【人生を変える聖書のメッセージ#3】喜びのない信仰生活が180°変わる「聖霊体験ってなんだ?」使徒の働き19章1-7節

聖霊体験ってなんだ?
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はじめに

私が今まで、クリスチャンの方から最もよく聞いた悩みはこれです。
「神様の御心が分からない」
「神様の声が聞こえない」

これを読んでおられる方の中にも同じ悩みを抱えている人は少なからずいると思います。どうやったら神様の御声を聞き、神様の御心がわかるようになるのか?こうすれば聞こえるという魔法のような方程式は残念ながら私にはわかりません。しかし、一つだけ確かなことは、神様の御声を聞き、神様と親しい交わりに入っていく鍵は「聖霊様の働き」だということです。

そして、聖霊様が私たちの人生でもっと働かれるならば、神様の御心がより分ってくるだけじゃなく、クリスチャン生活のすべての領域で変わっていきます。賛美をして満たされるという経験をするかもしれません。聖書を読んでいて、神様の御心がより明確に感じるようになるかもしれません。祈っていたら急に涙が出るようになるかもしれません。人々にイエス様のことを伝えたくて、いてもたってもいられなくなくなるかもしれません。

クリスチャン生活は、誰かに指示されて嫌々することではありません。内側から溢れてくる喜びと力によって、自発的に生き生きと歩むこと、それが健全なクリスチャン生活です。クリスチャン生活は、理性によって神様を知っていると言うことだけではありません。ヨハネの手紙第一1章1節にあるように、聞いて、見て、触れるもの。神様を実感として体験し続けること、それが健全なクリスチャン生活です。そのようなクリスチャンの生活は、ダイナミックでパワフルです。それは、イエス様を信じている人には、生きて働かれる神様の霊、聖霊さまが私たちとともにおられるからです。

もしかしたら、今、これを読んでいる方の中に聖霊ってよく分からないと思っている人がいるかもしれません。あるいは、クリスチャン生活に物足りなさを感じている人がいるかもしれません。でも、安心してください。
 求めるならば、必ず私たちの人生に聖霊さまの御力が現れます。 

今日は期待を持って使徒の働き19章を見ていきたいと思います。

パウロの質問

今回はパウロが第三次宣教旅行で、エペソに来たときの話です。エペソでパウロは弟子10数名の団体に会いました。今回のストーリーを要約すると、弟子たちはイエスさまの名によって洗礼を受けて、パウロが祈った後に、聖霊が彼らに臨まれ、 彼らは異言を語ったり、 預言をしたりしたということです。この話で気になる点があります。それは、パウロが一度洗礼を受けた弟子たちに、二度目の洗礼を授けたことです。

なぜ、パウロは、もう一度、彼らに洗礼を授けたのでしょう?

この疑問を解くために、パウロがした二つの質問に注目したいと思います。

1.信じたとき、聖霊を受けましたか

パウロの一つ目の質問は、19章2節の「信じたとき、 聖霊を受けましたか」という質問です。

「信じたとき、 聖霊を受けましたか」と尋ねると、 彼らは、 「いいえ、 聖霊の与えられることは、 聞きもしませんでした」と答えた。

聖書(使徒の働き19:2)


この一つ目の質問から、パウロが確認したことは、「彼らは聖霊について全くの無知だった」ということです。

今回の箇所がある使徒の働き(使徒行伝)は、別名「聖霊行伝」とも言われています。使徒の働きは全部で28章ありますが、この28章のすべての驚くべき奇跡や出来事は、使徒たちによってではなく、実は使徒たちを通して聖霊様によって成されているからです。使徒の働きは、復活されたイエス様が天に戻られる直前に弟子たちに最後の言葉を残すシーンから始まります。イエス様は弟子たちにこう言われました。

しかし、 聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、 あなたがたは力を受けます。 そして、エルサレム、 ユダヤとサマリヤの全土、 および地の果てにまで、 わたしの証人となります。

聖書(使徒の働き 1:8)

そして、この言葉を残し、イエスさまは天国に戻られました。

こう言ってから、 イエスは彼らが見ている間に上げられ、 雲に包まれて、 見えなくなられた。

聖書(使徒の働き19:9)

