はじめに
皆さん、こんにちは。
札幌駅徒歩5分、ビジネスマン向けの教会、札幌ガーデンチャーチのゆうき牧師と申します。
今日は、「人生の勝ち組と負け組は存在するのか?」というテーマについて説明します。
「人生における勝ち組と負け組とは何でしょうか?」
お笑いコンビ「メイプル超合金」のカズレーザー(36)が7月17日、自身のYouTubeチャンネルを更新し、「勝ち組」についての投稿に答える場面がありました。
これにカズレーザーは「難しい質問ですね。絶対的に自分より負けている人を見つけたら、ずっと勝ち組なんじゃないですか。例えば、収入だと(ジェフ)ベゾスと(イーロン)マスクで、いろいろと株価で上下したりするから。それぐらいし烈じゃないですか。そこまでいかないと、資産という意味では勝ち組っていう層には入りづらいかなと」と、いいます。
「ルックスとかモテるっていう意味では、整形して美しくなったとて伸び代が無いから難しい。ケンカがすごく強いとかいう意味でも難しいですよね。勝ち組って、すごく少なくて。結局、勝ち組とか負け組とかを気にしてない人が、本当の勝ち組でしょうね。この2つの単語を知ろうが知らなかろうが、自分の人生になんら影響はないんでね。そんなこと考える必要もない生活をしている人が、本当の意味で勝ち組なんでしょうね」と答え、その回答がネットニュースに載って反響を呼びました。
勝ち負けを気にしない人は幸福だけど、裏返せば、結局、みんな勝ち負けを気にしているってことです。
今日の記事を読むと、聖書は「人生の勝ち組と負け組」に対してなんと言っているのかを知ることができます。
それを知れば、何が人生で最も大切なのかがわかり、他の人と比較していちいち、気持ちがアップダウンすることはなくなります。
最近では、聖書の終末預言シリーズという世の終わりについて聖書が何を言っているかだけにフォーカスを当てた動画や、人生に適用できる3分間の聖書のメッセージ動画をアップしています。聖書に少しでも興味のある方、人生を変えたい方は、YouTubeのチャンネル登録をよろしくお願いします。
「人生の勝ち組と負け組は存在するのか?」
一言で言うならば、「人生に勝ち組も負け組も存在しません」人生は他人に勝ったか、負けたかという比較ではなく、神との関係が大事と聖書は言っています。
そもそも、人生の勝ち組の一般的なイメージは、簡単に言ってしまえば、金や地位や勢いを含めて、うまくいっている人や力のある組織でしょう。
逆に下り坂の人や衰退しつつある組織を負け組と評しているわけです。
しかし、私たちの人生の最後。つまり、死んだ時に、それらのものはこの地上においていかなければいけません。
死んだら財産は、私たち以外の人の手に渡ります。普通は、家族に相続されます。
聖書も、そのことをはっきり書いています。
私たちは、何もこの世に持って来なかったし、また、何かを持って出ることもできません。
聖書(テモテへの手紙 第一6・7)
人類史上、最も栄華を極めたソロモン王は、その成功からダントツで勝ち組と言えるでしょう。
彼は伝道者の書を書いたと言われていますが、彼はどんなに富を稼いでも、それを持ってこの地上を去ることはできず、後継にそれを渡さないといけないと嘆いています。
私は、日の下で骨折った一切の労苦を憎んだ。跡を継ぐ者のために、それを残さなければならないからである。
聖書(伝道者2・18)
お金だけではなく、名誉なら、残りそうですね。
しかし、知恵に満ちたソロモン王は、名誉もすぐに忘れられるといいました。
事実、知恵のある者も愚かな者も、いつまでも記憶されることはない。日がたつと、一切は忘れられてしまう。なぜ、知恵のある者は愚かな者とともに死ぬのか。
聖書(伝道者2・16)
なので、私たちが自分や世間の基準で、「誰かに勝った!」と優越感に浸っても、勝ち組になったと実感しても、結局、死んだら何も残りません。
死んだら、そりゃそうだろ。
それを言ったら、おしまいだろ!といいたくなりますよね。
しかし、聖書には、死んでも残るものがあると言っているのです。
それは、この地上で築いてきた神との関係です。
人は死んだら、全員もれなく、神の元へ行きます。
そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、
聖書(ヘブル人への手紙 9:27)
死後に裁きを受けるとは、神が、天国と地獄を決めるということです。
神の元へ行くとは、自動的に天国に行くという意味ではないのです。
ですから、私たちはそれぞれ自分について、神に申し開きをすることになります。
聖書(ローマ人への手紙 14:12)
その時に、この人生をどう生きてきたかを申し開き、つまり、私たちは神に弁明する必要があるのです。
つまり、死ぬから好きに生きよう。それが勝ち組だ。ではなく、
むしろ、死んでから、評価されるものがあり、そのことを意識して生きることが大事だということです。
では、天国にいける条件は何か?
