【人生を変える聖書のメッセージ#53】キリストの父ヨセフの葛藤「一緒にいるのに一緒じゃないとは?」マタイ1:18-25 

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はじめに

先日、韓国から、中国人の友達、りょうさんが来ました。

私の家には、すでに一人が共同生活をしているので、4人暮らしが始まりました。
りょうさんはリビングで寝ています。
前の日が遅くても、強制的に朝起こされてかわいそうですが、一緒にデボーションをする時のりょうさんはとても嬉しそうです。

りょうさんが札幌に来た理由があります。
それは、どこへ行っても、どんな状況でも、揺るがない信仰を持つことだと聞きました。
一人になると過去のトラウマが蘇ったり、お前はもうダメだという声に将来が見えなくなったり、同じ失敗をしてしまう自分がいるのだそうです。

神様の御心を行いたい。
でも、できない自分がいる。
いつも、同じ状況に入ってしまうジレンマ。

「どうしたらいいでしょうか?」とりょうさんから相談を受けました。

皆さんは、どう答えますか?
きっと、私を含めて、すべての人が抱えている悩みかもしれません。

今日の箇所に出てくるヨセフもまた、どうしていいかわからないジレンマを通った人でした。

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キリストの父ヨセフ

ヨセフは、イエス・キリストの父親に当たる人でしたが、まだ関係を持つ前に、突然、婚約中のマリヤが妊娠したのです。

イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。

聖書(マタイ1:18)

私たちは、イエス様が処女から生まれるというこの物語を知っているので、微笑ましく読むでしょう。
頭にはクリスマスの賛美が流れてきます。

しかし、これが現代の私たちの実生活の中で起きたとしたらどうでしょう?

婚約相手が、突然妊娠したら?
普通に考えれば、相手の浮気しかありません。
困惑?怒り?悲しみ?

当時の婚約の重さ

しかも、当時のユダヤ人の婚約は、現在の婚約よりはるかに強い法的拘束力がありました。

まず、両家の同意と、公的な宣言によって婚約が成立し、一般的に花婿側は持参金の一部を支払います。
婚約期間は普通1年で、結婚と同等の法的効力を持ち、破棄するためには正式な離婚証書が必要でした。

ヨセフは、どのような反応をしたのでしょうか?

夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。

聖書(マタイ1:19)

「正しい人」とは、律法を守っている人のことを示しています。

当時、婚約した処女が姦淫した場合、律法に従って石で打ち殺すように定められていました(申22:20-21, 23-24)。

20 しかし、もしこのことが真実であり、その女の処女のしるしが見つからない場合は、
21 その女を父の家の入口のところに連れ出し、その女の町の人々は石で彼女を打たなければならない。彼女は死ななければならない。その女は父の家で淫行をして、イスラエルの中で恥辱になる事をしたからである。あなたがたのうちから悪を除き去りなさい。 

聖書(申命記22:20-21)

もし、彼が律法を守ってマリヤの妊娠を公にしたのなら、マリヤは石で打ち殺されることになります。
一方、マリヤは、「浮気はしていない。天使が現れて、あなたは子を産むと言われたのです」と言っています。

しかし、悩めるヨセフに、神様は手を差し伸べてくださいました。

彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。

聖書(マタイ1:20)

ヨセフのジレンマ

私たちがジレンマに陥るとき、どうすることもできない状況に陥ったとき。

実際それは、神の御心を求め、葛藤するときですね。
葛藤している人は、本気で求めている人だと思います。

主は必ず、その葛藤に答えてくださいます。

恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。

「そのまま結婚しなさい」とはっきり答えられたのです。

御使いに出会う前には、ヨセフは、自分の経験や判断で、マリヤを内密に去らせようと決めていました。
内密に去らせるとは、二人の証人の前で婚約を破棄することです。

しかし、このことは神様のご計画の中で起こっているということをはっきりと示されたのです。

しかも、神様は、ご自身のご計画を明らかにされます。

マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」

聖書(マタイ1:21)

メシヤ預言に気づいたのか?

律法を忠実に守るヨセフは、この御使いの言ったことに、ピンときたはずです。
これはイスラエルという国に、メシヤが来られるという、メシヤ預言の成就です。

このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。

聖書(マタイ1:22)

そして、23節の言葉は?イザヤ書のメシヤ預言の成就です。

「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」

聖書(マタイ1:23)

(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)

なぜ、メシヤの名前は、インマヌエルと呼ばれるのでしょうか?

