「小事が大事」ということわざがあります。「大きな目標を実現しようと思うなら、小さなことを怠ってはいけない」という意味です。
他にも似たような「凡事徹底」という言葉もあります。
「ごく平凡な当たり前のことを徹底して継続して実行することが大切だ」ということです。
聖書にも、小さい事を忠実に管理できる人は、大きな事を任されるようになるという言葉があります。
最も小さなことに忠実な人は、大きなことにも忠実であり、最も小さなことに不忠実な人は、大きなことにも不忠実です。
聖書(ルカ16:10)
この言葉は、ただ小さなことをしっかりやれば、大きなことを成し遂げるという意味ではありません。
文脈から、ここでは、主人に任されたしもべの態度を示しています。
つまり、ここでの真意は、主人である神から任せられた小さいことに忠実なものが、神からやがて大きなことを任せられるという意味です。
神様から任せられた小さいこととは、文脈から「この世で所有しているお金や財産」のことです。
大きなこととは、神であるキリストが世の終わりに再び、この地上にきたことに、与えられる報酬のことです。
ここで私たちが覚えたいことは、この世の富や財産は、本質的には私たちの所有物でなく、神から一時的に任されたものであるということです。
「いやいや、俺が頑張って仕事して稼いだんだ」というでしょうか?
確かにそうですが、実際、あなたが死んだ時は、その財産は天国に持っていけません。
しかしも、あなたがお金を稼ぐために必要な身体も、知恵も、能力も、あなたが生み出したものではありません。
生まれた時に、備わった性質があり、それを神が与えた両親や、周りの人々、社会の助けをもらいながら、少しずつ磨いたに過ぎません。
そもそも、神が人間を想像した時、人間に与えられた命令は「この世界を忠実に管理せよ」というものです。
神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ。」
聖書(創世記1:28)
支配せよとは、管理しなさいという意味です。
現代は、持っている富、地位や力によって評価される時代です。
人々は所有物や成し遂げたことにより、絶えず他の人と比較し、人生の満足度すらもアップダウンします。
しかし、真の問題はそこではないのです。
どれだけのものを手に入れたかや、他人と比較する必要はなく、任されているもの。
つまり、あなたが持っているものを、どのように管理するかが大事なのです。
あなたの目的のために管理するのではなく、あなたの真の主人である神の目的のための管理。
管理とは、主人の意向を汲み取りながら、どう用いるか?ということです。
小さいことは、お金だけではありません。
仕事の仕方、人間関係などの小さいこと。私たちの身体が神が造られ、約80年間、任されたものであるなら、日々、どのように生き方に対して、神に忠実かどうかを見られているのです。