【人生を変える聖書のメッセージ#37】王を求めたイスラエル「神だけじゃ不安なのか?」 1サムエル12:1-12

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はじめに

先日、静岡のJEA総会に行って来ました。
JEAとは日本福音同盟のことで、そこに加盟する教団・教派の牧師たち、関係者たちが100名ほど日本中から集まっていました。

今年は、青年宣教が大きな議題として掲げられていました。
驚いたのが、JEAが発表した日本の牧師の年齢別割合です。

80代  18%
70代  29%
60代  24%
50代  18%
40代  8%
30代  2%
20代  0%

なんと、70-80代だけで47%でした。
私は日本の2%です。絶滅しないように応援よろしくお願いします。

青年宣教の前進のためには、SNSを活用したりして、どんどん若者のフィールドに出ていくことが必要だとも発表されました。

SNSを取り入れたり、若者たちの文化に適応する必要はありますが、あまり気にしすぎたり、合わせすぎることも、私は危険だと思います。
なぜなら、若者は教会に、世界より素晴らしいテクノロジーや、楽しいレクリエーションを求めているわけではないからです。
若者は、常に本物を求めており、福音こそ彼らが本当に求めている物だからです。
気づいてないか、本物に触れる機会すらないだけです。

生きておられるイエス様に出会うならば、若者だろうが、子供だろうが、老若男女、人は必ず変わるのです。

サムエル記で、イスラエルの新しい世代は、王を求めました。
カナンの地では新しい文化文明が発達しており、新しい世代は王政政治という最新の政治形態を取り入れようとしたのです。

王が立てられたら、「きっと、この国はもっと良くなるはずだ!」「きっと、多くの素晴らしい若者が、育っていくだろう!」

そして、今日の箇所は、サウル王の誕生とともに、士師としてのリーダーシップを退くサムエルの最後のスピーチです。

果たして、当時の隣国を真似て、イスラエルが王を立てることは神様の御心だったのか?
その答えがはっきりと書いているのが、今日の個所です。
さっそく、一節から見ていきましょう。

ゆうき牧師のYouTubeチャンネルでは、聖書の終末預言シリーズという世の終わりについて聖書が何を言っているかだけにフォーカスを当てた動画や、人生に適用できる3分間の聖書のメッセージ動画を見ることができます。少しでも興味のある方は、ぜひ、YouTubeのチャンネル登録をよろしくお願いします。

人間の王を求めるイスラエルの民

1 サムエルはすべてのイスラエル人に言った。「見よ。あなたがたが私に言ったことを、私はことごとく聞き入れ、あなたがたの上にひとりの王を立てた。
2 今、見なさい。王はあなたがたの先に立って歩んでいる。この私は年をとり、髪も白くなった。それに私の息子たちは、あなたがたとともにいるようになった。私は若い時から今日まで、あなたがたの先に立って歩んだ。
3 さあ、今、【主】の前、油そそがれた者の前で、私を訴えなさい。私はだれかの牛を取っただろうか。だれかのろばを取っただろうか。だれかを苦しめ、だれかを迫害しただろうか。だれかの手からわいろを取って自分の目をくらましただろうか。もしそうなら、私はあなたがたにお返しする。」

聖書(1サムエル12:1-3)

11章の最後で、サウルがイスラエルの王として公に認められるセレモニーがありました。
イスラエルは大いに喜び、ものすごい盛り上がりでした。

しかし、12章に入った途端、どうも空気が違うようです。
皆さんは、1-3節を読んで、どのような雰囲気を感じますか?

「私を訴えてみよ」「私はだれかの牛を取っただろうか?わいろをとっただろうか?」
なぜ、サムエルは、身の潔白を主張しているのでしょうか?
サムエルは怒っているのです。

なぜか?
それは、イスラエルの民が人間の王を求めたからでした。
人間の王を求めるとは、すなわち、今までイスラエルに仕えてきた霊的指導者である「サムエル、あなたはもういらない」と同じ意味です。

彼らが、「私たちをさばく王を与えてください」と言ったとき、そのことばはサムエルの気に入らなかった。そこでサムエルは【主】に祈った。

聖書(1サムエル8:6)

サムエルは指導者として不足していたのか?

