はじめに
今日は、「あなたはなぜ生まれてきたのか?」というテーマについて説明します。
誰もが生きていると「私はなぜ生まれてきたのか?」「何のために生まれてきたのか?」というような疑問が頭に浮かんだことがあるのではないでしょうか?
この誰もが思い浮かべる疑問。
単純な疑問なのに答えがなかなか見つかりません。
人に聞いても明快な答えが返ってきません。
親や先生に聞くと、それらしき答えは返ってくることがあっても、誰もが100パーセント納得できる答えは返ってきません。
多くの人の答えとして「偶然生まれたんだろう」「理由は特に無い」「わからない」などという答えが返ってくると思います。
または、「そんなこと、いくら考えても答えが出ないから考えてもムダだ」と思う人もいるでしょう。
現代の科学では、生物学的な事実しか解明されていないのが現実です。
中には「人は死ぬために生まれてきたんだ」という人もいます。
もし、本当に「人は死ぬために生まれてきた」のだとしたら、人が死んだ時、なぜ悲しむのでしょうか?
死ぬのが目的で生まれてきたのなら、死んだ時に、目標が達成できて喜ぶのではないでしょうか?
人が死んだ時悲しむということは、それは目的では無いことを証明しています。
今日の記事を見ると、「あなたはなぜ生まれてきたのか?」という問いに対する聖書の答えを知ることができます。
最近は、聖書の終末預言シリーズという世の終わりについて聖書が何を言っているかだけにフォーカスを当てた動画や、人生に適用できる3分間の聖書のメッセージ動画をアップしています。聖書に少しでも興味のある方、人生を変えたい方は、チャンネル登録をよろしくお願いします。
「あなたはなぜ生まれてきたのか?」
一言で言うならば、「あなたは愛されるために生まれた」と聖書は言っています。
愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた、互いに愛し合うべきです。
聖書(1ヨハネ4:11)
「神がこれほどまでに私たちを愛してくださった」というフレーズに注目してください。
まず、神は私たちを愛してくださったのです。
これが聖書の根底に流れるメッセージです。
え?見えない神が俺を愛してくれた?
正直、これだけ聞くと意味がわかりませんよね。
二つのポイントで神が私たちを愛していることについて説明します。
①神が先に私たちを愛した
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、
聖書(1ヨハネ4:10前半)
世の中の愛は、ギブアンドテイクが多いです。
誰もが、自分を愛してくれる人を愛します。
「愛する」という言葉あまり日本語で使わないので、たとえば、誰かが自分に良くしてくれた、好意を持ってくれたら、その人に同じように好意を抱くでしょう。
逆に、自分を嫌っている人や、自分をいじめたり、嫌がらせをする人をを愛することは、難しいです。いや、無理ですね。
しかし、神は先に私たちを愛したと聖書は断言しています。
どういうことかというと、私たちが神を知らなくても、無関心でも、嫌っていても、暴言を吐きまくっても、神が愛してくれているということです。
これの何が大事かというと、もし、神が条件付きの愛によって、私たちを愛するなら、まず私たちが見えない神、会ったこともない神を熱心に愛さないと、愛されないということになります。
これは、かなり無理ゲーです。しんどいです。なんのために、先に神を愛するのか、人間には見返りや理由がないとちょっとできなさそうです。
世の中の宗教はこのような人間の愛や行動が神に愛される条件になっている場合が多いです。
いや、愛されるというより、たたりが起きないようにとか、罰を受けないように、となぜか最初から神が怒っている印象を受けます。
しかし、聖書を読むと、まず神が私たちがどのような状態であるかに関わらず、愛しているということが前提です。
なぜ?私なんかを愛するのか?と疑問も生まれるかもしれません。
一番簡単な答えは、神は愛だからです。
神は愛です。
聖書(1ヨハネ4:16抜粋)
神の存在が愛そのものなので、あなたを愛しているのです。
もっとわかりやすい例は、親と子の関係です。
親は子供が生まれた瞬間、いや生まれる前から、お腹の中にいる時から、愛しています。
その子が将来、悪いことをたくさんするとしても、愛が先です。
自分の子は、愛おしいのです。
理由はないのです。
まだ見ても、生まれてもいないのに愛おしいのですから。
聖書の中で、神様は「天の父」と出てきます。
その理由が、神は私たちのお父さんだからです。
神が私たちの生みの親。
お父さんなら、あなたが生まれる前から、神はあなたを愛おしく思い、愛しているのです。
子供が親に、「なんで僕が好きなの?」と親に理由を求めても無駄です。
理由なんてないんです。
あるとしたら、「あなたは私の子供だからだよ」しか言えないです。
ここまで聞いてきて、見えない神が勝手に愛していると言われても、正直ピンと来ないのではないでしょうか?
