【聖書が教える人生の意味#3】なぜ、あなたは愛されるために生まれたのか?「神の〇〇として造られたから」聖書(創世記1:26)

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はじめに

今日は、「なぜ、あなたは愛されるために生まれたのか?」というテーマについて説明します。

ネットに、アップルの創業者、スティーブジョブス最後の言葉が載っていました。

———
私は、ビジネスの世界で、成功の頂点に君臨した。

他の人の目には、私の人生は、成功の典型的な縮図に見えるだろう。

しかし、仕事をのぞくと、喜びが少ない人生だった。
人生の終わりには、富など、私が積み上げてきた人生の単なる事実でしかない。

病気でベッドに寝ていると、人生が走馬灯のように思い出される。

私がずっとプライドを持っていたこと、認められることや富は、迫る死を目の前にして色あせていき、何も意味をなさなくなっている。

(中略)

神は、誰もの心の中に、富みによってもたらされた幻想ではなく、愛を感じさせるための「感覚」というものを与えてくださった。

私が勝ち得た富は、(私が死ぬ時に)一緒に持っていけるものではない。
私が持っていける物は、愛情にあふれた思い出だけだ。

これこそが本当の豊かさであり、あなたとずっと一緒にいてくれるもの、あなたに力をあたえてくれるもの。
あなたの道を照らしてくれるものだ。

愛とは、何千マイルも超えて旅をする。
人生には限界はない。

(中略)

あなたの人生がどのようなステージにあったとしても、
誰もが、いつか、人生の幕を閉じる日がやってくる。

あなたの家族のために愛情を大切にしてください。
あなたのパートーナーのために、
あなたの友人のために。

そして自分を丁寧に扱ってあげてください。
他の人を大切にしてください。
———

これが本当にスティーブジョブスが残したのかどうかは定かではありませんが、いわゆる成功者である彼の最後の言葉は妙な説得力があります。
つまり、他の人との「愛の関係」が一番大切ということです。

人生で最も大切なものを聖書から説くならば、同じく「愛の関係」です。

前回の動画では「なぜ、あなたはなぜ生まれてきたのか?」という問いに、聖書から、「愛されるために生まれた」と答えました。

今日の記事を見ると、では「なぜ、あなたは愛されるために生まれたのか?」という問いに対する聖書の答えを知ることができます。

最近は、聖書の終末預言シリーズという世の終わりについて聖書が何を言っているかだけにフォーカスを当てた動画や、人生に適用できる3分間の聖書のメッセージ動画をアップしています。聖書に少しでも興味のある方、人生を変えたい方は、チャンネル登録をよろしくお願いします。

なぜ、あなたは愛されるために生まれたのか?

一言で言うならば、「あなたは神のかたちに似せて造られたから」です。

神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。」

聖書(創世記1:26)

聖書は、私たち人間は神のかたちに似せて造られたと言っています。

神のかたちに似せてとはどういう意味でしょうか?
二つの意味があります。

①尊厳を持った存在

聖書を見ると、「かたち」という言葉は、ひらがなで書かれています。

これは、漢字の「形」としてしまうと、どうしても神の外見的な形に似せて造られたという意味にとられてしまうからです。
ここでは、外見が似ているかというよりも、神という存在に似ている「尊厳」が人間にはあるという意味が強要されています。

この「尊厳」という言葉は非常に大切です。

最近では「自己肯定感」という言葉をよく耳にするようになりました。

自己肯定感とは、「自分の存在には価値がある」「自分自身に満足できている」と自分の価値や存在意義を肯定できる、自分自身を認め尊重できる感覚のことです。
この自己肯定感は、自分が他人からどう評価されているかではなく、自分自身が現状の自分に満足できているかどうかを基準に考えることで、決まります。

自己肯定感が低い人は心から自分を愛することができず、良くない部分ばかりが目に付いてしまい、なかなか自分を認めてあげることができません。
周囲から見ると十分に成果を上げていて評価されていても、本人にとっては「自分はまだまだ能力が不足している」と思い込んでしまっている場合もあります。

