はじめに
今日は、「この世界は偶然に出来たのか?」というテーマについて説明します。
私たちが住むこの世界は偶然にたまたま出来たのでしょうか?
それとも何らかの意志が働いて創造されたのでしょうか?
「この世はどうやって出来たのか?」
このことは、誰もが考えたことがあるのではないでしょうか?
まず、偶然とは何かを考えてみる必要があります。
ウィキペディアによると、「偶然とは必然性の欠如を意味し、事前には予期しえないあるいは起こらないこともありえた出来事のことである。」
つまり、意志や計画性が全く無い結果のことです。
地球が偶然に出来たと仮定するなら、地球の形は、四角だった可能性もあります。
三角であったり、楕円形であったり、はたまた、子供が作ったようなデコボコの泥団子の形でも不思議ではないのです。
しかし、この宇宙を見渡しても太陽や惑星や衛星など、ほとんど全てが球体です。
地球も例にもれず、綺麗な球体です。
果たして、これは偶然でしょうか?
たとえ、この地球が偶然に出来たとしても、地球上に存在する草や花、動物や魚、人間などは、偶然に発生したのでしょうか?
今日の記事を見ると、この世界は偶然に出来たのか?という問いに対する聖書の答えを知ることができます。
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聖書は、神がこの世を意志や計画性を持って、創られたと言っています。
神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。
聖書(ローマ1:20)
被造物とは、神様が造った全てのものをいいます。
つまり、私たち人類を含む、神様以外のもの全てです。
被造物を見るならば、どう考えても、意志と計画性を持って創られた神という存在がいることは明らかであり、私たちが「神などいない」と弁解する余地がないということです。
なぜ、そう言えるのか?
2つの理由から、そのように言えます。
①偶然に出来上がる確率はものすごく低いから
例えば、私たちが、DIYで木製の椅子を作ったとします。
計画を持って作ったので、デザインも気に入っているし、座り心地も最高です。
それを頭の良い友達に見せたら、なんと「科学的に検証すると、これは偶然に出来たものだね」と言いました。
確率的には、0.000000000000001%だねと。
ちなみにこれは、宇宙が始まって1秒後、適当に宇宙のエネルギーを選んだときにちゃんと地球が出来る宇宙になる確率らしいです。
みなさんは、この友達の「DIYの椅子が偶然にできた理論」になんと言い返しますか?
聖書は、「造った創造主がいる」と明快な答えを出しているのです。
「人類が生まれるための12の偶然」という本は、この世に人間が誕生するまでに起こった数多くの偶然の中から、12の偶然が説明されています。
偶然1
宇宙を決定する「自然定数」が、現在の値になったこと
偶然2
太陽の大きさが大きすぎなかったこと
偶然3
太陽からの距離が適切なものだったこと
偶然4
巨大隕石の衝突を防いでいた木星、土星という二つの巨大惑星があったこと。三つでも、一つでもダメ。
偶然5
月という衛星の存在が地球の自転の速さを遅くしてくれた地球のそばをまわっていたこと
偶然6
地球が適度な大きさであったこと
偶然7
二酸化炭素を必要に応じて減らすため、地球の温度上昇を防ぐ仕組みがあったこと
偶然8
銀河宇宙線や太陽風などの危険な放射線を防ぐ地磁気が存在していたこと
偶然9
オゾン層が誕生したこと
偶然10
地球に豊富な液体が存在したこと
偶然11
地球に生物の大絶滅が何度も起きたこと
偶然12
人類が定住と農業を始める時期に、温暖で安定した気候となったこと
これらが本当に全て偶然なら、ものすごい確率ですね。
みなさんはこれらが本当に偶然であると信じますか?
聖書の通り、神という存在がいるとすれば、「神が造った」という一言で片付きます。
偶然ではないので、0.0001%などの確率は、もはや考える必要はなくなります。
②人間には到底造れないほど再現性が低いから
再現性の低さという言葉は、ちょっと、難しいですよね。
どういうことかというと、地球に存在するものを人間が真似して造ろうとしても、同じものを造ることは恐ろしく難しいということです。
むしろ、再現性ゼロ。不可能です。
例えば草花を見てみましょう。
あるブログで、ひまわりの種の例えがありましたので紹介します。
夏に咲くひまわりの花を育てる場合、私達は、まず種をまいて水やりをします。
すると芽が出て成長して花が咲きます。
もし、ひまわりの花が偶然に出来たとするなら、ひまわりの種を人間にも作れるはずですよね?
なぜなら偶然とは、意志や計画性が全く無い結果なので、複雑な過程の中で創られたものではなく、再現可能なはずだからです。
空っぽの袋の中をシャカシャカ、何億回ふり続けていれば、確率的にはひまわりの種が偶然にできるということです。
しかし、私たち人間には、あらゆる材料を使っても、現代科学でひまわりの種を作ることは不可能です。
見た目はひまわりの種らしきものを作るのは可能でしょう。
しかし模倣品は作れても、ひまわりと同じ性能を持った種を作ることは、現代の科学では不可能です。
現代の人間の科学力がいかに優秀でも、土に蒔いて、水をやれば芽が出て花が咲くという、そんな植物の種を、いちから作ることは出来ないのです。
逆を言えば、ひまわりの種が、いかに優れたテクノロジーを駆使して作られたかがわかるのです。
しかも、もし、仮にひまわりが偶然に出来たのならば、夏だけでなく春や秋や冬に咲いてもおかしくないはずです。
しかし、ひまわりはなぜか、夏しか咲かないのです。
誰かが意図を持って、プログラミングしているとしか説明できません。
例をあげれば、キリがありません。
空を飛ぶ鳥はどうでしょう?
人間に、鳥は造れません。
遺伝子の組み替えとかではなく、一から新しい鳥を造ることです。
空を飛ぶものを作ろうとして、人類は飛行機を発明しました。
今は、ジャンボジェット機という鉄の塊が、空を飛んでます。
これはすごい発明です。
しかし、自然に存在する鳥と、人間の作った飛行機のどちらが、優れたテクノロジーで作られているのでしょうか?
鳥は、人間がコントロールしなくても、空を飛んで、餌を食べて、寝て、鳴いて、子供産みます。
飛行機は、人間が操縦する必要があり、人間が燃料を用意する必要があり、飛行機が飛行機の子供を生み出してはくれません。
この意思を持った空を飛ぶ鳥が、偶然出来たと考えるのはおかしくはないでしょうか?
もし鳥が偶然できたというなら、飛行機も偶然生まれたという理論になります。
しかし、誰もがわかるように、飛行機は、人間が設計図を持って、精密に作ったものです。
つまり、この世界は偶然に出来たのではなく、ある目的を持って創られたということです。
もちろん、私たち人間は、花よりも、鳥よりも、そのほかのあらゆる生き物よりも、はるかに高度なテクノロジーで創られた生命体であることは、言うまでもありません。
まとめ
聖書は、神がこの世を意志や計画性を持って、創られたと言っています。
被造物を見るならば、どう考えても、意志と計画性を持って創られた神という存在がいることは明らかであり、私たちが「神などいない」と弁解する余地がないのです。
なぜ、そう言えるのか?
2つの理由から、そのように言えます。
①偶然に出来上がる確率はものすごく低いから
②人間には到底造れないほど再現性が低いから
聖書には、創造主である神がどのようなお方であるか、どのように人間の歴史に介入されたかが書かれています。
興味を持った方は、一度、聖書を読んでみることをお勧めします。
参考↓