ヨルダン川の近くに3本の木がありました。
その3本の木には、それぞれ願いがありました。
1番目の木は、神殿のための木材として用いられたいと願いました。
2番目の木は、預言者たちの乗る船の材料となり、全世界に聖書のみことばを伝えるために用いられたいと願いました。
3番目の木は、その場所に残って、疲れた人々の休息の場となり、神の安息の恵みを伝えるために用いられたいと願いました。
しばらくして、
1番目の木は、ベツレヘムの家畜の飼い葉おけとなりました。
2番目の木は、ガリラヤ湖に浮ぶ、生臭い魚のにおいがする小舟となりました。
3番目の木は、なんと犯罪人をはりつけにして処刑するための十字架となりました。
時が過ぎ去り、この世を救うためにメシヤが地上に誕生され、
1番目の木は、幼子イエス様は寝かされる飼い葉おけになりました。
2番目の木は、イエス様をお乗せする弟子たちの舟となりました。
3番目の木は、人類の救いをもたらすイエス様の十字架として用いられる栄光にあずかりました。
私たちの誰もが、自分の人生の目的を自分で決めようとします。
しかし、ほとんどの人が、今の生活と理想や夢があまりにも違うことに気づき、やがてあきらめていきます。
聖書は、私たちの人生の目的は、神様が知っていると言っています。
わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──主のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
聖書(エレミヤ29:11)
神様が私たちにとって、一番良い人生の計画と目的を持っておられます。
「なぜ、自分の自由な人生を神様の目的に合わせないといけないんだ?」
「俺は神の奴隷じゃないぞ」
と思いますか?
しかし、神の計画こそが、私たちにとって幸せを生み出し、将来の希望をもたらすものだということです。
先ほどのヨルダンの木の例話のように、私たちの描いていた夢とは、現実が違う方向に進んでいたとしても、神の計画に従って人生を歩んでいるならば、必ず自分でも思いもよらなかった人生になります。
それは、神の栄光のために用いられるという、他のものと比較できない特権です。
成功者の話を聞くと、お金持も名誉も、人を完全に満たすことはできないと聞きます。
「より偉大な目的のために貢献したい」そのような思いが最後に残るそうです。
そうです。
偉大な目的とは、あなたを造られ、世界を造られた神の偉大な計画のために用いられることです。
今日、無理やり自分で自分の人生の方向性を決めるのを一旦やめて、神様の計画のために用いてくださいと祈りましょう。