多くの人が、神がいるなら見せてみろ!といいます。
誰かがあなたに「愛している」と言っても、実際に行動を見ないとその愛が本物かわかりません。
愛は、定義や考えではなく、相手が受け取った時に初めて形になるからです。
実は、神は2000年前にこの人類の要望に答えられました。
それが、2000年前、イエス・キリストの十字架です。
②神は具体的な行動で愛を示された
愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた、互いに愛し合うべきです。
聖書(1ヨハネ4:11)
「これほどまで」と書いているので、どれほどのまでなのかは、前の節に書いています。
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
聖書(1ヨハネ4:10)
どれほど、私たちを愛されたのか?
その具体的な愛の行動が、あの有名なキリストの十字架の死なのです。
神は私たち人間への愛を示すために、人の姿をとって地上に来られました。
それが、神の子イエス・キリストです。
イエス・キリストの目的は、人類の罪を赦し、自らが罪の処罰を十字架上で受けて処刑されたのです。
神はあなたが生まれる前から愛しています。
今もずっと、その愛は変わっていません。
これからも、その愛は変わりません。
なぜなら、あなたは神によって造られた、神の愛しい子供だからです。
でも、罪によって神から離れてしまって、神がわからなくなりました。
孤児として、父なる神が自分を愛しているということすら、わかりません。
そのような中、誰もが目に見える形で、神があなたを愛していることを証明された出来事こそ、十字架なのです。
国内200万部を突破し、世界累計部数ではなんと475万部を超える『嫌われる勇気』という本は、オーストリアの心理学者アルフレッド・アドラーが提唱して発展した心理学が元に書かれています。
そのアドラーはこう言いきっています。
「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」アドラー
対人関係が私たちを幸せにするとき、そこに愛がある時です。
恋人同士の愛だけではなく、同僚や友達の間の愛も含みます。
好意があれば、一緒にいれば楽しいし、安心します。
一方で、誰かから嫌悪感を抱かれたり、いじめられたり、愛のない行動や態度をされると不幸を感じます。
無関心も、孤独を生み出します。
つまり、人は常に愛の関係を求めているということです。
あなたは愛されるために生まれたからです。
そのためには、まず、あなたが神の愛をたっぷりと受け取り、心が愛によって満たされることが大事なんです。
自分が十分に愛されて、他人を愛することが可能になるのです。
まとめ
「あなたはなぜ生まれてきたのか?」
一言で言うならば、「あなたは愛されるために生まれた」と聖書は言っています。
愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた、互いに愛し合うべきです。
聖書(1ヨハネ4:11)
二つのポイントで神が私たちを愛していることについてみてきました。
①神が先に私たちを愛した
②神は具体的な行動で愛を示された
聖書は、あなたはすでに神に愛されていると言っているのです。
あなたは愛されるために生まれたんです。
もちろん、誰かを愛するためことも人生では不可欠です。
しかし、大事なことは、まず、あなたがまず、神から十分愛されて、その愛で誰かを初めて愛することができるということです。
聖書には、イエス・キリストがあなたをいかに愛しているかが書いています。
興味を持った方は、一度、聖書を読んでみることをお勧めします。