そして、実際に使徒の働き2章でイエスさまの約束の御言葉は実現します。それがいわゆる「ペンテコステ」と呼ばれる出来事です。ペンテコステという名前はギリシア語で「50番目の日」を意味するペンテイコステイ、これはイスラエルの三大祭りのシャブオットから来ています。

1 五旬節の日になって、 みなが一つ所に集まっていた。
2 すると突然、 天から、 激しい風が吹いて来るような響きが起こり、 彼らのいた家全体に響き渡った。
3 また、 炎のような分かれた舌が現れて、 ひとりひとりの上にとどまった。
4 すると、 みなが聖霊に満たされ、 御霊が話させてくださるとおりに、 他国のことばで話しだした。

聖書(使徒の働き2:1-4)

このペンテコステの出来事の後、聖霊に満たされた弟子たちは、大胆に伝道し、病気を癒し、死人をよみがえらせ、多くの人がイエス様を信じ、教会が爆発的に成長していくのです。しかし、パウロが会ったこの弟子たちの生活にはそのような働きが見られなかったようです。

もし、彼らの働きに力強いイエスさまの力が起きていれば、パウロは初めて会ってすぐに、「聖霊を受けましたか?」とは聞かないでしょう。「ん?弟子と言っているけど、なんか変だぞ」と思ったから確認したのです。実際、19章7節を見ると、この弟子たちはわずか12人だったことがわかります。

その人々は、 みなで十二人ほどであった。

聖書(使徒の働き19:7)


イエス様が天に戻られて、他の弟子たちはみな、エルサレムを始めリバイバルのような働きをしている中、彼らは全然数が増えていなかったのです。イエス様の弟子は12人でした。しかし、ペンテコステの日にイエス様が送られた聖霊様が降った後、イエス様の弟子は3000人に膨れ上がりました。使徒の働きでは、福音が地理的に広がり、イエス様の弟子たちが量的に増えていく様子を強調しています。

こうして神のことばは、 ますます広まって行き、 エルサレムで、 弟子の数が非常にふえて行った。 そして、 多くの祭司たちが次々に信仰に入った。

聖書(使徒の働き6:7)

しかし、パウロがエペソで出会った弟子たちは、たった12人。あのペンテコステの出来事から、少なくても20年以上経っていたのにです。25万人の大都市エペソで、宣教の働きも広がらなく、彼らの生活に力がなかったのを見て、パウロは彼らがまだ約束の聖霊を受けていないとわかったのです。この一つ目の質問からパウロがわかったことは、「彼らは聖霊について全くの無知だった」ということです。

2.では、どんなバプテスマを受けたのですか

2つ目の質問は、19章3節です。

「では、 どんなバプテスマを受けたのですか」と言うと、 「ヨハネのバプテスマです」と答えた。

聖書(使徒の働き19:3)


ヨハネのバプテスマとは、イエス様がまだ十字架にかかり復活する前にバプテスマのヨハネが「キリストが来られるから悔い改めて準備しなさい」と言って授けた洗礼です。

そこで、 パウロは、 「ヨハネは、 自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、 悔い改めのバプテスマを授けたのです」と言った。

聖書(使徒の働き19:4)


彼らは、イエス様が来られる準備として悔い改めの洗礼を受けたけど、イエス様が来られたのに、そのお方を救い主として受け入れていなかったのです。どんなに罪を悔い改めても、それが私たちの人生の救い主であられるイエス様の十字架の贖いとつながらなければ、意味がないということです。

つまり、この質問でパウロが確認したこと。それは、彼らはまだイエス様の御名による救いを受けていなかったということです。なので、パウロは彼らに改めてイエス様の御名で洗礼を授け、この12人の弟子は約束の聖霊様をペンテコステから20年後に体験したのです。

5 これを聞いたその人々は、 主イエスの御名によってバプテスマを受けた。
6 パウロが彼らの上に手を置いたとき、 聖霊が彼らに臨まれ、 彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。

聖書(使徒の働き19:5-6)