なぜ、イスラエルの民は、サムエルの代わりに、王が欲しいと主張したのでしょうか?

8:4 そこでイスラエルの長老たちはみな集まり、ラマのサムエルのところに来て、
8:5 彼に言った。「今や、あなたはお年を召され、あなたのご子息たちは、あなたの道を歩みません。どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。 」

聖書(1サムエル8:4-5)

イスラエルの民は、サムエルがおじいちゃんになった事、そして、2人の息子が堕落していたことを理由にしています。
しかし、これらはただの言い訳に過ぎません。

サムエルは年を取っても、全然役不足ではありませんでした。
今日の箇所を見てもわかります。
祈ったら、雷が落ちます。
神様との関係は、イスラエル中の誰よりも近い、素晴らしい指導者です。

子供達は確かに堕落していましたが、彼らが仕えていた場所は地方であり、国全体に影響を与えるほどではありませんでした。
つまり、これはいいわけにすぎません。

実際に、サムエルは、イスラエルの霊的指導者としての役割を十分以上に果たしてきました。
士師記の暗黒時代を立て直したのは、他でもないサムエルでした。

7:13 こうしてペリシテ人は征服され、二度とイスラエルの領内に、入って来なかった。サムエルの生きている間、【主】の手がペリシテ人を防いでいた。
7:14 ペリシテ人がイスラエルから奪った町々は、エクロンからガテまで、イスラエルに戻った。イスラエルはペリシテ人の手から、領土を解放した。そのころ、イスラエル人とエモリ人の間には平和があった。

聖書(1サムエル7:13-14)

サムエルが、治めていた間は、イスラエルはペリシテ人に勝利し、隣国との間に平和を保ちます。

なぜか? 

サムエルは、一生の間、イスラエルをさばいた。

聖書(1サムエル7:15)

サムエルのおかげです。
彼は、完璧な、士師であり、預言者であり、祭司でした。

士師と預言者と祭司、この三つの役割の共通点は、神と民との間にたつ仲介者です。
彼に唯一当てはまらないのは、王という肩書きでした。

なぜ?

神が王として治めていたからです。
王は必要なかったのです。
サムエルはそのことを良く理解していました。

つまり、サムエルを退け、王が欲しいということは、すなわち王なる神ご本人は必要ないということです。
怒ったのは、サムエルだけではありません。

8:6 彼らが、「私たちをさばく王を与えてください」と言ったとき、そのことばはサムエルの気に入らなかった。そこでサムエルは【主】に祈った。
8:7 【主】はサムエルに仰せられた。「この民があなたに言うとおりに、民の声を聞き入れよ。それはあなたを退けたのではなく、彼らを治めているこのわたしを退けたのであるから。

聖書(1サムエル8:6-7)

それでは、冒頭の質問に戻りましょう。
イスラエルが王を立てることは神様の御心なのか?
ここに、御心ではないという事がはっきりと書いています。

人間の王を求めることは、真の王である神を退けることだからです。

なぜ、イスラエルの民は王が欲しかったのか?

では、なぜイスラエルの民は、人間の王を求めたのでしょうか?

8:19 それでもこの民は、サムエルの言うことを聞こうとしなかった。そして言った。「いや。どうしても、私たちの上には王がいなくてはなりません。
8:20 私たちも、ほかのすべての国民のようになり、私たちの王が私たちをさばき、王が私たちの先に立って出陣し、私たちの戦いを戦ってくれるでしょう。」

聖書(1サムエル8:19-20)

王がいる隣国のようになりたかったからです。
王政政治は、当時の中東の流行りでした。

エジプト、バビロンやアッシリヤのように、1人の強力な王がいれば、文明は驚くほど早く発達します。
戦争が起きた時に、王が命令すれば皆強制的に軍隊に入ります。
歯向かうものがいれば、王が殺します。

イスラエルは、整った軍隊がなく、周りには敵国に囲まれていました。
なので、いつ襲われても、戦争できるようなよく整った軍団が欲しかったのです。
サウル王もそのように軍隊を整えました。

