からし粒ほどの信仰でOK「信仰に大きさは関係ない」聖書(ルカの福音書17:5-6)

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クリスチャンの口から「私は信仰がありません」と聞くことがあります。
もし、この言葉が事実なら、その人はクリスチャンではありません。

なぜなら、クリスチャンは、キリストが私の罪のために身代わりになって十字架で死なれ、3日後によみがえったことを信じた人だからです。

「とりあえず」信じた。「よくわかんないけど」信じた。
そんな人が大半でしょう。

そんなんでいいのかよ?と思いたくなりますが、信じるとはそういうものです。

信じた後に、それが事実であることを体験し、確信に変わっていくからです。

「私は信仰がありません」という言葉の真意は、「信仰が弱い」「確信がない」ということだと思います。

キリストは、からし種ほどの小さい信仰があれば、木が海に入ると言いました。

5  使徒たちは主に言った。「私たちの信仰を増し加えてください。」
6  すると主は言われた。「もしあなたがたに、からし種ほどの信仰があれば、この桑の木に『根元から抜かれて、海の中に植われ』と言うなら、あなたがたに従います。

聖書(ルカの福音書17:5-6)

ここから二つのことがわかります。

①私たちの信仰はからし種以下
からし種とは、あらゆる種よりも小さい種です。 
ごま粒よりも小さいですが、ごま粒の方が日本人にはわかりやすいでしょう。

たとえ、それくらい小さな信仰があっただけで、桑の木を海に移せるのです。

この桑の木は約10メートルほどにまで育ち、深く広く根を下ろします。
なので、木の周辺には水溜りができにくくなり、このような木を根こそぎ海の中に植えてそこで育たせることは、 どう考えても不可能です。

私はかつて、信じるだけで、木を海に投げ込んだ人を見たことはありません。

YouTubeで、「じゃあ今から、あの木を信仰で動かします!」と宣言してやってみせる自信は、僕にはありません。
つまり、私たちが持っている信仰は事実、からし種以下です。

②からし種以下の信仰でも大丈夫
ここで、イエス様が言いたかったことは、からし種の信仰を目指せということではありません。
信仰は大きさや量ではなく、あるかないかが重要だよということです。

あなたたちは、自分の信仰をパーセンテージで測るよね?
自分は10%だ。90%には到底難しいとか。
実際は、からし種の信仰、つまり1%すらもみんなないんだよ。

つまり、私たちの感覚で言えば、0.1%でもいい。0.0001%でもいいということなんです。

問題は、信じるかどうかです。

パーセンテージは、確信の話です。
もちろん、確信は強い方がいいでしょう。
モーセは、確信を持って信仰を働かせ、海を分けました。

では、なぜ、からし種以下の信仰でも大丈夫なのでしょうか?
それは、信仰でもっとも重要なことは、あなたの信仰の大きさではなく、あなたが信じる対象が重要であるからです。

私たちが0.00001%信じてたとしても、信じる対象の神は100%真実です。

もし、私たちが100%信じてたとしても、信じる対象が、嘘つきの詐欺師なら、確信が100%あっても、結果は騙されるでしょう。

「自分には信仰がない」と言わないでください。
0.1%でも十分。

信じる対象が、真実なら、神は私たちのごま粒以下の信仰に答えてくださるからです。

今日の祈り 今日の祈り
神様、小さい信仰ですが、あなたを信じます。あなたのおことば通りになりますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。
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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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