聖霊が降ったら、必ず異言を語ったり、預言をするという意味ではありませんが、この箇所は、聖霊が降ったら、異言や預言などの聖霊の賜物が、現れることがあることを示しています。

ここまでの話をまとめると、パウロがエペソで出会ったイエス様の弟子たちは、
一つ、「聖霊について全くの無知だった」
二つ、「イエス様の御名によって救いを受けていなかった」

つまり、パウロが、もう一度、彼らに洗礼を授けた理由は、彼らがヨハネのバプテスマの真意をよくわかってなかったために、イエス様を救い主として受け入れず、それに伴う聖霊も与えられていなかったからです。なので、パウロは、約束の聖霊を受けるために、主イエスを信じた信仰の告白としてバプテスマを授けたのです。

今日、私たちがここから、学ぶべきことは何でしょうか?この弟子達のように、聖霊を受けるためにもう一度、洗礼を受けることでしょうか?違います。
私たちがすでにイエスキリストの福音を聞いて信じていれば、洗礼は一回で十分です。もし、あなたがまだイエス様を信じていなければ、信じて、洗礼を受けてください。その場合も一回で十分です。この弟子たちはイエス様が来られる前にヨハネの洗礼を受けた例外的なケースであり、もう一度イエス様への信仰の確認と、イエス様の御名による洗礼が必要だったのです。

 今日のポイントは、イエス様を信じるならば、聖霊が降り、生活が変わっていくということです。 

もし私たちがイエス・キリストを信じて、その告白としてイエス様の御名による洗礼を受けたなら、すでに聖霊は降っているのです。そして、聖霊の力によって、神の国の広がりを実生活の中で体験していくのです。聖書にもはっきりと書いてあります。

そこでペテロは彼らに答えた。 「悔い改めなさい。 そして、 それぞれ罪を赦していただくために、 イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。 そうすれば、 賜物として聖霊を受けるでしょう。

聖書(使徒の働き 2:38)


そして、信じる者の内側に聖霊様が住まわれますと聖書に書いています。

あなたがたのからだは、 あなたがたのうちに住まれる、 神から受けた聖霊の宮であり、 あなたがたは、 もはや自分自身のものではないことを、 知らないのですか。

聖書(コリント人への手紙第一6:19)

この弟子達は聖霊については聞いてないと言っていましたが、実はバプテスマのヨハネはイエス様が来られたら、聖霊を与えると言っていました。

私は、 あなたがたが悔い改めるために、 水のバプテスマを授けていますが、 私のあとから来られる方は、 私よりもさらに力のある方です。 私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。 その方は、 あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。

聖書(マタイの福音書3:11)


また、ヨハネはこう叫びました。「悔い改めなさい。天の御国は近づいたから。」
イエス様を信じれば、イエス様の霊であられる聖霊が与えられ、聖霊の火によって、使徒の働きの弟子達のように、宣教の御業を力強くなしていく。つまり、必然的に、神の御国が広がっていくことをヨハネはすでに預言していたのです。

でも、この12人の弟子のように、イエス様の十字架の贖いは私の罪のためだったんだと、体験したり、確信まで行かないという人もいるのではないでしょうか?あるいは、イエス様を信じていても、この12人の弟子のように、聖霊についてイマイチよくわからなかったり、聖霊の力を実生活で体験していない人は実は多いのではないでしょうか?
私はそうでした

ゆうき牧師のストーリー

私は生まれてすぐの時から教会に通っていましたが、聖霊については大学生まで正直よくわかりませんでした。教会の礼拝にくれば、なるべく真ん中から離れようとして隅っこに座っていました。わりと早い時期に洗礼を受ける同世代の友達に対して、「本当かよ」と、冷ややかな目で見ていました。礼拝で賛美を歌うのが本当に嫌いでした。恥ずかしくて人前で歌を歌うなんて無理でした。しかも賛美の何が楽しいかよくわかりません。

そんな私が、180°変わったのは、私の中に住まわれる聖霊様の存在に気づいたからです。高校生の時に、母が「聖霊様が与えられるように祈りなさい」と言われたので、毎晩寝る前に一言、「神様、聖霊さまを与えてください」と祈っていました。実際は信じる者には聖霊がすでに与えられていたのですが、その時は聖霊さまについて全くわからなかったので、とりあえず求めたのです。