また、王のトップダウンの政策により、経済も発達します。
イスラエルは牧畜と農業がメインでしたが、カナンの隣国は、農業と工業を発達させていました。
ペリシテは鉄の戦車を持っていました。

つまり、王を求めることは、自分たちの生活の安全と豊かな生活を手に入れるためだったのです。
神様の統治を求めることよりも、目に見える防衛システムと豊かな生活を欲しがったのです。

神だけじゃ満足できない私たち

私たちも他人事ではありません。
神様が私たちの生活を治めてくださっているのに、何かそれでは足りないように他のもので安心を作ろうとしてしまうことがあります。

「これだけは、なくなったら困る」「生活できなくなる」というものは何ですか?

仕事でしょうか?銀行の口座残高でしょうか?

ほとんどの献身者が最初に通るところは、経済的な試練でしょう。
気づかずに握っているものを手放していくことから、献身は始まるからです。

KBI(関西聖書学院)に入り、数ヶ月で、文字どおり銀行口座は空になり、焦った私は当時、韓国にいた婚約中のソンリムに祈りを要請しました。
その時、ソンリムが「早くなくなるように祈ってた」と笑いながら言ってたことは今でも忘れられません。
夏休みに母教会に戻って、深刻な顔で、みんなの前で経済のための祈りを要請した僕に、牧師先生が、それを聞いて、「本当に素晴らしい人と導かれたね」と教会員の前で言ったことも今でも忘れられません。

しかし、そこを通らなければ、神様が私の人生を文字どおり治めていることを頭ではなく、心で知ることはできませんでした。

神様がいるのに、王を求めてしまう、イスラエルに対して、神様は「事実」を語り続けます。

6 サムエルは民に言った。「モーセとアロンを立てて、あなたがたの先祖をエジプトの地から上らせたのは【主】である。
7 さあ、立ちなさい。私は、【主】があなたがたと、あなたがたの先祖とに行われたすべての正義のみわざを、【主】の前であなたがたに説き明かそう。 
8 ヤコブがエジプトに行ったとき、あなたがたの先祖は【主】に叫んだ。【主】はモーセとアロンを遣わされ、この人々はあなたがたの先祖をエジプトから連れ出し、この地に住まわせた。

聖書(1サムエル12:6-8)

モーセの出エジプト。
奴隷であったあなた方を解放し、守り、導かれたのは誰か?王なる神だったではないか!

9 ところが、彼らは彼らの神、【主】を忘れたので、主は彼らをハツォルの将軍シセラの手、ペリシテ人の手、モアブの王の手に売り渡された。それで彼らが戦いをいどまれたのである。
10 彼らが、『私たちは【主】を捨て、バアルやアシュタロテなどに仕えて罪を犯しました。 私たちを敵の手から救い出してください。私たちはあなたに仕えます』と言って、【主】に叫び求めたとき、 
11 【主】はエルバアルとベダンとエフタとサムエルを遣わし、あなたがたを周囲の敵の手から救い出してくださった。それであなたがたは安らかに暮らしてきた。

聖書(1サムエル12:9-11)

しかし、あなた方は、私が王であることを忘れ、敵の手に落ちてしまった。
だが、誰があなた方を敵の手から救ったのか?
王なるわたしだったではないか!

エルバアル(ギデオン)とベダン(バラクかサムソン)とエフタとサムエルという士師を送ったのは、王なる私だったではないのか?

そして、今、アモン人が襲ってきたとき、あなた方はなんと言っているのか?

