20世紀初期のフランスの学者ヴァン・ジェネップは人生には必ず体験すべき「通過儀礼」があると言いました。
例えば、出生、結婚、死です。
これらの共通点は、過去との断絶です。
結婚は独身時代と断絶しなければいけません。
独身時代と同じように、仕事に没頭し、異性とデートしているなら結婚生活は破綻します。
聖書も、キリストを信じるものは、生き方が変わる必要があると言っています。
すると、イエスは彼に言われた。「鋤(すき)に手をかけてからうしろを見る者はだれも、神の国にふさわしくありません。」
聖書(ルカ9:62)
鋤(すき)とは、畑を耕すのに使う、くわのような物です。
この言葉を言われた人は、イエスに従う前に、「まず行って、私の父を葬ることを許してください」(59節) とイエス様に許可を得ようとしました。
ユダヤ社会において葬式はとても大事ですし、聖書の中にも両親を敬うのは十戒の命令です。
でも、イエス様は、一度、キリストに付いていくと決めたのに、他のことを優先しようとするのは、まるで畑を耕す寸前で仕事を放り出すようなものだと言いました。
これは実際に家族を捨てろとか、仕事を辞めなさいとか、今までの人間関係を断ち切りなさいという意味ではありません。
優先順位の問題です。
覚悟は、優先順位に表れるからです。
最初の話に戻すなら、クリスチャンは洗礼(バプテスマ)という通過儀礼を通して新生、新しく生まれ変わりました。
これは、罪人の生活という、過去との断絶です。
クリスチャンは、自分はキリストの血潮によって買い取られ、自分はキリストのものであることを信じたのです。
しかし、現実はどうでしょうか?
仕事、家族、日常生活のこと、あるいは罪深い習慣に時間やエネルギーを費やしていないでしょうか?
もし、そうなら、もう一度、前をしっかり向いてキリストの弟子に相応しく生きる決心を新たにしましょう。