すると、祈り始めて1年くらいで自分の心の中に聖霊さまがおられることが少しづつわかるようになりました。でも、もっと強烈に聖霊を体験したのは大学生の時でした。教会の幼なじみの女性に誘われてユースの礼拝に出ていく中で、急に心に迫りを感じるようになりました。心の中にある罪に気付き、苦しくなったのです。神様の前では罪を悔い改めました。しかし、神様はそこでストップしませんでした。「あなたがしてきたことを母に告白しなさい」と言われました。その時、神様に「もっと聖霊様の力が現れていくようにしてください」と祈っていたので、それをしないと先へ進めない気がしたのです。その後、思い切って一番自分の過去や汚い自分を見せたくない熱心なクリスチャンの母に告白しました。

母は不思議と何も怒らずに受け止めてくれました。その後、心の中がとてもすっきりしました。そして、それから、心の中で邪魔していたものがすっきりして、もっと聖霊が自由に私の人生で働かれていくことがわかるようになりました。いわゆるクリスチャン用語の「満たし」を体験するようになりました。賛美がしたくてしたくてしょうがなくなりました。

大学生の時、賛美チームには入っていませんでしたが、賛美チームの練習用のCD、ボイスレコーダーで録って作ったようなCDをいつも車で流して熱唱していました。また、とにかく福音を伝えたいという思いが溢れるようになりました。高校時代の友達、大学の同じクラスの人や、同じサークルの人をたくさん教会に誘うようになりました。祈ったら、涙が流れてくるし、賛美しても涙が流れてくるし、周りの人が見てもわかるくらい劇的に変わったと思います。

こんな自分の劇的な変化のきっかけはなんだったのか。
 それは、自分の中に住まわれる聖霊様の存在に気づいたことです。 

まとめ

人によって、聖霊様の現れ方は異なるでしょう。でも、自分自身が、「聖霊様が私とともにおられる」と確信があるか、それが重要なのです。また、「聖霊様が私とともにおられる」ということが周りの人にも明らかになっていくことも重要です。それが、キリストの証人となることです。

しかし、 聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、 あなたがたは力を受けます。 そして、エルサレム、 ユダヤとサマリヤの全土、 および地の果てにまで、 わたしの証人となります。

聖書(使徒の働き 1:8)


そのためには、一度だけではなく、毎日の生活の中で、聖霊様に満たされ続けることが大切です。

また、 酒に酔ってはいけません。 そこには放蕩があるからです。 御霊に満たされなさい。

聖書(エペソ人への手紙5:18)


ここでの、御霊に満たされなさいという原語のギリシャ語は、進行形が使われており、本来は満たされ続けなさいという意味の命令です。聖霊様のことをよく分からない。聖霊様が私とともにおられるという確信がない。そう思われる方は今日、主に祈りましょう。

ヨハネの手紙第一5章14節-15節には、神様の御心にかなった祈りならば、神様が私たちの祈りに応えられると書いています。

14 何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、 神はその願いを聞いてくださるということ、 これこそ神に対する私たちの確信です。
15 私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、 神に願ったその事は、 すでにかなえられたと知るのです。

聖書(ヨハネの手紙第一5:14-15)

もっと神様の御声を聞きたい。神様ともっと親しく交わりたい。毎日聖霊に満たされ、聖霊さまの力がもっと生活の中で現れることを願われる方。今日、次の三つのことを祈りたいと思います。

1.自分の罪を悔い改めて、イエスキリストの福音をしっかり受け止めましょう
2.信じるならば聖霊様が私たちの内に住まわれるという事実を信じましょう
3.聖霊さまの御力が生活の中で現れるように求めましょう


バプテスマは一度で十分です。しかしパウロも6節で祈ったように、その後は私たちの信仰の祈りが必要です。 これを読んでいるあなたが聖霊に満たされ、イエス様の約束の通り、私たちがあらゆる場所で、神の国を広め、イエス様の十字架の福音の証人になるように、主の御名によってお祈りしましょう。 

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