【聖書が教える人生の意味#4】人間は猿から進化したのか?「人間と動物の決定的な違い」聖書(創世記1:26)

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はじめに

今日は、「人間は猿から進化したのか?」というテーマについて説明します。

あなたは人間と動物の違いは、何だと思いますか?
 
ある人は『道具を使う動物は、人間だけだ』と言います。
しかし、チンパンジーの中には、蟻塚の白蟻を食べるために木の棒を使うものがいます。

また、ある人は『言葉を使う動物は、人間だけだ』と言います。
しかし、研究によれば、イルカの群れは会話をしていると言われており、鳴き声の意味の解析も進められています。

しかし、哲学者の檜垣(ひがき)さんによると、似ている部分はあるものの、動物と人間とのあいだには、やはり本質的な違いがあると言っています。

確かに、言葉を使う動物はいても、人間のように文字を起こして本にしたり、音声を取り出してラジオを聞く動物はいません。
動物の中にも社会のようなものはありますが、 いわゆる法に支えられた国家はありません。
芸術的な事例も自然界に多く存在します。しかし、みずからの意志において芸術を創作する動物は見たことがありません。

チンパンジーがTwitterでパリで個展を開くとつぶやいたことは見たこともないし、これからもあり得ないと思います。

今日の記事を見ると「人間と動物の決定的な違い」を聖書から知ることができます。

最近では、聖書の終末預言シリーズという世の終わりについて聖書が何を言っているかだけにフォーカスを当てた動画や、人生に適用できる3分間の聖書のメッセージ動画をアップしています。聖書に少しでも興味のある方、人生を変えたい方は、YouTubeのチャンネル登録をよろしくお願いします。

人間と動物の決定的な違いは?

一言で言うならば、人間だけが神のかたちに似せて造られた特別な存在であるということです。

神のかたちの意味については、前回の動画でお話しましたが、今日は、動物と対比した人間の特異性に焦点を当ててお話しします。

①創造の主役は神のかたちである人間

神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。」

聖書(創世記1:26)

聖書の中で、「神のかたち」に似せて造られた被造物は、人間以外には出てきません。

猿を含めて動物は、人間よりも先に造られました。

神は、地の獣を種類ごとに、家畜を種類ごとに、地面を這うすべてのものを種類ごとに造られた。神はそれを良しと見られた。

聖書(創世記1:25)

神は動物をそもそも種類ごとに造られたので、一つの基本的な動物から進化してきたという思想は、聖書の思想とは異なります。

もちろん、人間は別に造られました。

動物ができた後、神が「さあ、」と言っています。

これは「さあ、これからようやくこの全ての創造物の主役である人間を造ろう!」というイメージです。

地球は人間の舞台なのです。

人間が動物のために造られたわけでも、人間が動物の一部として造られたわけでもありません。

神は、地の獣を種類ごとに、家畜を種類ごとに、地面を這うすべてのものを種類ごとに造られた。神はそれを良しと見られた。

聖書(創世記1:25)

神が動物を造った時、「良しとみられた」とあります。英語ではgoodです。

しかし、神が人間を造ったあとは、「非常に良かった」very goodというのです。

神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常に良かった。

聖書(創世記1:31)

それは、人間という創造の主役ができたからです。

つまり、人間は他の創造物とは明らかに違うのです。

神が創造された全ての被造物の中で、神のかたちに似せて造られた存在は、人間だけです。

犬も、猿も、あらゆる動物も、神には似ていないのです。

神と交わり、神の御声を聞き分け、自由意志で主体的に神の御心を行うことの出来る人格的な存在は人間だけです。
みなさんは、神を意識し、祈る犬や猿を見たことがあるでしょうか?

ちなみに、他の動物たちを創造するときに用いられた「種類にしたがって」ということばが使われています。

神は、地の獣を種類ごとに、家畜を種類ごとに、地面を這うすべてのものを種類ごとに造られた。神はそれを良しと見られた。

聖書(創世記1:25)

しかし、人を創造するときには「種類にしたがって」ということばは用いられていません。

このことは、人が他の被造物と同じように自ら動く動物ではあっても、他の被造物とは違う独特の存在として神のかたちで創造されたことを示しています。

②統治権を持っているのは人間

動物と人間は、神のかたちという存在そのものも違うのですが、人生の使命も違います。

神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。」

聖書(創世記1:26)

動物と人間の決定的な違いは、この世を統治する存在かどうかです。
神は、人間にこの世を治める統治権を使命として与えてくださいました。

この創世記では「支配」と書いています。
支配と聞くと、私たちは、何かネガティブなように感じます。

しかし、支配とは元々悪い言葉ではありません。

愛と正しさに満ちた指導者が、国を支配するときに、国民は幸せになります。

しかし、多くの場合、人間が人間を支配しようとするとき、人間の不完全さや罪の性質から、うまく支配することができないので、「縛られる」ように感じたり、「搾取」されたりします。
元々、聖書には人間が人間を支配することは進められていません。

聖書の舞台のイスラエルで、人々が王を求めた時、神は止めました。
なぜなら、人間の王は、どうしても同じ人間である国民を間違った支配により圧迫してしまうからです。

また、そもそもイスラエルの王は、神だからです。

人間を支配できるのは神だけであり、人間が支配できるのは、人間以外の被造物だけです。

「海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう」

でも、やはり支配という言葉に抵抗がありますよね。

文脈的に「治める」「管理」「お世話」という言葉と捉えるともっと意味がわかりやすいかもしれません。

神の創造世界を管理して保つことは人間の役割です。

なぜ、人は地球環境問題を考えるのでしょうか?

排気ガス規制。温暖化問題。森林伐採問題。絶滅危惧種の保護。

それは、人間がこの地球を管理する使命を神から与えられているからです。
DNAに刻まれているのです。

動物たちは、地球温暖化対策を会議して、報告書を人間に提出することはしません。
むしろ、地球環境問題の被害者です。

環境問題だけではなく、社会問題も人間たちが治める必要がある使命です。

暴力や搾取、抑圧や破壊。
いじめや自殺問題。労務問題。家庭の問題。

これらの社会問題を考える動物は存在しません。

神が人間に求めているのは、私たちが神が創造した美しい自然をよく管理することであり、動物たちが安心して暮らせるように配慮することであるのです。

人間を動物たちと同じ存在に貶めてしまえば、誰が地球問題を考えるのでしょうか?

いやいや、そもそも人間がいるから地球が汚染されているんだ。人間がいなくなった方がいいんだ。と言ってしまえばそれは極論になります。

家に住むと泥棒に入られるから、何も持たずに路上で暮らそう。
食べ物には農薬や添加物が含まれているから、何も食べないでいよう。
生きていれば悩みは尽きないから、死のう。

極論です。

私たちは、神のかたちという尊厳と特別な役割を持って、自然界を正しく管理できるように、協力すればいいのです。

まとめ

人間と動物の決定的な違いは、一言で言うならば、人間だけが神のかたちに似せて造られた特別な存在であるということです。

①創造の主役は神のかたちである人間
②統治権を持っているのは人間

以上のことから、聖書は人間と動物は決定的に違うものとして造られたと言っています。

つまり、人間は猿から進化したのではないのです。

人間は、猿を含む動物たちや自然界を愛し、保護し、治める尊い使命を持っているのです。

聖書には、この創造論をベースとした人類のストーリーが書かれています。
興味を持った方は、一度、聖書を読んでみることをお勧めします。

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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