それは、当時のイスラエルという国は、神がともにおられることを見失った国だったとも言えるからです。
BC722にアッシリヤ、BC586にバビロンに滅ぼされ、その後も、ペルシャ、ローマ帝国と大国の支配を受けて来ました。

なぜ、そのようなことが起こったのか?
列王記を見ていれば、それが「主を離れ、偶像礼拝に陥った」と明確に書いています。

イエス様が生まれた時代も、祭司たちが堕落していたりという状況で、イスラエルの民はキリスト「メシヤ」を待望していました。

神の答え

ヨセフに言った言葉の中に、イスラエルへの神の答えを見つけることができます。

マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」

聖書(マタイ1:21)

名前=イエシュア=神は救い。
「ご自分の民をその罪から救ってくださる方」それがメシヤということ。

その罪とは何でしょう?
その罪とは、神様から離れてしまっている状態です。

先日、9月にイスラエルに行ったとき、すでに仮庵の祭りが始まっていました。
仮庵の祭りが始まる前には、大贖罪日と行って、イスラエルが国全体として悔い改める日があります。

仮庵の祭りの最後の日は、祭司達が祭壇に水を注ぎかける儀式があり、ホシャナ・ラバーと呼ばれます。
ホシャナ・ラバとは、「今救って下さい」という意味です

その礼拝の最後に、5つの柳の枝を床にたたきつけます。これは、罪を消すことを表しています。

大贖罪日に断食をし祈ったとしても、ホシャナラバの儀式をしたとしても、イスラエルの人々は、罪が自動的に許されるとは信じていないそうです。
「神の憐み・慈悲深さに委ねる」そうです。
これは、超正統派の人に聞いた話です。

恵みに委ねる…

だからこそ、イスラエルの民は今も、メシヤを待っているのです。
メシヤが来て、世から悪を取り除き、神の国を建て上げるメシヤを。

すでに来られたメシヤ

しかし、メシヤは2000年前にすでに来られたのです。

問題は、ここです。
すでに来られたのです。

私たちがつまづく原因もここなのです。
神様がともにおられないのではないのです。
おられるのです!

イエス様は、この仮庵の祭りの最後の日、ホシャナラバの日に、このように宣言されています。

37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」 
39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。

聖書(ヨハネ7:37-39)

イエス様は、メシヤである私を信じるものには、聖霊がともにおられるということを述べられたのです。

まさに、インマヌエル「神がともに住まわれる」ということです。

皆さんは、イエスさまがキリストであると信じておられますか?
イエスさまが私たちたちの罪のために十字架にかかり、死なれ、3日後によみがえられたことを信じておられますか?

もし、信じておられるなら、「聖霊なる神さまは、今私たちとともにおられます」

問題は、それに気づいていないということです。

一緒にいるのに一緒じゃない

私が結婚したばっかりのこと、1つの大きな勘違いをしていました。
どこに行くにも、妻と一緒。
家の中も、食事も一緒。
私は、自分がとても良いことをしていると思っていました。

でも、妻はそうではなかったのです。

もっと会話をし、集中して二人だけの時間を過ごして欲しかったのです。

私は、妻と一緒に食事を食べていました。でも、私の顔は妻ではなく、テレビのお笑い番組を見ていました。
私は、妻と一緒にカフェに行っていました。でも、私はパソコンで作業をしていました。

一緒にいても、一緒じゃない時があることに気づきました。

私たちと神さまとの関係もそういう時があるかもしれません。
神さまはいつも、一緒にいるのに、私たちの方が神様以外のものに夢中になっていることが。

一人で色々としているうちに、私たちは問題にぶつかり、悩むのです。
神はどこにいるのか!と叫ぶ時すらあるのです。

でも、現実はどうでしょう?
神は私たちとともにおられるのです!

まとめ

りょうさんが僕に相談した時に、りょうさんも、僕も、一つだけ確かだったことがありました。
それは、りょうさんの中にも、僕の中にも、その解決策がないということ。

神様の御心を行いたい。
でも、できない自分がいる。というジレンマ。

みなさん、もうすでに解決しているのです。

それは、神であられる方、ご自身が、人となってこの世にこられ、私たちのために十字架にかかり、復活し、すべての罪を赦されました。
もはや、神と私達との間の壁は壊され、イエス様は私たちと共に住まわれるのです。

今日悩みやジレンマを脇に置いて、私たちの中にともに住まわれる聖霊様に出会いましょう。
私たちに理解できないことや、葛藤があったとしても、神様には揺るがないご計画があることを信じましょう。

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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