ありのままの自分を認めずに、否定ばかりしている人は、周りの人も自分を否定していると錯覚する傾向があります。
それは、2つのかたちとして現れます。
「俺はダメじゃない。これ以上、俺を否定するな!」と反抗するタイプ。
「どうせ私は何もできないんだ。価値なんてないんだ」と悲観するタイプ。
聖書に出てくる「悲観タイプ」はエリヤです。
自分は荒野に、一日の道のりを入って行った。彼は、エニシダの木の陰に座り、自分の死を願って言った。「主よ、もう十分です。私のいのちを取ってください。私は父祖たちにまさっていませんから。」
聖書(1列王記 19:4)
預言者エリヤは、「死んだ方がましだ」という、うつ状態に陥りました。
カルメル山で神の奇跡をともなう大勝利があったのにもかかわらず、なぜかイスラエルの女王イゼベルに命を狙われることになったからです。
自分が期待した結果にならず、深く落胆し、挫折感でいっぱいになりました。
「私は父祖たちにまさっていませんから」というエリヤの言葉に注目しましょう。
父祖たちとは、エリヤの前の時代に生きていたアブラハムでしょうか?ダビデでしょうか?
誰であれ、エリヤは他の人と自分を比較して落ち込んでいます。
「俺は預言者としてダメなんだ」
私たちも、エリヤのように心身ともに疲れて「もう俺はダメだ」と諦めたくなる時があります。
周りの活躍しているっぽい人を見て「俺は結局ダメなんだ」と悲観しがちです。
他人と比べている以上、その悲観は自己否定です。
しかし、この悲観しているうつ状態のエリヤに対する神様の対応に「悲観」を乗り越えるヒントが隠されています。
彼がエニシダの木の下で横になって眠っていると、見よ、一人の御使いが彼に触れ、「起きて食べなさい」と言った。
聖書(1列王記 19:5)
神様は、エリヤをまったく責めてはいないということです。
比較もしていません。むしろ、ゆっくり休みなさい。
誰があなたを否定しているのでしょうか?
他でもない「あなた自身です」
誰かに否定的な言葉をかけられて落ち込むこともあるでしょう。
でも、神様はあなたを否定しているでしょうか?
神様はエリヤを養い続けます。
主の使いがもう一度戻って来て彼に触れ、「起きて食べなさい。旅の道のりはまだ長いのだから」と言った。
聖書(1列王記 19:7)
「人生はまだ長いよ。よく食べて、よく寝て、ゆっくり行こう」と言われるお方です。
もし、私たちに悲観してしまう傾向があるなら、自分を否定していないか確かめてみましょう。