この自己肯定感の土台は、聖書からはっきりということができるのです。

それは、私は神に似せて造られた尊い、愛される価値のある存在だという土台です。

神に似ているなんて恐れ多い!と言わないでください。
聖書がそのように言っているのです。

子供が親に似るように、私たちは神に似ているのです。
普通、親は子供の存在そのものを肯定します。

同じように、神の私たちの存在そのものを肯定し、愛しています。

世の中にはあなたの存在価値を、引き下げる声がたくさんあります。

「お前はできないやつだ」「お前はいつも失敗してるな」という人格否定。
「成功すればいいね。失敗するればダメ」という条件付きの愛。
「誰々よりもできないね」という他人との比較。
「このままじゃダメだ」という満足を知らない心。

これらの声を跳ね返すために、私たちは舐められない地位や成功を手に入れとようとします。
自分のコミュニティーでバカにされないように、持ち物などを変えて、誰かよりも上にいる安心感を手に入れようとします。

しかし、人と比較している限り、ゴールはありません。
世の中には、常に上には上がいるからです。

また、これらの声に負けてしまったり、押されてしまったら、「俺なんかいなくてもいい」「どうせ、失敗するんだ」「負け組なんだ」と卑屈になります。
つまり、「愛される存在」ではないと、間違った思想が植え付けられるのです。

本来、親が無条件で子供愛することにより、私たちは「愛される存在」という健全な自己肯定感を身につけますが、条件付きの愛で子供を愛している親も少なくありません。
ほとんどの場合は、親も無意識で子供の自己肯定感を下げる言葉や関わりをしています。

なぜなら、あなたの親もまた、その親から無条件の愛によって自己肯定感を育んできたとは限らないからです。

だからこそ、あなたも、あなたの親も、あなたの子供も、まず、神の似姿という絶対的な土台に立つ必要があるのです。

神はあなたの存在そのものを愛しておられます。

あなたは、愛されています。

愛されるべき存在です。

なぜ?と思うでしょうか?

なぜなら、あなたは「神に似せて造られた尊い、価値のある存在だから」です。

神のかたちの二つ目の意味は、

②愛し合う存在

「神のかたちに似ている存在」は、尊厳の他にも、神のご性質を持っていることを意味します。
例えば、いのち、人格、真理、知恵、 聖さ、正義感、愛、創造力などのことです。

この中で、特に大事なのは、人間は、神や人間と愛の関係を築くことができる人格をもった存在だということです。

この愛を持った存在であることは、神のかたちから来ています。

神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。」

聖書(創世記1:26)

ここで、神が「われわれ」と一人称複数として書かれていることに注目してください。
なぜ、神はわれわれと言っているのでしょうか?

神は複数いるのでしょうか?
違います。

これは、聖書の神は三位一体であることを表しているからです。

父なる神、子なるイエス・キリスト、そして、聖霊です。

神は一人です。しかし、異なった人格をそれぞれ持っています。

人格というより、神格ですね。

三位一体を理性で説明するのは困難なので、ここでは三位一体の必要性をお話しします。

聖書には、神は愛だと書いています。

神は愛です。

聖書(1ヨハネ4:16抜粋)

もし、神が一人なら、神が愛であることはどのようにわかるでしょうか?

愛するためには、愛する対象が必要です。

つまり、愛とは相手がいないと、存在しないものだからです。
自分を愛する自己愛しかそこには存在しません。

いやいや、神は自分の愛を示すために人間をつくったんだよ。
ほら、神が人間を愛することによって、神に愛がわかるだろ?
そう思うかもしれませんが、これでは神の愛は、人間の存在に依存していることになります。

人間がいなければ、神の愛が見てなくなってしまうのです。

しかし、三位一体である神は、お互い完全に一致しており、愛しあって存在しているのです。

本当の愛とは、相手を受け入れ、ひとつになることだからです。

神がどれほど愛し合っているかについては、父なる神とイエス・キリストの関係を聖書から見てみてると良いでしょう。

つまり、三位一体の神は存在そのものが、愛なのです。

だから、その神に似ている私たちは、愛されるために生まれたと言えるし、誰かと愛し合うために存在すると言えるのです。

まとめ

なぜ、あなたは愛されるために生まれたのか?
一言で言うならば、「あなたは神のかたちに似せて造られたから」です。

神のかたちに似せてというフレーズには、二つの意味があります。

①尊厳を持った存在
②愛し合う存在

私たちは、存在そのものが愛されるにふさわしい存在なのです。
もちろん、愛されるだけではなく、誰かを愛する存在でもあります。

聖書には、イエス・キリストがあなたをいかに愛しているかが書いています。
興味を持った方は、一度、聖書を読んでみることをお勧めします。

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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