人類に罪が入りました。
善悪の知識の木の実を食べたということは、神様の命令に従わなかったということです。

なぜ、神様は、神に従うか、従わないかということを「食べる」問題にしたのでしょう?

今日は、創世記2:16-17から、「善悪の知識の木③食べること」というタイトルで、共に聖書から神様のメッセージを聞いていきたいと思います。

ゆうき牧師のYouTubeチャンネルでは、聖書の終末預言シリーズという世の終わりについて聖書が何を言っているかだけにフォーカスを当てた動画や、人生に適用できる3分間の聖書のメッセージ動画を見ることができます。少しでも興味のある方は、ぜひ、YouTubeのチャンネル登録をよろしくお願いします。

なぜ、神様は、神に従うか、従わないかということを「食べる」問題にしたのでしょう?
三つの理由があります。

①神に従うことは、難しいことではなく、誰にでもできることだから

何かを食べるか、食べないかということは、説明するまでもなく、誰にでもできることです。
わたしにもできます。あなたにもできます。おじいちゃんでも、おばあちゃんでも、小さな子供でもできます。

しかし、もし、神様が、
「現世の束縛や人々との交わりのすべてを絶ち、世俗的な欲望の一切を捨て、断食をして、徹夜の祈りをすれば、わたしに従っていると認めよう」
と言ったとしたら、どうですか?

もし、このようなやり方ならば、できない人が出てくるはずです。
ちなみに、これはイスラムの修行の一つです。

「善悪の知識の木」は、神話的でも、哲学的でも、苦行的なものでもありません。
神様が食べるなと言った木の実を食べないだけです。

つまり、神様に従うことは、特別な訓練を受けた人だけができるものではなく、誰にでもできる簡単なことです。
できるかできないかが問題ではなく、するかしないかということが焦点です。
子供でもできる。子供が親の言うことを聞くくらい簡単なことなのです。

②神に従うことは、一回で終わることではなく、一生涯続くことだから

ほとんどの人が毎日、何かを食べます。それも、三食食べます。
これは、一回きりのことではなく、習慣的に行うことです。

つまり、神様に従うことは、一時的な告白や選択だけではないということです。
神様に従うことは、一生涯続く、神様との関係に基づく問題だと言うことです。

③神に従うことは、宗教的なことではなく、命に関わることだから

私があえて、宗教的なことだと言ったのは、アダムが神に従っているか判断するために用いられた善悪の知識の木は、特定の人だけに与えられたものではなく、全人類に向けられたものだからです。

つまり、神様に従うことは、「教え」ではないということです。
実生活の問題です。
超現実的なことであり、ご飯を食べない人はいないように、すべての人を対象としています。

人は生きるために食べます。
食事はとても大切です。
ご飯を食べなかったら人は死んでしまうように、これは命に関わることです。

しかし、善悪の知識の木の実は、食べると死にます。

16 神である【主】は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
17 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」

聖書(創世記2:16-17)

普通は、食べると生きます。
しかし、善悪の知識の木の実は食べると死ぬと神様は言われました。

なぜしょうか?

私たちは、ご飯を食べない時に人は死ぬと思っていますが、
正確には、神様の命令を守った時に人は生き、破った時に人は死ぬからです。

このことは、レビ記にもはっきりと書かれています。

あなたがたは会見の天幕の入口の所で、七日の間、昼も夜もとどまり、【主】の戒めを守らなければならない。死なないためである。私はそのように命じられたのである。」

聖書(レビ8:35)

あなたがたは、わたしのおきてとわたしの定めを守りなさい。それを行う人は、それによって生きる。わたしは【主】である。

聖書(レビ18:5)

モーセの例

モーセとともに、出エジプトをしたイスラエルの民は、荒野を40年間さまよいました。
そこで、彼らが学んだことは、「神に従うか、従わないかでした」

1 私が、きょう、あなたに命じるすべての命令をあなたがたは守り行わなければならない。そうすれば、あなたがたは生き、その数はふえ、【主】があなたがたの先祖たちに誓われた地を所有することができる。
2 あなたの神、【主】が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。
3 それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は【主】の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった。

