あるインターネット調査によると、47.5%、つまり、2人に1人の親が子育てに悩みを持っていおり、特に「しつけ方・怒り方」の悩みが上位を占めるということが明らかになりました。
具体的な子育ての悩みは、1位「子どもが注意しても直らない時は怒鳴ったりしてしまう時がある」(70.2%)、2位「自分のしつけ方や褒め方・叱り方が正しいのか自信がない」(65.9%)です。
この2番目の悩みは、とても現実的です。
どこかに、このようにしつけてもいいのだろうか?もっと、多めに見て自主性を尊重した方がいいのだろうか?
と言ったように、基準がないので難しいのです。
聖書は、子供を積極的にしつけなさいと言っています。
むちと叱責は知恵を与える。放っておかれた子は母に恥を見させる。
聖書(箴言29:15)
まず後半の「放っておかれた子」という言葉に注目しましょう。
「放っておかれた」のヘブライ語の原語はシャラフと言って、動物や家畜を放りっぱなしにしておくことに使われます。
本来、保護し、牧畜すべき家畜を放っておくかのように、聖書の言葉と知恵で訓戒すべき子どもを放っておくのは親としての「責任放棄」であると言っているのです。
また、「放っておかれた」という言葉は、新改訳第三版では、「わがままな子」とあります。
家庭での教育を放棄し、放っておくならば、結果的に、その子は放蕩な生活をして、親に恥をかかせるということです。
ここで気になることは「しつけ」の重要性はわかった。でも、どうやってしつければいいのか?ということです。
今日の箇所では「むちと叱責は知恵を与える」と書いています
むちと叱責と聞くと、とても暴力的に聞こえます。
現代では、ハラスメントと捉えられるかもしれません。
しかし、悪いことをしたときは、むちと叱責が必要であると聖書ははっきり言っていることを受け入れましょう。
もちろん、ここでは、実際に、むちを使いなさいと言っているので、ベルトのようなもので子供を罰しなさいという意味ではありません。
「むち」という道具は、あくまでも当時の背景において解釈すべきです。
ここで大事なことは、本当の愛は、「悪いことを何もしないで見逃すこと」ではく、「きちんとその行動が悪いということを子供に教えること」だということです。
私たちが親になった時、親のモデルは誰かというと、天におられる父なる神です。
信仰を持った人なら、神様は時として、私たちを愛を持って懲らしめることは体験されていると思います。
主はその愛する者を訓練し、受け入れるすべての子に、むちを加えられるのだから。」
聖書(ヘブル12:6)
人生の試練を通し、神様の「むち」を受けた時、私たちは反省し、むしろ神様からの愛を感じることがあります。
もし、悪いことをしたのに、神様が何もしないなら?
それは、無関心であり、愛ではありません。
愛することの反対は、無関心であり、懲らしめではないのです。
親が、本当にその子を愛しているなら、ちゃんと、しつけます。
しかし、注意すべきは、どのようないしつけるのかについては、神様によく祈って、聖霊に満たされてすることを心がけることです。
私たちのしつけは完璧ではありません。
しかし、大丈夫です。
神様は、子供を愛をもって、しつけたいというあなたの心を大事にされます。
助けてくださいます。