それが、聖書にはイエス・キリストの福音が入り口と言っています。
しかし、信じれば、「はい。あなたは天国」みたいな行き先が決まるだけではありません。
もちろん、信じた瞬間、死んだ後に神に会ったときに、「キリストの十字架の血の犠牲により、あなたの罪は赦されている。天国へ」となるでしょう。
しかし、大事なことは、神との関係の回復です。
イエス・キリストの福音を受け入れた時に、起こる一番大きなことは、神との関係の回復なのです。
「罪が赦されて天国に行きます」というのはあくまで結果であって、大切なのは関係の変化です。
二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。
聖書(エペソ2:16)
神と和解とありますが、これは関係の回復を意味します。
罪があるから、きよい神に近づけない存在だった私たちは、神との関係が壊れていたのです。
神と離れていたのです。
今読んだ聖書箇所は、「敵意」といいました。
罪は、関係を壊すだけではなく、「敵意」を生み出すのです。
自分勝手な生き方という罪は、家出をした放蕩息子のようです。
お父さんから、勝手に離れ、自由に生きて、気づいたら、「父親の顔忘れちゃった」「俺の父親って誰だっけ?」
それが、つまり、「神っているの?」「神ってなに?」という神が認識できない状態なのです。
聖書では、神がなんと言われるか知っていますか?
「天の父なる神」つまり、私たちのお父さんといわれています。
聖書は、神と私たち人間の関係を親子関係で表しています。
なぜ?
関係が大切だからです。
なので、人生は勝ち組、負け組などの相対的な評価が大事ではなく、死後にも永遠に続く神様との関係が大事なのです。
死んだ後に、神にあって「あなたは誰ですか?」と言われたら、どうしますか?
「え、神様ですよね?俺のこと知らないの?オリンピックで優勝したんだよ俺」
「俺は、100億円の資産を持っていた超勝ち組ですよ」
「私は、誰もが知っているカリスマ芸能人です」
神様はいうでしょう。
「私はあなたを知らない」
しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも、天におられるわたしの父の前で、その人を知らないと言います。
聖書(マタイ10:33)
生きている時に、「神なんて知らない」と生きてきた人は、死後に神にあった時に、「知らない」と言われちゃうんです。
まとめ
「人生の勝ち組と負け組は存在するのか?」
一言で言うならば、「人生は他人に勝ったか、負けたかという比較ではなく、神との関係が大事」と聖書は言っています。
それは、勝ち組か負け組かというようなこの世の基準は、死んだ後には全く意味のない事柄だからです。
富も名誉も死後に持っていけません。
持っていけるのは、この地上で築いてきた神との関係です。
それだけが永遠に続くのです。
もちろん、他人とどのような関係を築いてきたかも、永遠に続きます。
それなら尚更、勝ち負けよりも、仲の良い愛の関係を築くことの重要性がわかりますね。
聖書には、この関係をベースとした神の教えが書かれています。
興味を持った方は、一度、聖書を読んでみることをお勧めします。
ありがとうございました。