聖書(申命記8:1-3)

そして、神に従わなかった世代は、「滅んだ」とはっきりと書いています。

にもかかわらず、彼らの大部分は神のみこころにかなわず、荒野で滅ぼされました。

聖書(1コリント10:5) 

ほとんどの人は、ご飯を食べていれば、生きると考えがちです。
しかし、ご飯を食べていれば、死なないのか?と考えるならば、それが間違っていることに気づくでしょう。
毎食、きちんと食べていたとしても、人には自分がいつ死ぬのかわかりません。
そして、一つだけ確かなことは、人は、遅かれ、早かれ、いつかは死ぬのだということです。

人間の生死は、神様に従うか、従わないかという選択によるのです。

イエスさまも、荒野で悪魔の誘惑に遭われた時、こう言われました。

イエスは答えて言われた。 「『人はパンだけで生きるのではなく、 神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。 」

聖書(マタイ4:4)

また、サマリヤの女に伝道する時も、こう言われました。

しかし、イエスは彼らに言われた。「わたしには、あなたがたの知らない食物があります。」

聖書(ヨハネ4:32)

イエスは彼らに言われた。「わたしを遣わした方のみこころを行い、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。

聖書(ヨハネ4:34)

神様に従うことが食べ物であり、それによって生きるということです。
そして、神に従わなければ人は死ぬのです。

アダムは本当に死んだのか?

しかし、ここである疑問が起こります。
神様は、善悪の知識の木の実を食べるなら、必ず死ぬといいました。

しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」

聖書(創世記2:17)

善悪の知識の木の実を食べたアダムとイブは死にましたか?

6 そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、 夫も食べた。
7 このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。

聖書(創世記3:6-7)

死んでいません。
神様は、「あなたは必ず死ぬ」と言われました。
なぜでしょうか?
神様は嘘をついたのでしょうか?カマをかけたのでしょうか?

いいえ、それは、目に見える命だけが全てではないということです。
聖書は、肉体的な死の他に、霊的な死があることをはっきりと語っているのです。

神様に従わないという罪によって、聖なる神様から離れてしまい、人は霊的に死んでしまいました。
命の供給源である神さまと離れたからです。

私たちの心の穴

身体は元気だけど、虚しさ、孤独、心の病を抱えている人はとても多いのです。
なぜでしょうか?
罪によって、命の供給源であり、私たちの天の父なる神様から離れてしまっているからです。

有名な数学者パスカルは、
「人間の心には神にしか埋められない穴がある。」と言った通りです。

また、霊的な死は、罪のさばきによる永遠の死を表します。

8 そのとき主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に報復されます。 
9 そのような人々は、主の御顔の前とその御力の栄光から退けられて、永遠の滅びの刑罰を受けるのです。

聖書(2テサロニケ1:8-9)

そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。

聖書(黙示録20:10)

この箇所は、いわゆる天国の地獄の存在を示し、神を知らない人々や、 私たちの主イエスの福音に従わない人々は永遠の滅びの刑罰を受けると聖書ははっきりと語っています。

では、反対にイエスキリストを信じるなら、永遠の何が与えられるのでしょうか?
永遠のいのちが与えられると聖書は言っています。
考えたことがあるでしょうか?
なぜ、永遠のいのちなのか?
それは、逆に、永遠の死があるからです。

こうして、この人たちは永遠の刑罰に入り、正しい人たちは永遠のいのちに入るのです。」

聖書(マタイ25:46)

これが、善悪の知識の木です。
神に従うならば生き、神に従わないならば死ぬ。
そして、神様が「これを食べるならば、必ず死ぬ」と言った、死とは、霊的な死と永遠のさばきのことだということです。

つまり、善悪の知識の木は食べる問題であり、それは、命に関わる問題なのです。

神を礼拝し、神を愛し、神との正しい関係の中で、園のどんな木からも自由にとって食べ、自由に暮らす幸せを与えられた一方、
エデンの園の中央にある、この善悪の知識の木を見て、「これだけは食べてはならない」という神の命令を思い出し、人は神に従うことによって生きるのだということを覚えるのです。

生活への適用

では、どうすれば、神様の命令に従うことができるのでしょうか?
むしろ、私たちは、神様の命令に完璧に従うことが可能でしょうか?