あなたがたは、アモン人の王ナハシュがあなたがたに向かって来るのを見たとき、あなたがたの神、【主】があなたがたの王であるのに、『いや、 王が私たちを治めなければならない』と私に言った。

聖書(1サムエル12:12)

あなたがたの神、 【主】があなたがたの王であるのに、 『いや、 王が私たちを治めなければならない』と私に言った。

現実の恐れ

なんで、イスラエルは、こんなにも、王である神様に守られてきたのに、不完全な人間の王を求めたのか?
私たちは理解できないかもしれません。

しかし、カナンの地に入ったイスラエルは、常に敵国に囲まれていて、いつも戦争の危険が隣り合わせだったことを知るならば、その気持ちが少しは理解できるでしょう。
日本は島国ですが、イスラエルを滅ぼしてしまいたい国々が、国境沿いにいるのです。
ペリシテは、鉄の戦車を持っており、イスラエルの中にも守備隊を派遣していました。

そして今、アモン人の王ナハシュがイスラエルに向かって来ているのです。

どれほど、恐ろしいでしょう。

私たちも、頭では神様だけいれば大丈夫だと信じています。
でも、この世にあっては患難があるのです。

明日のこと考えると不安になるのです。
銀行口座の残高と請求書を見て、どうにかしないと!と不安になるのです。

神様は信じているけど、現実はそんなに甘くない!
現状の逆境に、恐れがきては、居ても立っても居られないのです。

しかし!しかし、どんなに私たちが恐れ、不安になり、居ても立っても居られない正当な理由があったとしても、
王である神様だけに助けを求めることが、最善です。

なぜなら、主こそ、全世界を造られた全知全能の神であり、私たちを愛しておられるからです。

【主】を恐れる者たちよ。【主】に信頼せよ。この方こそ、彼らの助け、また盾である。

聖書(詩篇115:11 )

神様に信頼するなた、目の前にアモン人が襲ってこようとも、絶対に大丈夫です。
今、私たちの人生の四方八方から攻撃が来ていようとも、絶対に大丈夫です。

よく考えて見てください。
神様が私たちの王なのです!!!
そして、この王は絶対的に良いお方で、私たちを愛しておられるのです。
私たちをひとみのように守られ、翼の下にかくまってくださる方です。

私たちを愛し、守っておられる神様がおられるのに、不安を抱え、恐れて、神様以外のものに手を伸ばすことを、やめましょう。

私たちを愛し、守っておられる神様が王だとするならば、私たちのするべきことはただ一つです。
それは、まさに聖書に何度も出てくる、とてもシンプルな信仰の従順です。

16 いつも喜んでいなさい。
17 絶えず祈りなさい。 
18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

聖書(1テサロニケ 5:16-18)

いつも喜に、絶えず祈り、すべての事について、 感謝する。
なぜ?

神が私たちの王だからです!

まとめ

今、あなたを恐れさせ、不安を与えているものは何ですか?
今、恐れや不安から、神様以外のものに頼ろうとしてはいないでしょうか?

神様は、今日、私たちにシンプルに語りかけておられます。

私が王である。私に信頼せよ。私に叫びなさい。私を求めなさい。
私はあなたを右の手で救い出す。

最後に、6節から12節までご一緒に読みたいと思います。

6 サムエルは民に言った。「モーセとアロンを立てて、あなたがたの先祖をエジプトの地から上らせたのは【主】である。 
7 さあ、立ちなさい。私は、【主】があなたがたと、あなたがたの先祖とに行われたすべての正義のみわざを、【主】の前であなたがたに説き明かそう。 
8 ヤコブがエジプトに行ったとき、あなたがたの先祖は【主】に叫んだ。【主】はモーセとアロンを遣わされ、この人々はあなたがたの先祖をエジプトから連れ出し、この地に住まわせた。 
9 ところが、彼らは彼らの神、【主】を忘れたので、主は彼らをハツォルの将軍シセラの手、ペリシテ人の手、モアブの王の手に売り渡された。それで彼らが戦いをいどまれたのである。 
10 彼らが、『私たちは【主】を捨て、バアルやアシュタロテなどに仕えて罪を犯しました。 私たちを敵の手から救い出してください。私たちはあなたに仕えます』と言って、【主】に叫び求めたとき、 
11 【主】はエルバアルとベダンとエフタとサムエルを遣わし、あなたがたを周囲の敵の手から救い出してくださった。それであなたがたは安らかに暮らしてきた。
12 あなたがたは、アモン人の王ナハシュがあなたがたに向かって来るのを見たとき、あなたがたの神、【主】があなたがたの王であるのに、『いや、王が私たちを治めなければならない』と私に言った。

聖書(1サムエル12:6-12)
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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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