ここに、神様の命令に完璧に従っている人がいたら、手をあげてください。
私を含めて1人もいないはずです。

しかし、唯一、神様の命令に完璧に従われたお方がいます。
それが、イエス・キリストです。

私たちが生きる秘訣がここにあります。
イエス様につながることです。

ヨハネ15:5でイエス様は言われました。

わたしはぶどうの木で、 あなたがたは枝です。 人がわたしにとどまり、 わたしもその人の中にとどまっているなら、 そういう人は多くの実を結びます。 わたしを離れては、 あなたがたは何もすることができないからです。

聖書(ヨハネ15:5)

イエス様につながっているならば、私たちは実を結ぶことができます。
つまり、神様の命令を守ることができます。

もし、 あなたがたがわたしの戒めを守るなら、 あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。 それは、 わたしがわたしの父の戒めを守って、 わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。

聖書(ヨハネ15:10)

ここでも、イエス様につながることが、戒め、つまり命令を守ることとつながっています。

私たちが自分の力で頑張って従おうしても、従うことはできません。
しかし、キリストにつながっているなら、私たちは、信仰によって神様に従うことができるのです。

・毎週、聖餐式でパンと杯を食べるとき、キリストを覚えましょう。

イエス様は、ヨハネ6:54で、

わたしの肉を食べ、 わたしの血を飲む者は、 永遠のいのちを持っています。 わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。

聖書(ヨハネ6:54)

といわれました。
パンと杯を食べるとき、私たちに命を与え、生かしてくださるイエス・キリストを覚え、信仰によって生きるのです。

・毎日、聖書のみことばを食べる時に、キリストを覚えましょう。
聖書を読むだけでは不十分です。
イエス様が言われたように、神のみことばに従うことによって生きるのです。

イエスは彼らに言われた。 「わたしを遣わした方のみこころを行い、 そのみわざを成し遂げることが、 わたしの食物です。

聖書(ヨハネ4:34)

聖書を文字通り、私たちの食物として蓄え、信仰による行動によって消化して行くならば、私たちは信仰によって生きるのです。

毎食、ご飯を食べる時に、キリストを覚えましょう。
私たちは、なぜ、毎食、祈ってから食べるのでしょうか?
『人はパンだけで生きるのではなく、 神の口から出る一つ一つのことばによる』ということを覚えるためです。
与えられたご飯に感謝するだけではなく、私たちに命を与え、生かしてくださるイエス・キリストを覚え、生きるのです。

まとめ

神様が善悪の知識の木の「食べる、食べない」ということを通して、伝えたかったことをもう一度、確認しましょう。

①神に従うことは、難しいことではなく、誰にでもできること
自分にはできないと言わないでください。
イエス様につながるならば、私たちは、誰であっても、神様に従うことができます。

②神に従うことは、一回で終わることではなく、一生涯続くこと
一度の告白で終わっていないでしょうか?日曜の礼拝だけで終わっていないでしょうか?
イエス様につながるならば、私たちは、一生涯、神様に従うことができます。

③神に従うことは、宗教的なことではなく、命に関わること
神に従うことをおろそかにして、霊的に死んでいないでしょうか?
イエス様につながるならば、私たちは、キリストの命に溢れて、神様に従うことができます。神に従うことによって、生きているでしょうか?

私たちは、善悪の知識の木を見るたびにいつも覚えなければいけません。

私たちの命の供給源は、イエス・キリスト。
このお方につながっているならば、神の命令を守ることができ、私たちは生きるのです。

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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